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好調のままシーズンを終えたグラウ

2004/01/05(月)

正月に東京・国立競技場で行われた天皇杯決勝、ロゴリゴ・グラウには決勝ゴールを決める資格が十分にあった。
このブラジル人フォワードにとって、終わったばかりの昨シーズンは大いなる成功の年だった。
2002年のグラウは、両ステージ完全制覇の原動力となった中山―高原のコンビの影で出場機会に恵まれなかった。
事実、2003年にいたるまでの彼の成績は、9試合出場でわずか1得点であった。
しかし2003年には、レギューラーシーズンでは8本中8得点のPKを含む21得点、ナビスコカップで5得点、そして天皇杯ではセレッソ大阪戦での決勝ゴールを含む6得点を挙げた。
すなわち国内の3大会での総計32得点と、素晴らしい結果であった。

2003年のシーズン中、私はジュビロのオランダ人ゴールキーパー、アルノ・ヴァンズワムとグラウの資質について何度か長いやり取りをしたことがあった。
アルノはグラウについて、彼は基本的にゴールに近いところで力を発揮するペナルティーエリア内のゴールゲッターであると言った。
彼のゴールは華々しいものではない。しかしグラウにはルーズボールをネットに叩き込むための天性の才能が備わっているとアルノは言った。

これは疑うべくもなく事実である。ただ、グラウのプレーはアルノがチームを離れオランダに帰った後、更に成長したようである。
天皇杯準決勝の対エスパルス戦では彼は前田のおかげもあって1得点を挙げたが、ジュビロの他の3得点にも絡んでいた。
彼から西へのパス、西のクロス、そして成岡のヘディングシュートと、この一連のプレーは素晴らしいものであった。

決勝戦では、日本のストライカー達にフィニッシュの良い手本を示した。前田からの正確なパスを受けた後、グラウは厳しい状況のなか抜群のコントロールと冷静さで柳本をペナルティーエリアで抜き、キーパーをかわしてコーナーにボールを滑り込ませた。
それは後半にセレッソが崩壊しジュビロが支配した、荒れた試合を決めるに値する、まさに美しいゴールであった。
そうしてジュビロとグラウは勝者となり、高原は今や遠い昔の記憶となった。

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