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2004年4月

日本の誇り「ガールズ・イン・ブルー」

2004/04/29(木)

 国立競技場の長い歴史のなかには、感動的で、ドラマチックな夜がいくつもあった。
 2004年4月24日の夜も、そんな歴史的な一夜となった。
 アテネオリンピック・アジア予選の準決勝で、日本の女子代表チームが3−0で北朝鮮を破った試合は、まさにセンセーショナルであった。

 試合前の予想では、真っ赤なユニフォームの北朝鮮が圧倒的に優位であったが、日本の「ガールズ・イン・ブルー」が北朝鮮を粉砕した。
 北朝鮮の選手たちは、何が起きたのか分からなかったかもしれない。まるで一陣の青いつむじ風がやってきて、何もかもを吹き飛ばして通り過ぎたようであった。
 北朝鮮はホームチームの精神力、気迫、技術に対応できなかったのである。また、ファンが果たした役割も大きかった。
 北朝鮮チームは、「鉄のバラ」と呼ばれる中国チームにとって代わってアジア最強の座についていたが、日本チームはまったく怯んではいなかった。
 日本は2つの守備のミスにつけ込んで先制し、前半でゲームの主導権を握る。
 最初のミスはヘッディングの失敗によるもので、荒川がボールを奪い、あっさりとゴールを決めた。
 2度目のミスはオウンゴールで、ここ一番の勝負で勝つためには絶対に不可欠な運を、日本は手にしたのであった。
 2点差でハーフタイムを迎えることができたし、ファンの興奮も高まっていたので、北朝鮮に追いつかれるかもしれないという心配はほとんどなかった。
 日本チームは勇敢にゴールを守り、さらにコーナーキックの際に見事な動きを見せた大谷がゴール前の至近距離から3点目のシュートを決めた。

 そのあと私がもっとも感心したのは、以前にも指摘したように、日本チームがひたむきにプレーを続けたことであった。
 時間稼ぎも、負傷したふりもなかったし、レフェリーを欺くような行為や冷酷なファウルもなかった。このような戦いぶりにより、日本の女子チームはサッカーそのものの魅力をアピールしたのである。

 FIFAのゼップ・ブラッター会長がいつも女子サッカーを讚えていることは良く知られている。
 女子サッカーの選手たちが見せるスポーツマンシップやフェアプレーは、男子選手たちの立派なお手本となるだろう。
 日本の「ガールズ・イン・ブルー」は素晴らしいことをやってのけた。そして、テレビの解説者を務めていた、かつてのスター・ストライカー、大竹奈美の感極まった涙の表情が記念すべき夜の締めくくりとなった。

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いまだ不確かなジーコ監督の将来

2004/04/26(月)

今週、ハンガリーでのジーコ監督のコメントは非常に興味深いものであった。
ジーコ監督は地元紙に「2006年まで代表監督を務めるつもりだ。それが私の仕事の一区切りだ」と語った。
本気なのだろうか?

続いて日本のメディアがジーコ監督に彼の将来について尋ねた。
彼は、Jリーグの監督就任や、ブラジル代表監督就任には興味がないと答えた。
これらを読んでいると、ジーコ監督指揮下の日本代表は着々と力をつけ、もし彼が代表監督の座を離れたとしたら、彼を監督に招きたいという要望が殺到するという風に考えがちである。
しかし事実はかなり違う。

ジーコ監督は日本代表を前進でなく後退させてきた。それは彼のコーチとしての信用度の欠如が理由である。彼は日本代表チームを、“よく組織化され、モチベーションも高く、訓練されたチーム”から“方向性もなければ戦術もない、単なるオールスターの寄せ集めチーム”にしてしまった。
その彼を監督として招こうとするチームがJリーグにあるか、私は甚だ疑問である。

日曜日に行なわれるハンガリーとの親善試合を目前に自身のアピールに余念のないジーコ監督だが、この試合結果は彼の将来になんら影響はないだろうと私は思う。
また来週のチェコとの試合、マンチェスターで行なわれる、アイスランド、イングランドとの試合もまた然りだ。
注目度も低く、選手交代も多いであろうこれらの試合で日本代表は1つや2つのチームには容易に引き分け、もしくは勝利できるだろう。

