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2003年7月

マリノス、ファーストステージ制覇に王手

2003/07/31(木)

Jリーグ・ファーストステージも、あと1節を残すのみ。横浜F・マリノスが優勝のタイトルと、シーズン終了後のチャンピオンシップ出場権に王手をかけている状態だ。
今ステージは、残り2試合となった先週の時点で6チームに優勝の可能性があった。ジェフユナイテッド市原、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、名古屋グランパスエイト、鹿島アントラーズ、FC東京の6チームだ。
グランパスとアントラーズ、FC東京のチャンスはわずかなものであった。これらチームは残りの2試合を連勝し、他の5チームが揃って連敗しない限り優勝の可能性はなかったわけだが、サッカーはとかく予測不可能なものである。
たとえば、2000年のファーストステージ最終日、セレッソ大阪がホームで川崎フロンターレに敗れ、優勝のタイトルがマリノスに転がり込むなどという結末を、誰が予想しただろうか?

先週土曜日、私は日本平スタジアムに出向き、ジェフユナイテッドの試合を観戦した。ジェフがエスパルスに勝ち、さらにマリノスとジュビロが共に敗れると、ジェフのファーストステージ優勝が決定するからだ。
ありえないような確率であったが、優勝が決まった場合に備え、Jリーグの関係者はジェフの選手たちに授与するファーストステージ優勝トロフィーをスタジアムに持ち込んでいた。噂によれば、15分過ぎにエスパルスが2−0とリードすると、関係者はトロフィーを箱の中に戻したそうだ。
ジェフの選手たちは、ここ数週間見せていた、飢えた若ライオンのような戦いぶりとは異なり、どちらかというとおびえたウサギのようで、優勝争いのプレッシャーと注目の高さに金縛りの状態であった。

マリノスとジュビロはともにアウェーで、それぞれガンバ大阪と柏レイソルが相手だったが、両チームともプレッシャーへの対処はジェフよりはるかに上であった。マリノスとジュビロがともに勝利して、ジェフを追い抜き、ジェフは首位から3位に転落した。
ガンバ対マリノスの試合は、月曜日の夜にJスカイスポーツで観たが、久保竜彦の2ゴールがとても印象に残った。
1点目は、ファー・サイドでの高い打点からのヘディング・シュート。2点目は左足でのジャンピング・ボレーで、ほとんどネットを突き破りそうな迫力があった。
この試合の久保の2ゴールにより、今シーズンのマリノスの総得点は14試合で26点になったが、ジュビロ磐田(33点)とジェフユナイテッド(32点)の記録には水をあけられている。しかし、岡田武史が率いるこのチームが許したゴールはわずかに16。FC東京(10点)とグランパス(14点)に次いで、失点の少なさでは第3位となっている。

マリノスの強さは、まさしくディフェンスにあり、4バックには、柳想鐵(負傷欠場中の波戸の代理)、中澤、金髪の松田、ブラジル人のドゥトラが並ぶ。
波戸が復帰すれば、柳が中盤の中央の位置に入ることが予想されるので、セカンドステージにはマリノスはさらに強いチームとなるだろう。
久保とマルキーニョスのコンビが前線でうまく機能し、右サイドの佐藤由紀彦と左サイドの奥とその後ろのドゥトラが、両サイドから崩すことができれば、マリノスが昨シーズンのジュビロに次いで両ステージを制覇することもありえるだろう。
土曜日、マリノスがホームでのヴィッセル神戸戦を落とすとは思えない。ヴィッセル神戸は、先週土曜日、ホームでの大分トリニータ戦に0−8で敗れたショックが尾を引いているに違いないからだ。
それはともかく、おもしろい優勝争いであった。

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相手を圧倒する事を学べ

2003/07/27(日)

