鹿島の暗雲を晴らす本山の代表復帰
ここ数日、鹿島アントラーズには良いニュースと悪いニュースがあった。
悪いニュースとは、私のお気に入りの選手の一人であり、個人的には酷使と言って良いと思うほどジーコ監督に使われていた中田浩二の故障である。
中田が後方でどっしりと構えてくれているからこそ、攻撃的MFはより前線へ上がる事ができる。すなわち、私は彼が日本代表の中盤によりバランスとまとまりを与えると思っている。
先週土曜日(8月30日)の対大分トリニータ戦で膝の靭帯断裂を負った中田は、少なくとも6ヶ月、戦列を離れることになった。
彼は今月末に手術を受け、その後完治まで長い辛抱の道のりが始まる。
来シーズンの始まる頃には復帰できるだろうが、12月に行われる東アジア選手権にジーコ監督がヨーロッパ組を召集できなかった場合、彼の不在は痛いところである。
数日後、本山雅志が代表チームに復帰したというニュースが入ってきた。
本山と中田はもちろん1999年にナイジェリアで行われたFIFAワールドユース大会で決勝戦まで進出したU−20日本代表のチームメートだ。
この大会で、中田は負傷欠場の金古聖司に代わってフィリップ・トルシエのフラット3の左サイドを勤め、出来が良かったため、トルシエは彼をオリンピック代表、日本代表、そして2002年ワールドカップ代表へと抜擢してきた。
当時トルシエは本山を左サイドウィングとして起用していた。私は特にナイジェリアで行われた対ウルグアイ戦での彼の素晴らしいプレーを覚えている。本山のスピードにウルグアイ代表はタックルどころか、ファールする事すらできなかった。
トルシエは本山を日本のライアン・ギグスと評し、実際本山を対ボリビア戦、対アラブ首長国戦、そして対韓国戦と、すべて2000年のことだが、3回代表に選んでいる。
ブラジル人司令塔ビスマルクが鹿島を去った後、本山は左サイドウィングよりむしろ攻撃的MFとしてプレーしてきた。そして、これが来週水曜日に行われる対セネガル戦でジーコ監督が彼に与える役目でもある。ジーコ監督は、先発MFはナイジェリア戦と同じでいくと決めているので、当然途中出場になるだろう。
本山は自信に満ち溢れており、また陽気な性格の持ち主でもある。彼のその個性が代表チームに加わる。
たとえ彼の役割は変わったとは言っても、彼の俊足とゴールへの目は試合を左右することができる。
彼が前回代表入りしたのは、ほぼ3年前のことになる。しかし彼はまだ24歳であり、力は充分にある。
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