日本代表の次の重要な試合は、6月9日に日本で行なわれるワールドカップ予選、対インド戦である。そして彼らはまずその試合にも勝利できるだろう。
という事は、ジーコ監督の地位は7月17日から8月7日にかけて中国で開催されるアジアカップまでは安泰だという事である。

アジアカップは、ジーコ監督が長期政権を維持できるかどうかの運命の分かれ道だと私は確信している。
もし日本代表がこのグループで勝ち残れなかったら(オマーン、タイ、そしてイランは決して楽勝できる相手ではない)、日本サッカー協会はジーコ監督更迭に向けて動くと私は思う。
仮に日本代表がグループ上位2位に残ったところで、日本サッカー協会は準々決勝進出だけで満足するだろうか?
ジーコ監督が2006年ワールドカップを語るのは非常な自惚れであると思う。この夏、ジーコ監督は中国で重要なテストに直面する。アジアのライバル達にもっと敬意を払うべきであろう。

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高木義成、代表GKコーチにアピール

2004/04/22(木)

 土曜日、味の素スタジアムでのヴェルディ対サンフレッチェの試合。終わってみれば、「マン・オブ・ザ・マッチ」賞の候補は1人しかいなかった。
 ゴールキーパーの高木義成がその選手で、まったくミスのないプレーでゴールを守り抜き、チームの0−0のドローに貢献した。
 高木にしてみれば、賞をもらって喜んでいる場合ではなかった。フィールド・プレーヤーが待望久しい初勝利に貢献して「マン・オブ・ザ・マッチ」賞を獲得したほうが良かったのだろうが、その日のヴェルディは長いあいだ守備に専念しなければならなかった。
 というわけで、論理的には高木しか選択の余地はなかった。後半の高木はアクロバティックで俊敏なセーブを次々と披露し、サンフレッチェにつけ入る隙を与えなかったからだ。

 ローカールームでの高木は怒り心頭だったが、少しだけ慰めになるかもしれないこともあった。ジーコのチームのゴールキーパー・コーチであるカンタレリと、アシスタントを務めるジーコの実兄エドゥーが記者席で観戦していたのである。
 これからたくさんの試合が予定されているオリンピック代表は3つのオーバーエージ枠の1つをキーパーに振り分けることになるだろうし、日本代表も今後数ヶ月はオリンピック代表を見据えて編成を組まなければならない。高木のヒロイックな活躍はきっとカンタレリの目に止まったことだろう。

 高木はキーパーにしてはがっしりとした体格をしている。身長185cm、体重は86kg。年齢もキーパーとしてはまだ若いほうで、現在24歳。来月25歳になる。ヴェルディでのリーグ戦出場は53試合だ。

 ヴェルディ入団当初から高木の実力を認めていたのは、かつてのキャプテン、北沢豪である。
 2003年のシーズン開幕前、私はキーちゃんに、1993年のJリーグ発足から10年間のベスト・イレブンを選んでほしいと依頼した。
 ベスト・イレブンには外国人選手も3人まで入れていいことにした。
 キーちゃんが最初に選んだゴールキーパーの名前を聞いて、私は仰天した。高木だったのだ!
 ただし、キーちゃんはしばらく考えた後、高木のJリーグでの経歴は他の多くのキーパーに比べて短すぎると判断し、ゴールキーパーを川口にした。
 その時から、私は高木のプレーをじっくり見るように心がけてきた。そして、キーちゃんが高木を評価した理由がわかるようになった。

 ヴェルディのファンもよくわかっていて、サンフレッチェ戦の終了直後から「義成コール」が沸き起こった。
 高木と同じく、おそらくファンもフィールド・プレーヤーに「マン・オブ・ザ・マッチ」賞を受賞してもらいたかったのだろう、とは思うけれど。

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ジュビロ磐田:その表と裏

2004/04/18(日)

