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2003年6月

中田は素晴らしいがアーセナルに空きはない

2003/06/30(月)

 アーセン・ベンゲルはとても人目を引く。
 背が高く、スリムでハンサム、そして成功者の輝きを持っている。ベンゲルは常に引く手あまたである。
 1996年に名古屋グランパスエイトからアーセナルへ移り、イングランドに新風を送り込んだ。
 知性があり、明確で、教養もある。それはまるで平均的イギリス人サッカー選手像とは正反対で、彼の最大のライバルであるアレックス・ファーガソンのようなラフでタフなスコットランド人とは明らかに違っている。

 準決勝のフランス対トルコ戦では、私はスタッド・ドゥ・フランスの観客席の上段に座っていたが、そこからでもテレビ局のクルーと話したり、知人と握手をしているベンゲルの姿がよく見えた。
 どういうわけか、チケットやパリの地図、ノート、メンバー表や試合結果表などを入れたカバンを失くしてしまい、インタビューエリアに入れなかった私が試合後にベンゲルと1対1で話をできたのは本当に偶然の事だった。

 壁際で二人の中国人ジャーナリストに捉まっていたベンゲルの姿を見かけた時、私のそれまでの憂鬱な気分は吹き飛んだ。
 彼はすばやく私を見つけると、二人をかきわけて私の方へ歩み寄り握手してきた。そしてそのままその場所を後にしたのは言うまでもない。
 すでに彼はインタビューで話し疲れていたうえに、車も待っていたので長話はできなかったが、中田英寿や日本代表について非常に興味深い話を聞くことができた。
 中田英寿は本当にアーセナルへ移籍するのだろうか?
「チームにはすでに10人のMFがいるんだ。中田をどこでプレーさせるって言うんだい?もっと現実的に見てもらいたい」彼はそう言った。
「どのチームだって選手は多すぎるくらいなんだ。需要がないよ」
 そこで私は中田がプレミアリーグで成功できると思うか尋ねてみた。
「もちろんだとも。昨シーズンと比べても彼はタフになったし、成長したよ」ベンゲルは断言した。

 かつて、代表監督は隠居の仕事だと私に話したベンゲルは、フジテレビで放映したサンテティエンヌでの日本対フランス戦の解説をした。
 その試合が彼個人の見た唯一の日本戦だったが、彼は日本代表の素晴らしい試合に感心した、いや、むしろ日本はフランス相手に頑張りすぎて、引き分けで良いコロンビア戦に0−1で負ける羽目になったのだとベンゲルは語った。
 私が思うに、おそらくベンゲルはフィリップ・トルシエと話したに違いない。3−0でニュージーランドに勝利した日本は、すべてのエネルギーをコロンビア戦に温存しておくべきだったとトルシエは言う。トルシエは日本代表が同じメンバーで最初の2試合を戦ったのは大きな間違いだったと語った。
 また、彼は日本体表を評して「ビーチサッカー」と言う。プレーしたり観戦したりするのは楽しいが、規律も組織もないと・・・。
 相変わらずトルシエは喋り続ける。
 しかしもうスペースも残り少ない。この続きはいずれまた。

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ジーコの不平は聞きたくない

2003/06/26(木)

 日本代表の選手名がコンフェデレーションズカップの試合を見に来た観衆に発表されても、地元のファンにとってはほとんどが知らない名前であった。
 しかし、監督の名前が読み上げられると、フランス人のファンはジーコに喝采を贈った。
 もちろん、喝采は監督としてではなく、選手時代の名声に対して贈られたものであり、とくに1986年ワールドカップでのフランス対ブラジルの名勝負を讚えるものであった。
 ジーコが、選手時代の能力とワールドカップでの活躍により、世界中で尊敬されているのは確かだ。
 それゆえに、サンテティエンヌでフランスが日本を2−1で破ったあと、彼がワールドカップのもう一人のヒーロー、ミシェル・プラティニに向かって大声で文句を言う姿を見て、いたたまれない気分になった。
 ジーコには、FIFAが割り当てたレフリー、とくにニュージーランド戦のコフィ・コジア氏(ベナン)とフランス戦のマーク・シールド氏(オーストラリア)が不満であったらしい。
 いわゆるサッカーの発展途上国出身のレフリーを選ぶなんて、FIFAは国際大会で日本を軽んじている、というのがジーコの言い分だ。

