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波乱万丈の金曜日

2004/03/22(月)

金曜日は気分的に波乱万丈の1日となった。
金曜の朝、私は元気いっぱいで、駅へと向かう足取りも軽く、「オークボヨシト、ナナナナナ」と口ずさんでいた。
これはもちろん、前夜の対UAE戦に3−0で勝利し、オリンピックの出場権を得たからだ。
国立競技場で山本監督率いる若獅子達が城門を突破し、長い戦いの末にようやくアテネに入る事ができた素晴らしい、そして誇るべき一夜であった。

その夜の3得点中、2点を挙げた大久保はもちろんその中心で、UAEでの最初の3戦とは違った側面を日本にもたらした。
山本監督がアブダビに大久保を連れて行かないのは間違いなのではないかと、特に初戦の対バーレーン戦を0−0で引き分けた直後に思った。
しかし、本当に必要な場面までエースを温存し完璧な大当たりを引き当てたトランプの達人のように、監督は抜け目の無さと計算された戦術眼を証明してみせた。

しかし、それも木曜夜、そして金曜朝までであった。
金曜の午後はまったく違った展開になっていた。
3月31日にシンガポールで行われる代表戦のメンバー発表会見の場で、ジーコ監督はいつもに増して堅苦しい雰囲気であった。
いわゆる“キャバクラ・セブン”達は、前述の大久保嘉人を含め、対オマーン戦でのジーコ監督の救世主・久保、さらにはジーコ監督のお気に入りの小笠原でさえも全員処罰を逃れられなかった。
実際には7人でなく8人であるが、早々に自身の間違いに気づき、わずか数分でバーを出てホテルへ帰った山田暢久もまた処罰された。

スポットライトを浴びることを好み、自身のサッカー哲学等をノンストップでしゃべり続けたトルシエ監督と違って、ジーコ監督は会見の場では常に真面目である。
選手から裏切られ再び彼らを信頼できるかわからないと言う、今回のジーコ監督の気持ちは理解できる。
噂によると、選手達が外出禁止令を破った理由の一つは、いくらJリーグの選手達の出来が良くてもヨーロッパ組を優先するというジーコ監督の代表選抜方針にうんざりしていたことだという。
これが事実かどうかはわからない。しかし明らかにジーコのチームには問題がある。

ジーコ監督率いる日本代表の方向性を巡った疑問や不確実性が再び取り沙汰され、出場権を得たオリンピック代表から輝きを奪った。
日本のサッカー界に再び笑みを取り戻した山本監督率いる若獅子達にとっても非常に残念なことである。

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