ジュビロ磐田に敬意を表する事はさして難しいことではない。
しかし好きになれるかというと、また別だ。
水曜の夜、我々は柏でジュビロのベストとワーストを見せられた。
前半、彼らは力強くかつ攻撃的なサッカーで早々に2得点をあげ、そのまま5・6点差をつけて勝つように見えた。
しかし後半、様相は一転した。

後半は反則すれすれのプレー、そして時間稼ぎなどのアンフェアなプレーが随所に見られ、58分にドゥドゥの退場でレイソルが10人になった後もそれが続いた。
私にはジュビロがなぜそんな不愉快な戦術をとるのか理解できなかった。彼らはそんな汚いやり方でなくてもスマートに勝てる力を持っているのだ。
いわゆる“ドゥンガ流プロ意識”というものなのであろう。

ジュビロの最初のゴールは素晴らしかった。
藤田は右ウィングの西にボールを出し、そのままニアポストへ走った。
しかし、西は彼を使わず、ファーポスト深くへクロスをあげ、グラウがヘッドで“デンジャーゾーン”へ落とした。
ベテラン中山はゴールポストのペンキの匂いが嗅げるくらいゴール近くにおり、ボールへ向かって飛び込み、ダイビングヘッドで得点を挙げた。
このゴールはジュビロ磐田のチームワークと相互理解、そして非情なまでの精度の表れである。
福西がやすやすとヘッドで2点目をあげた時点では、ジュビロは得点を挙げようと思えばいつでも挙げられるように見えた。
しかし、このチームは若いチームではない。きっと疲れたのであろう。そしてこれが戦術の変更につながった。次の試合へ向けて体力の温存をはかることにした。

理由はどうあれ、ジュビロ磐田の裏の一面を見せられるのは心底嫌だ。
選手達は怪我を装い、主審に対戦相手へのイエローカードを要求する。またゴールキック、フリーキック、コーナーキックでは時間稼ぎをする。ジュビロの選手達はこうした細かなトリックを知り尽くしている。そして主審に代わって試合をコントロールしようとするのだ。
だからこそ、中立の人々にとってジュビロは、彼らの成績には感心できても好きにはなれないのだ。

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頭角を現し始めた土屋

2004/04/15(木)

 土曜日に駒場スタジアムで行われたレッズ対ヴィッセルの試合にはジーコが観戦に来ていたが、おそらく代表チームの守備陣をチェックするためだったのだろう。
 ジーコのフォーバックのうち3人は、もちろん、山田暢久、坪井慶介、三都主アレサンドロという浦和の選手たちである。
 これらの選手がいるなか、その日の午後見た最高のディフェンダーは、明らかに…ヴィッセル神戸の土屋征夫であった。
 今シーズン、私がヴィッセルの試合を観戦したのは2度目で、0−0で引き分けた新潟の試合以来であった。
 私が見たいずれの試合でも、土屋は相手にとっても、味方にとっても驚異的な存在であった。

 土曜日の試合、土屋の立ち上がりは良くなかった。田中達也へのファウルに対して、PKという厳しい判定が下されたのである。三都主がPKを決め、ヴィッセルは開始2分にして追いかける立場となってしまった。
 ただし、それ以降、土屋のプレーは見違えるようであった。
 田中への2回のタックルは、これまで私がJリーグで見たなかでも最良の部類に入るもので、タイミングは完璧で、激しく、それでいてフェアであった。
 また、空中戦でも強さを発揮し、チームの精神的リーダーとなっていた。

 ヴィッセルの同点ゴールを決めたのも土屋で、左サイドからのコーナーキックのこぼれ球をゴール前で決めたものであった。ただし、その後に長谷部が浦和の勝ち越し点を決め、喜びは長くは続かなかった。長谷部のゴールも、今度は右サイドからであったが、コーナーキックがきっかけとなっていた。素晴らしいシュートで、ハーフボレーで蹴ったボールがネットの上部に突き刺さっていくようであった。

 ヴィッセルの敗戦は、現在29歳で、間違いなく選手生活のピークにある土屋には気の毒なものであった。
 私は、今月の末に東ヨーロッパで2試合を戦う日本代表の遠征に、ジーコが土屋を招集しないものかと思った。

