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もう1つのスーパー・サッカーショーとなった、井原の引退試合

2004/01/08(木)

 2002年、世界は、日本にもスーパー・サッカーショーを開催する能力があることに気付いた。FIFAワールドカップという名のスーパー・サッカーショーだ。
 日本に住むサッカーファンである我々には、そんなことは当然であった。代表チームの試合も、Jリーグの熱戦も、トヨタカップのような一発勝負の試合も、常にワクワクするような舞台を提供してくれているからだ。

 土曜日、東京の国立競技場では、日本のサッカー界が1つにまとまり、日本サッカー界でも屈指の実力を誇り、日本サッカー界に多大な貢献をしてきた、井原正巳の栄誉を讚えた。
 過去、そして現在の代表チームのスターや、韓国の大物コンビである柳想鉄(ユ・サンチョル)と洪明甫(ホン・ミョンボ)など、40人以上の選手が1998年ワールドカップ日本代表キャプテンの引退試合に参加した。
 井原が引退したのは1年前であったが、3万1000人の観客がスタジアムに詰めかけ、井原への感謝を示した。
 試合には、木村(文治ではなく、和司のほう!)やラモス瑠偉といったかつての達人たちも参加して、昔を思い出させてくれただけでなく、国立競技場という舞台であらためて健在ぶりをアピールしてくれていた。
 また、才能に恵まれていたものの道に迷ってしまい、苦労を重ねてきた前園のプレーぶりも見ることができた。
 ただし、もっとも感動的であったのは、試合終了のホイッスルが吹かれたあとであった。

 その時の音楽は感涙させることを目的にしていたようであったが、井原は涙を見せることなく、いつもと同じようにプロフェッショナルであり続けた。
 意味深げに銀のシューズを脱ぎ、キャプテンの腕章を取り外したあと(シニカルな見方をして申し訳ないのだが、この部分はナイキのプロモーションのように感じてしまった)、井原はお立ち台の上で引退のスピーチを行い、ゴンから花束を受けとると、トラックを2周して声援に応えた。
 1周目は自分の足でトラックを回り、2周目はピッチを整備する車に乗っていたが、たくさんの風船のため良くは見えなかった。ひょっとすると、井原が乗っていたのはメルセデス・ベンツだったのかもしれない。
 仲間の選手からの握手とねぎらいは心からのものであった。代表で123試合、Jリーグで297試合の出場記録を持つ井原は、日本のサッカー史に永遠に残る名選手なのである。

「彼は、日本で最初のプロ選手に数えられるだろうね」とハンス・オフトは言う。
「サッカーで給料をもらっていたからではなく、一貫した姿勢と行動によってね。今から10年後に振り返れば、彼の偉大な功績がわかるだろう。キャプテンとして、井原は優れた資質を発揮していた。話し上手というわけではなかったが、存在そのものが人々を鼓舞していた。それが、人間性というものだ」
 その日の午後も、彼の人間性が発揮されていた。

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