水曜夜の東京・国立競技場での対韓国戦、1−1の引き分けでオリンピック日本代表は圧倒されていたとは言え、私は山本昌邦監督率いる若者達のアテネ五輪予選突破は間違いないと確信している。
なぜかと言えば、山本監督はしっかりした組織作りをしてきたし、来年3月にアジア最終予選が始まった際にはこの事が非常に重要な意味を持つことになってくるからだ。
国立競技場のスタンドに座りながら、私は韓国の選手達が入場してきた時、まるで彼らがバスケット選手のように思えた。
それほどまでに彼らはライバルである日本代表よりも背が高く、日本のディフェンス陣は空爆にさらされるであろうと思えた。
しかし、すぐに韓国陣は地上でも巧みな攻撃的サッカーができることを見せつけたのであった。
後半、彼らには試合を決める機会はたくさんあった。日本代表のなんとか引き分けにもちこもうというファイティングスピリットを褒めるべきだろう。

山本監督の若いプレーヤー達は日々学んでいる。そして青木剛も水曜日の経験から多くを学んだはずである。
韓国代表の先制ゴールは、青木の中途半端なパスが崔兌旭にわたって生まれた。ただし、崔には日本サイドの内側でボールを奪った後もやらなければならない事があった。彼の右足でのシュートは強烈で、空気を切り裂きネットに吸い込まれたが、GK川島は止める事ができたはずだったと感じているだろう。
あのエリアには他に日本選手もいなかったし、私には青木が何をしようとしたのかわからない。
彼のミスは、自陣ゴールにパスしてトラブルに陥った対コスタリカ戦でのパープルサンガのDF角田のそれを思い出させた。
それでも私は豊かな才能の持ち主で、素晴らしいテクニックと強靭な肉体の持ち主である青木の信奉者である。あと2・3年のうちに彼は必ずトップクラスのMFに成長している事だろう。
日本オリンピック代表は石川、阿部、鈴木、そして根本の4人のMFのお陰で調子も良い。さらに山本監督には大久保、前田、松井、そして“ガンバのゴン”こと中山ら、昨年10月に釜山で行われたアジア大会でゴールを量産したFW陣のオプションも多い。

日本はアテネオリンピックでアジア枠3つを巡って争う12ヶ国の一つである。12チームは3つのグループにわけられ、各グループの勝者がギリシアへ行く事となる。
来年3月にはオリンピック日本代表はアジア各国の才能ある若手プレーヤーと対峙する事になるのだ。それまでに彼らは不注意な個人的なミスをしないという事を学ばねばならない。このレベルでさえ、そうしたミスは致命的なのである。

総括すると、山本監督はよく訓練された経験あるJリーグ選手達に恵まれているが、だからと言って、当然のごとく他のチームがなすすべなく崩壊すると考えてはならない。
ホームで戦っているのにアウェーで戦っているように見えるほど、もっと対戦相手を圧倒しなければならないのだ。
来年夏には日本代表はアテネに行けるだろう。しかし油断はできない。

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グラウのマスクは、やり過ぎ?

2003/07/24(木)

今年もまた、ジュビロ磐田のホーム・グラウンドではJリーグの歴史に残る試合が見られた。
昨シーズンは、ファーストステージの終盤に、ジュビロが5−4でガンバ大阪を破った試合があった。この試合は、サドンデスの延長戦にガンバのディフェンダー、宮本恒靖のオウン・ゴールで勝負がついたのだが、「Jリーグイヤーブック 2003」には西紀寛のゴールと記録されている。
宮本は、少しホッとするだろうとは思うが、あれは明らかに西が蹴った低い弾道のボールの方向を彼が変え、ゴールに押し込んでしまったものであった。

日曜日、こじんまりしたジュビロ磐田スタジアムにジェフユナイテッド市原を迎えての首位攻防戦は、まさにはち切れんばかりの人出であった。
試合は、結局2−2の引き分けであったが、最後の最後まで、どちらが勝ってもおかしくない試合であった。
見事なスペクタクルであり、Jリーグにとって広告効果抜群の試合だ、と私は思った。
火曜日の夜、私はスカイスポーツ・チャネルでこの試合をもう一度観た。たまたまこの試合にチャンネルを合わせた事業家が、日本のスポーツへの投資を考えていたとしたら、翌日にJリーグのマーケティングかスポンサーシップの担当部署に間違いなく連絡をとっていただろう。
そう、それくらい素晴らしい試合であった。展開が速く、華やかで、刺激的であった。
先週、私はロドリゴ・グラウの活躍ぶりについて書いたが、それに応えるように彼はジェフ戦でもまさに要領の良いゴールを決めた。
しかし、その後に起ったことに、私はなんだか嫌な気分になった。