 試合後、ヴィッセルの監督であるイワン・ハシェックにインタビューをした。
「土屋にはチームに残って欲しいね。」
ジーコが土屋を選ぶかもしれないと私が言うと、ハシェックはこう答えた。
「土屋はとても良い選手で、チームにとってとても重要な存在なんだ。」
「強靱な体とスピードを併せ持っているし、1対1の状況では抜群に強い。精神力もあるし、ゴールを決める能力もある。素晴らしい選手だよ。」

 ハシェックは選手個人について論評するのを好まないが、チームの副キャプテンである土屋については、いくら誉めても誉め足りないようであった。
 ジーコが土屋を見ていますように…。

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崇拝者の多いオシム監督

2004/04/12(月)

今週、日本代表監督のポジションを巡ってイビチャ・オシム監督の名前が取り沙汰された事については、別に驚きはなかった。
火曜日に日本のスポーツ紙で、ジェフ市原の監督イビチャ・オシムが低迷する日本代表ジーコ監督の後任候補最有力であると報じられた。
個人的には、日本サッカー協会(JFA)はそこまで先の事を考えていないであろうと思っている。
なにしろ、チームの状態はあまり良いものでないとしても、これまで2戦のワールドカップ予選で全勝しているのである。
先日、同業者が指摘していたように、サッカーにはフィギュアスケートとは違って芸術点というものは存在しない。純粋に勝利にのみポイントが与えられる。そして日本は両試合に勝利したのだ。

オシム監督に話しを戻そう。
彼はその記事について、信じられないことだと非常に怒っていたそうだ。
チームもJFAからの打診は一切なく、記事に関する情報はないと言った。
それでももし、ジーコ監督が退陣を決めるかJFAが彼を解任するとしたら、オシム監督は有力候補となるだろう。

経験も豊富で、実践的であり、選手にはまるで祖父と孫のように接する。厳格であると同時に選手の成長を何より楽しみ、タイミング良く選手を褒める。オシム監督がJリーグに与えた影響はとても大きい。
彼はスピード、フィットネス、テクニック、そしてチームワークといった日本人選手達の長所をすぐ理解した。
ジェフはよくまとまっており、リーグ戦とナビスコカップの3試合ではパスと機動力を活かし、対戦チームを撃破してきた。
ナビスコカップでの対エスパルス戦を観たが、清水の選手達は圧倒されていた。オシム監督の優秀な選手達がエスパルスを翻弄し、彼らは長い間ボールに触ることさえできなかった。

試合後、私はジーコ監督もジェフ市原を観戦することで多くのことが学べると感じた。まず、組織力、チームの規律、そして攻撃のリズム、さらにはチーム内の各選手達の役割についてなどである。
チームが一つのユニットとして動くさま、そしてポジションを外れた選手へのカバーリングなども見ることができる。
JFAにはオシム監督の崇拝者は多い。それは当然の事だ。コーチングを学んだ者なら、ジェフ市原を見ると感心させられる事ばかりだからだ。

しかしそうだとしても、今、日本代表監督の後任を語るのは早すぎると思う。
7〜8月に中国で開催されるアジアカップでこそ、ジーコ監督の未来は決まるであろう。
そして、おそらくオシム監督の未来も・・・。

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5児の父・エムボマから森本へのアドバイス

2004/04/08(木)

 東京ヴェルディ1969のメンバーとして、今シーズンのJリーグで衝撃的なデビューを果たして以来、15歳のストライカー、森本貴幸には「日本のロナウド」という呼び名がすっかり定着しているようだ。
 その坊主頭と骨太の長身、素早いステップを刻む走法により、森本はロナウドを若く、スリムにしたように見える。
 プレー・スタイルもちょっぴりロナウドに似ている。ただし、ロナウドならヴェルディでこれまで出場した3試合で5点か6点はとっているだろう。

