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私のオールスター不要論

2004/07/08(木)

 1993年の発足当初、Jリーグにはとても「アメリカ的な」雰囲気があった。
 ゴールデン・ゴール、PK戦での決着、引き分けなしのルール…。それから、もちろん、オールスター戦だ。
 何年もかけて、Jリーグはわざとらしい仕掛けのほとんどを廃止しつつあり、そうした方針は運営全体にも反映されるようになっている。
 たとえば、来シーズンからはJ1の参加チーム数が18になり、2シーズン制も1シーズン制に変更される。
 勝った場合の勝点が3で、引き分けの場合が1という通常の勝点システムは現行通り保たれるので、2005年シーズンのJリーグは世界のサッカー界のメインストリームにある他のリーグと同じような形態となる。
 Jリーグがこの新しいフォーマットを採用し、日本でも増加しつつある真のサッカーファンの声に応えようとしている点は大いに評価したい。

 私が気になるのは、次に着手すべきものである。
 これは個人的な意見であり、多くのファンが驚くかもしれないが、私なら、毎年恒例のオールスター戦を廃止するだろう。
 サッカーの世界では、このコンセプトはとても異質なもので、意味も重要性もあまりないように思える。
 私は、日曜日の新潟の試合をテレビで観たが、3−3のドローであったにもかかわらず、退屈だと思った。
 選手にとっては、ファーストステージ終了後のウィークエンドはオフのほうがありがたかっただろうし、各チームの監督たちも選手を休ませたかったことだろう。
 MVPの石川を筆頭に、何人かのオリンピック代表選手がピッチに登場した。ひょっとしたら山本監督は、石川、田中、闘莉王、今野らが接触プレーに巻き込まれないようにと考えていたかもしれない。山本監督はしかめっ面でゲームを見ていたに違いない。このような無意味な試合で中心選手がケガでもしたら、控えめに言っても、迷惑この上ないからだ。

 それはA代表の選手も同じである。
 先日の鹿島でのアントラーズ対ジュビロ戦の後、藤田俊哉と話したのだが、そのとき藤田は、体調は絶好調時の7割程度に過ぎないと言っていた。キリンカップとアジアカップが間近に迫っているなか、そんな俊哉がビッグスワンでプレーしているのは、私にとっては驚きであった。
 もっとも、藤田は広い心を持った男だから、きっとファンを失望させたくなかったのだろう。カシマでも、ジュビロがロスタイムに失点して敗れた後にもかかわらず、藤田は時間を割いて、スタジアムの外でアントラーズファンにサインをしていた。

 Jリーグはいつもと同じように派手なイベントを催し、大手スポンサーと大観衆を魅了したが、私には、オールスター戦は予定がぎっしり詰まったシーズンには余分であるという印象は拭えなかった。

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