最初、グラウはジュビロ・ブルーのユニフォームの下に着ていた、”100% Jubilo”というスローガンが胸に書かれた白のTシャツを披露しようとしているだけに見えた。
だが、そうではなく、グラウは自分が着ていたものをあちこちまさぐり続け、青いマスクを取り出した。グラウはその青のマスクをかぶり、ジェフのサポーターが集まっているゴール裏の席の前で、浮かれ始めたのである。

ファンのお行儀がさほどでもない国でこんなことをやったら、暴動になっていたかもしれない。
私には、アウェー・チームのファンがグラウにプラスチック・ボトルやコインなどを彼に投げつける姿や、一部の者がフェンスを乗り越えて彼に襲いかかろうとする姿が目に浮かんだ。
相手チームの選手からはスポーツマンシップに反する行為と無礼さゆえに、および地元の警察からはファンをいたずらに刺激する行為ゆえに、訴えが関係当局に出され、グラウは懲戒処分を受けていたかもしれないのだ。
ゴールを決めて浮かれるのはかまわない。しかし、アウェー・チームのサポーターの前でのあのような振る舞いは、やりすぎではなかっただろうか?
ジェフの監督であるイビチャ・オシムにこのことについて訊ねてみたが、オシムは気にしてはいなかった。
ただし、グラウの先制ゴールの直後、ジェフの茶野とサンドロの二人がファールを犯してイエローカードをもらっていたのは、興味深い出来事であった。
選手たちは、苛立ち、怒りを感じていたのだろうか?
もしそうなら、グラウのマスクが効果を発揮したのだろう。
個人的に、私はグラウの振る舞いは行き過ぎだと思う。
ただし、これで素晴らしいゲームの価値が落ちるわけでもない。

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ナオヒロからロドリゴへ…。新旧ヒーロー交代

2003/07/21(月)

ジュビロ磐田のファンの前に、“ナオヒロ”に代わる新しいヒーロが現れた。
ロドリゴ・グラウは昨シーズンのJリーグMVPで、現在ドイツのハンブルグでプレーする高原直泰に代わる今シーズンの得点源として、頭角を現したストライカーだ。
日曜日にホームで行われる首位決戦の対ジェフ市原戦を前に、グラウは12試合でPKでの4得点を含む11得点をあげている。
これはジェフの韓国人FW崔龍洙と並んでJリーグ得点ランキングのトップの成績である。

すなわち、日曜日の首位ジェフ(勝ち点26)と2位ジュビロ(勝ち点24)による試合は、ファーストステージ残り2試合を残すのみとなったリーグ戦の、二人の最も熱いストライカーの一騎打ちとも言える。
高さ、強さ、そしてパワーで(時として肘で)ディフェンスをねじ伏せ叩き潰すプレースタイルの崔に対して、どちらかと言えば得点を掠め取るのがグラウのプレースタイルだ。
今シーズンに入るまで彼は2002年3月17日のデビュー戦、対札幌戦での1点しかあげてなかった。しかしすっかり開花し、今やチームの先発メンバーの中に確固たる地位与えられている。

ジュビロのオランダ人GKアルノ・ヴァン・ズワムはグラウが脇役から主役へと浮かび上がってくるのを見てきた。
「彼は最高のタイミングで最高の場所にいたのさ。“お手軽”ゴールも多いよね」ヴァン・ズワムが言う。ここで言う“お手軽”とは“簡単”という意味である。確かに彼のゴールはジュビロの怒涛の攻撃後、敵のゴール間近であげたものが多いが、“お手軽”という言葉は決して彼の働きを否定するものではない。
「ゴール前の彼はとてもシャープだし、機会をじっくり待っているね」
ということは、この26歳のブラジル人プレーヤーはベテラン中山雅史と似通った所があるのだろうか?
「中山はよりチームのために動きまわるのに対して、グラウは瞬間を掴むんだ」