 私が、プレーする森本をいわゆる「生」で初めて見たのは、土曜日、味の素スタジアムでのFC東京戦であった。
 ほとんどの人と同じように、私もすっかり気に入ってしまった。
 ロナウドのように強靱で、速い。ロナウドのように素早い足の動きで相手ディフェンスを簡単に抜き去ることができる。それに、ロナウドのようにゴールの位置を常に認識している。
 ただし、ロナウドと違って、森本のシュートはセーブされてしまった。もちろん、森本を批判しているわけではない。彼は恐ろしく高い可能性を秘めたティーンエイジャーである。ただ、「フェノメノ(怪物)」と呼ばれているロナウドの、その真に驚異的な才能も強調しておきたいのである。

 土曜日のゲームのあと、私は森本ではなく、森本のパートナーで、もっと経験豊かなストライカーである、33歳で5児の父、パトリック・エムボマとおしゃべりをした。
 森本が生まれた時、パトリックはすでに17歳であったが、アフリカや世界のサッカー界で敬愛される存在となっているにもかかわらず、今も遠い異国で現役を続けている。

「みんなと同じように、森本は良い選手だと思うけど、少しプレッシャーを感じているようにも見えるね。だって、みんなが彼のことを話しているんだもの」とエムボマ。
「彼には、今の状況には注意しろと言っているんだ。」
「デビューして間もない時期に良いプレーをすると、みんなが、最高だとか、素晴らしいとか言う。それで、いつも集中している状態になり、試合でも、練習でも一生懸命になり、毎日何かを学ぼうとする」

 森本は70分過ぎに交代し、ヴェルディは2−3で敗れたものの、このティーンエイジャーは試合終了後も注目の的であった。
 かつてのアフリカ最優秀選手であるエムボマは、味の素スタジアムのロビーの人込みの中でも常に目立つ存在である。

「森本には、新聞を読むなと言ってるんだ。新聞は、いつも厄介なものだからね」とエムボマは言う。
「良いプレーをして、みんなが誉めてくれるのなら、問題はない。しかし、その反対になれば、自分の心の中で疑問を抱くようになる。
「彼にとって大切なことは、周囲の雑音は忘れて、ピッチのなかで全力を出せるようにすることだけだよ」

 土曜日、ヒザの手術後を受けたエムボマは今シーズン初出場を果たし、週の終わりには奥さんが5番目の子供を出産した。女の子で、名前はケイナだそうだ。

「ヘブライ後で反逆者という意味だ。…日本には、反逆者はあまりいないからね」エムボマは、笑いながらそう説明した。

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藤田は日本代表にとっての模範

2004/04/05(月)

ジュビロ磐田を嫌う人もいれば、応援する人もいる。その中で、誰からも好かれる選手が一人いる。
水曜夜のシンガポールで日本を救った藤田俊哉、その人である。
熱帯気候の中、疲れを見せる日本代表を見てジーコ監督は67分に中村俊輔に代えて藤田をピッチに送り込んだ。
スコアは苦しい1−1のタイ、63分にホームチームが同点に追いついたところだった。
藤田が日本代表に活気を与えた。

もう一人途中から出場した鈴木隆行の右ウィングでの素晴らしいプレーから、70分に藤田がファーポストから左足で放ったシュートは横へそれてしまった。ここは得点を挙げておくべきであった。
日本代表は必死だった。引き分けなど屈辱以外の何物でもなかったし、ムシムシと蒸し暑い夜、盛大な歓声を送っているファンに対しても申し訳ない事だった。
82分、しかしここで藤田俊哉がやってくれた。中田の左コーナーキックをゴールキーパーが弾いたルーズボールをゴールネットに叩き込んだのである。
その直後のシーンは彼のゴールへの執念以上に私を感心させた。

彼はタッチラインへ走り、歓声を上げる日本のファンに向かってこぶしを宙へ突き上げて見せ、控え選手の腕の中に飛び込んだ。
こうでなくては!
これこそ32歳のベテラン藤田の情熱と誇りの表れである。ゴールは彼にとっても、またチームにとっても大きなものであったし、彼の行動がそれを示している。

試合後、私はジーコ監督に藤田の姿勢について尋ねた、しかし彼はカンカンに怒りながら答えた。
「こういうものをもっと他の選手にも期待していたんだ。ピッチ上にいなくてもね。チャンスがあるのだから、何ができるのか見せないと」とジーコ監督は語った。