ある日、東京のオフィスで女性の同僚が、テレビでJリーグハイライトを見た際にフランチェスコ・トッティがジュビロ磐田のユニフォームを着ているのかと思ったと話した。
確かに、ブロンドの髪をヘッドバンドで留めたその外見はよく似ているが、ヤマハにはイタリア・セリエAの達人にJリーグ入りを納得させられるような財力はあるはずないと説明した。

グラウはまた、片方のシューズを脱ぎポイントを押し耳にあて、あたかも携帯電話で話しているかのようなゴールセレブレーションで知られるようになった。
この事は、出だしは悪かったものの、グラウが今や日本の生活にもすっかり馴染んだ事を証明している。

*このコラム(原文)は、7月18日に書かれたものです。

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カタールも悪くない

2003/07/17(木)

 あの試合から1年が過ぎ、フィリップ・トルシエがついに監督業に復帰した。
 今週の初め、トルシエはカタール代表チームの監督として2年間の契約にサインしたが、選手をじっくり見る時間はない。
 いきなり大きな試練が待ち構えていて、カタールは、2004年に中国で開催されるアジアカップの本大会に、なんとしても出場しなければならないのである。
 トルシエは、4年に1度開催される、アジア版のヨーロッパ選手権とも言うべきこの大会を熟知している。日本代表チームの監督として、2000年10月にレバノンで開催された同大会で優勝した経験があるからだ。
 しかし、カタールが入った予選グループBを突破するのは困難な仕事で、来年夏に中国で行われる本大会に出場するには、パワフルなクウェート、それより力は落ちるもののシンガポールやパレスチナを破らなければならない。予選は 9月から10月にかけて行われるので、トルシエは大急ぎでベスト・チームを編成しなければならないのだ。

 先月、フランスで開催されたコンフェデレーションズカップの期間、私は何度かトルシエと話す機会を得た。
 私は、トルシエがカタール代表監督の仕事に一心不乱に打ち込み、選手たちが経験したこともないような緊張感をチームに持ち込むのは間違いないと思っているが、当時のトルシエはヨーロッパのクラブから好条件のオファーがなかったことに、とてもがっかりしていた。
 トルシエは、フランス、スコットランド、アイルランド共和国の各代表の監督候補にあがっていたし、昨年は中国代表の監督に就任する可能性もあった。中国は、日本代表チームと同じ手法で、若くダイナミックな一群の若手選手を発掘し、鍛えてもらうことをトルシエに望んだが、トルシエ自身は同じことはしたくないと考えていたようだ。
 トルシエはエリートの仲間入りがしたかった。とりわけイングランドのプレミアリーグで、アーセン・ベンゲルや、悪くてもジェラール・ウリエくらいの成功はしたいと思っていた。

「イングランドから要請があると思っていたけど、市場が完全に冷え込んでいるね。どのチームも監督を替えようとしないんだからね」トルシエは、今でも諦めきれないようであった。意中のクラブはトットナム・ホットスパーであったが、グレン・ホドルの留任が決まっていた。
 フランス、スペイン、イタリアのクラブでも良かったのだろうが、エジプト、リビア、イラクからの要請は拒否していた。
 しかし、トルシエはカタールを選んだ。カタールの国内リーグは現在、注目の的である。10年前のJリーグ発足当時と同じように、大物選手が次々と入団しているからだ。
「カタールも悪くないさ」と懐かしのトルシエ・スタイルが出た。
「カルロス・ケイロスも、4年前はアラブ首長国連邦の監督だったけど、今はレアル・マドリードの監督だ」
 来年のアジアカップか2006年ワールドカップの予選で、カタールが日本と対戦するとしたら?
「僕はプロフェッショナルだから、自分が指揮するチームが日本に勝って欲しいと思うだろうね。負けてやろうなんて思わないよ」とトルシエ。
「でも、変な気分だろうね。僕は日本の強さを知っているし、日本の選手は僕の監督術を知っている。僕には、日本の選手はみんな自分の息子みたいに思えるし、4年間ともに過ごしたことは、忘れられない思い出だからね。」
「さあ、新しい冒険の始まりだ!」

 日本には今なお彼を批判する者はいるが、私はトルシエには是非ともアラブ湾岸の国で成功して欲しいと願っている。

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日本サッカー界に小細工はいらない

2003/07/14(月)

先週土曜日(7月5日)に東京・国立競技場で行われたイベントに私はショックを受け、そしていささか心配になった。
そのイベントとは清水エスパルス対横浜Fマリノスのリーグ戦である。試合は後者が1−0で勝利を収めた。
形式上はエスパルスのホームゲームであり、スポンサーのJALは3万人をこえる観衆を集めるのに力を尽くした。これはJALの努力のたまものであり、スタジアムはまるでオランダ代表戦のようにオレンジを身に付けたサポーターで埋まった。
とは言え、私が気に入らなかったのは、安っぽい小細工である。

例えば、選手交代の際には音響システムから音楽が騒々しく鳴り響き、まるでヘビー級ボクシングのタイトルマッチのように選手を紹介する。
正直、最悪だと思った。ファンには、シンプルで控えめなアナウンスで十分である。
エスパルスのサポーターは魅力的なメロディーと多くの応援歌で有名である。しかし私が思うに、クラブ側は少々ハメを外し過ぎたようだ。
エスパルスがコーナーキックを得た時などは、大スクリーンに「ゴール、ゴール」の巨大な文字が点滅した。どうも観衆を煽ろうとしていたようだ。
言うまでもないが、こんなことは不必要だし、さらにはゲームに集中しなければならない選手への妨害である。
誰もがコーナーキックだとわかるし、攻撃側のチームのファンはコーナーキックになれば期待と願いをかきたてられるものだ。
いくつかのクラブがこうしたアメリカ的なお祭り騒ぎを熱心に取り入れようとする理由は私にも理解できるが、サッカーには必要ないものだ。
私はJリーグに、こうしたものはゲーム自体に何の益をもたらさないと強く訴えたい。

そういえば、1996年に初めて京都パープルサンガの試合を見に行った時の出来事を、忘れられない。
「キィーーーック オーーーーーーーーーーーーフ」という間の抜けたアナウンスを聞いた時、私はスタジアムの席から転げ落ちそうになったものだ。
これは英語の「キックオフ」のアメリカ語である。
このアナウンスは、まるで初めて試合を見にきて試合開始がわからないファンがいた時のため、もしくはピッチ上でウォームアップに余念の無い選手達のためとばかりに、試合開始と、後半開始に行なわれた。

Jリーグよ、一体何をやっているのだ。
こんなナンセンスなことはやめてくれ。
これこそ真のサッカーファンを・・・そう、今や日本中に溢れる真のサッカーファンをバカにする行為に他ならない。

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カフーなんて、知らない

2003/07/10(木)

横浜F・マリノスのファンは、ブラジル人ディフェンダー、カフーの新しいスペルを発見した。
現在、マリノス・ファンは、カフー(Cafu)を“Caf-Who”と綴っているそうだ。
そう、これは英語のジョークで、言葉遊びの類いだが、私なりにこのジョークを翻訳してみよう。
意味は明白で、カフーがF・マリノス入団を拒否したおかげで、現在アジアで有数のオールラウンド・プレーヤーがJリーグに復帰できるようになったということだ。
それはもちろん、柳想鐵(ユ・サンチョル)のことである。私にとって、柳は韓国のブライアン・ロブソンである。つまり、マンチェスター・ユナイテッドとイングランド代表の伝説のスターと比較するほど、彼を評価しているのである。
柳はどのポジションでもプレーできる。おそらくGKだってできるだろうが、土曜日の夜、東京・国立競技場で行われた、清水エスパルス戦ではライトバックを務め、横浜への復帰緒戦を飾った。