中田の評価はさらにはっきりしたものだった。
彼は英語で、藤田の経験から他の選手はもっと学べるはずだと言った。
「僕にはこのチームから真の意気込みというものを感じられないのです。いつも親善試合を戦っているようで、真剣勝負に見えない。僕には理解できません。精神的な物だと思います」と中田は言った。

選手達への批判。そしてヨーロッパ組へ、代表の座が脅かされているとの警告。これこそまさにジーコ監督が答えなくてはならない事だ。
同時にコーチたちも、シンガポールに日本への勝利をチラッとでも思わせるような試合中の選手達の怠慢なプレー、不用意なプレーに対して大声で注意を与えるべきであった。

ジュビロファン達が藤田俊哉を敬愛するはずだ。

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シンガポールのサムライとシャワーと石鹸と

2004/04/01(木)

 シンガポールには、有力な新聞が2紙ある。
 朝刊といえば、きわめて健全な記事が載っている「ストレイト・タイムズ」。夕刊といえば「ニュー・ペーパー」で、こちらはセックスやスキャンダルがお好きなようだ。

 そうそう、それからサッカーも。

 月曜日、タブロイド判の「ニュー・ペーパー」にはスポーツ欄が18ページあった。
 そのうち11ページはイングランドのプレミアリーグに関するもので、8ページが、ハイバリーで行なわれたアーセナル対マンチェスター・ユナイテッド戦のレポート、分析、写真、図表に割かれていた。
 素晴らしい・・・1つの試合に8ページとは!
 プレミアリーグにはさらに3ページが割り振られていて、ボルトン・ワンダラーズがニューカッスル・ユナイテッド相手に幸運にも1−0で勝利した、信じられないような試合が1ページ丸々使って報じられていた(あ〜あ。ニューカッスルのファンとしてはこう書いているだけでも辛い。個人的には、1ページではなく、1行で充分だよ!)。
 サッカーの記事はさらに5ページあった(イタリア、スコットランド、シンガポールの記事が1ページずつ、それからベッカム/スペインの記事が2ページ)。
 つまり、18ページのスポーツ欄のうち16ページがサッカーの記事であった。また、残りの2ページは競馬の記事であった。

 水曜日の日本対シンガポールのワールドカップ予選が採り上げられていたのは、地元テレビ局の1ページ全面広告だけ。広告には、「ライオン対サムライ」と書かれていた。
 シンガポールの記者に、ライオンがサムライに襲いかかり番狂わせを起こす可能性があるどうかを、訊ねた。
 「ノー・チャンス・ラー」とシンガポールの記者は答えた(シンガポールの人は、いつもセンテンスの最後に「ラー」を付ける)。
 「刀を二振りして、サムライが勝つよ(サムライ・ウィル・ウィン・ラー)」

 月曜日の朝、私は試合会場である、ジャランベサル・スタジアムを訪れた。収容人員はわずか6000人。
 他のイベントと重なったため、5万5000人の収容能力がある国立競技場が使用できず、その結果、インターネットでチケット争奪戦が繰り広げられた。
 このスタジアムにはメインスタンドとバックスタンドしかなく、両方のゴールの後ろは壁である。
 砂の多いピッチに立つ一方の壁の後ろにはジャランベサル複合水泳施設があり、水曜の夜にスイミングを楽しむ地元の方はシュートミスのボールが飛んでくるのに注意しなければならない。
 壁のちょうど真後ろはスイミングプールに付設のシャワー室で、地元のリーグのゴールキーパーが強烈な石鹸の匂いに思いをかき乱される場所として有名である。
 あるいは、ひょっとして、シャワー室の泡が壁を越えて漂ってきて、キーパーの鼻先で弾けるというようなことはないのだろうか?

 日本は3点差か4点差で勝たなければならないが、楢崎の目に大きな石鹸の泡が入って、ロングシュートを許してしまっても、驚いてはいけない。
 つまり、これはワールドカップの予選であり、何が起っても不思議ではない。
 たとえサムライであっても。

*このコラム(原文)は3月30日に書かれたものです

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