試合開始1分、柳は右サイドのコーナーフラッグ付近から素晴らしいクロスをエスパルスのゴール前ファーサイドに供給した。さらにその後、マリノスのペナルティー・エリア内の奥深くで、トゥットがヒールキックしようとしたボールを奪った。
柳は背番号2のジャージを着ていたが、これはクラブがカフーのためにとっておいたものであった。
しかし、ワールドカップの覇者、ブラジル・チームのキャプテンは契約から手を引き、横浜は彼の代わりに柳を獲得した。
土曜日のゲームのあと、マリノスの岡田武史監督は新たに獲得した選手に満足そうであった。

「本当に驚きました。チームのメンバーとの練習は4日しかやっていませんでしたからね」と岡ちゃん。
「彼が、(ディフェンスの)サイドでもプレーできるとは知らなかったけど、完ぺきだった! とても満足していますよ」
つまり、岡田監督はカフーのことなんか完全に忘れてしまったのである。それで、Caf-Who? というわけだ。
「カフーには、プロはこうあるべきだというものを見せて欲しかったけれど、柳想鐵のほうが、使いやすい選手ですね。いろんなポジションでプレーできますから。」
「日本のサッカーを知っているし、マリノスには親しい選手もいる。チームにとってはとても貴重な新戦力です」

岡田監督によれば、柳は当分の間、ケガで欠場中の波戸康広に代わってライトバックのポジションに入る予定だが、チーム内に新たなケガ人が出た場合には他のポジションに入る可能性もあるらしい。
「メンバーが揃えば、ウチもそんなに悪くはない」と岡田監督は謙遜する。
「でも、ケガ人が1人でも出たら、チーム全体のパフォーマンスが落ちてしまう」

この点に関して言えば、フィールドの10あるポジションのどこでも任せられる、柳を獲得したのは申し分のない補強であった。
柳はダイナミックな選手で、現在アジアでプレーする最高のアジア人選手だろう。昨年、柏レイソルが退団を認めたあと、どうしてヨーロッパのクラブに入団しなかったのかが不思議でならない。
ヨーロッパの移籍市場が冷えきってしまったのが、おそらく原因なのだろう。クラブが、ワールドカップのセミファイナリスト獲得に見合った金額、あるいは柳本人の能力や経験に見合った金額を払えなくなってしまったのである。
ヨーロッパの損失はJリーグの利得である。
もっと具体的に言えば、それはマリノスの利得である。
カフーなんて、知らない。

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柳沢よ、リラックスしてチャンスをものにせよ

2003/07/06(日)

人気ストライカー、柳沢敦が来週鹿島アントラーズからサンプドリアへ1シーズンのレンタル移籍をし、海外移籍組の仲間入りをする。
ジュビロ磐田ファンも含め、全ての日本人のファンが彼の活躍を祈っていることだろう。もちろん私もその中の一人である。柳沢は過去数シーズンに渡って、私のお気に入りの選手の一人だった。
私はこれまでも、多くの場面で彼のいわゆる「決定力不足」を取りざたす他のジャーナリストから擁護してきた。
そう、確かに柳沢はこれまで何度か決定的な場面でミスしてきた。しかしそれはどのストライカーだって同じだ。あのペレでさえ全ての場面で得点していたわけではない。
最も重要なポイントは、次のチャンスにどう活かすかだ。

柳沢のフォワードとしての総合的な評価は悪くない。
土曜日に鹿島で行われる対ジュビロ戦以前、177試合に出場して70回の「アツシゴール」を決めている。
ストライカーの合格点が3試合に1得点と言われるなか、彼は2.5試合に1得点である。
すなわち、統計的には柳沢は優れていると言える。
ただし、この記録はあくまでイタリアと比較してディフェンスの甘い、Jリーグでのものである。
もし柳沢がイタリアで成功したいと思うなら、なすべき事は一つ。得点を重ねる事である。
しかし、世界屈指の百戦錬磨、巧妙なディフェンス相手では決して簡単な事ではない。
サンプドリアはセリエA再昇格を果たしたばかりで、来シーズンの目標は昨シーズンのレッジーナのように、リーグに残留することである。
柳沢がチームになるだけ長く残り、彼自身の居場所を確立させるためには、最初のシーズンに8〜10得点を目標とすることは決して多すぎない。

柳沢にはイタリアでうまくやっていけるだけの資質がある。
ボールを持たない場面でもよく走れるし、ディフェンダーをポジションから引きずり出す事もできる。また、瞬発力も素晴らしい。
さらには、左右どちらの足でも、またヘッドでも決める事ができるし、何よりペナルティエリアで恐れ知らずだ。
もしイタリアでチャンスが到来したら、柳沢は落ち着いて得点を焦らないことだ。
例えばガブリエル・バティストゥータのような偉大なストライカーの証は、ゴールが見えたらパニックになるのではなくリラックスする事なのだ。
だからヤナギよ、落ち着け。サンプドリアのサポーター達が「アツシゴール」の歌を歌う日も近い。

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称賛よりも勝利を

2003/07/03(木)

 正直なところ、私はコンフェデレーションズカップでの日本代表の戦いぶりには納得がいかなかったのだが、ともかくフランスでの2週間の滞在を終え、東京に戻ってきた。
 コロンビアに1−0で敗れて日本チームが大会の途中で帰国したあとも、中立の立場の専門家から聞こえてくるのは、好意的な意見ばかりであった。
「日本は準決勝に進出できるだけの力はあった」と言う人がいた。
「日本はあまりにも運がなかった」という意見もあった。
「日本は今大会でも屈指の素晴らしいチームであった」と言う人さえいた。
 土曜日、パリで開かれ、大勢の記者が出席した記者会見で、FIFAのジョセフ・プラッター会長は、大会では「素晴らしいサッカー」を見ることでき、個人的には、トルコと日本が、そのプレーと「斬新な」チームワークで印象に残った、と述べた。

 その翌日、私はフランス競技場で決勝戦を観戦した。その日は、記者全員による大会最優秀選手の投票も行われ、イングランドから来た同僚は中村俊輔に投票していた。
「中村は1試合半しか出場していないのに?」と私は訊ねた。
「うん。でもフランス戦でのフリーキックは、この世のものとは思えなかったからね」というのが答えであった。
 そう、その点には同意しよう。中村俊輔のフリーキックはまさに驚異であった。力の入れかたも、精度も申し分なく、ファビアン・バルテスもお手上げであった。実を言うと、私はあのフリーキックは遠藤保仁が蹴るだろうと思っていた。左利きの中村より、右利きの選手が蹴ったほうが角度的に良さそうだったからだ。
 おそらく、あのフリーキックはジーコ・ジャパンを象徴するものであったのだろう。すべてが、個人の能力によるものであったから。

 最優秀選手の投票に話しを戻すと、私は1番目にティエリ・アンリを選び、その次にトルコの背番号20の守備的ミッドフィールダー、セルクク・サヒンを選んだ。サヒンは若干22歳ながら、その成熟度と落ち着きぶりは見事なもので、これから長く国際舞台で活躍する選手だと思えた。
 3番目には、中田英寿を選んだ。身内びいきだと思われるかもしれないが、中田はやはり日本になくてはならない存在であった。
 個人的な意見では・・・まあ、MVPの投票はこれが全てなのだが、私は選手としての格でも、実力でも、中田はMVPに値する選手だと思った。
 残念だったのは、キャプテンの中田が経験の少ないチームメートを懸命に励まし、引っ張ろうとしていたにも関わらず、日本チーム全体は中田個人の才能に見合うプレーを見せられなかったことだ。

 日本に戻り、コンフェデレーションズカップの結果をホームではどう受け止めているかを見たが、日本のファンの反応はフランスの専門家の意見よりはるかに現実的で、合理的であり、ジーコは代表監督として現在も様々な課題を抱えたままであると感じさせるものであった。
 ホームで戦う、8月のナイジェリア戦、9月のセネガル戦、11月のカメルーン戦は、ジーコの今後にとって重要なゲームとなるだろう。
 フランスでの戦いは失敗であり、成功ではなかったのだ。

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