 試合後、最初はプラティニを相手に、そしてメディアを相手に、ジーコは感情をあらわにした。さらに、翌日の練習後もメディアを相手に同じことを繰り返した。
 もっとも私は、ジーコがかくも怒りをあらわにしたのは負けたチームの監督がよくやる類いの負け惜しみであり、日本のファンにはあまり良い印象を与えなかったと思う。
 コジア氏は力不足であったかもしれない。さもなければ、ニュージーランド戦の32分、ダイビングをしたアレックスに2枚目のイエローカードを出してしかるべきであった。アレックスは試合早々のファールでイエローカードを1枚もらっていたので、欺瞞的行為で2枚目のイエローカードが出されていれば、退場処分となっていたのである。
 おそらく、10人になっていても、日本が弱体のニュージーランド代表に敗れることはなかっただろうが。

 フランス戦では、右からのコーナーキックの場面でジャンアラン・ブームソングが倒れ、フランスにペナルティー・キックが与えられた時、レフリーは厳しすぎると思った。
 しかし、テレビのリプレーでは、ブームソングが稲本に妨害されている姿がはっきり映し出されていた。稲本は、コーナーキックに合わせようとしていたフランス人選手の体に両腕を巻き付けていたのである。
 レフリーは適切な位置におり、日本にとって残念なことに、レフリーの判断は正解であった。
 稲本にはイエローカードが出され、ニュージーランド戦でも1枚イエローカードをもらっていたため、コロンビア戦は出場停止となってしまった。

 ジーコがレフリーについて文句を言っているのを聞いていると、悲しい気分になってしまう。
 今回のコンフェデレーションズカップの成績は、日本のスタッフにはまだまだ学ぶべきことがたくさんあることを示すものであった。

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コンフェデ杯は4年に1度にすべき

2003/06/23(月)

そもそもコンフェデレーション杯など無ければ良いと思っている人は少なくない。
ニュージーランドと日本を除くほとんどのチームはベストメンバーではない。さらには主催者側でさえ、大会の盛り上げに苦心している。
1998年のワールドカップを観戦した際に得た、途方もない情熱と感動と比べるまでもないのは致し方ない。
どのチームも多くのサポーターが来るわけではないが、ただトルコからは木曜夜の対アメリカ戦に12000人もの熱狂的なサポーターが応援に駆けつけた。
トルコ人はいたる所に溢れており、彼らのチームへの愛着は強い。
カメルーンからもパリで行なわれた対ブラジル戦、1−0の勝利に多くのサポーターが駆けつけた。しかし、これもほとんどが現地に住んでいるカメルーン人である。

日本について言えば、いくつかの少人数のグループが歩き回り、フランスのカフェ文化に浸っているのを見た。これは時間つぶしにはもってこいで、街角のちょっとした広場で太陽を浴びながら座り、ミネラルウォーターやコーヒーを飲みながらクロワッサンを楽しむ。
金曜日の朝、私はサンテティエンヌの中心街へ日本円をユーロに換金するために出かけたのだが、ステージが用意されており、風のない夏空に日本とフランスの旗が掲げられていた。
1998年の時に比べるとチケットの入手も簡単だが、試合が始まってもそうそう多くの日本人が来るとは想像できない。
当時、購入したチケットを安く売ってくれた現地の善良なフランス人たちのお陰で、多くの日本人サポーターは無駄な出費をせずにすんだ。

今回は食事、みやげもの屋、宣伝、交通、ホテル等に、少々難があった上、さらに一番重要なFIFAのサービスが欠けていた。
全てがお金と手間をかける事なく行なわれたようだ。
こうまでして何故FIFAはこの大会を開催するのだろうかと思ってしまう。
コンフェデ杯は4年に1度で良いと思う。特に、2001年に韓国と日本で行なわれたように、ワールドカップの前年に行なわれるべきではない。
本番前のリハーサルとしては良いのだろうが、独立した大会としては不適格だろう。

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オセアニア・チャンピオンの実力拝見

2003/06/18(水)

 コンフェデレーションズカップでの日本代表の緒戦は、水曜日の夜、フランス競技場のニュージーランド戦となるが、日本が勝利するであろうというのが大方の予想である。
 しかし、オセアニアのチャンピオンが日本を苦しめたとしても、驚くには値しない。
 これは、火曜日の午後、パリで開かれた記者会見でFIFA会長のジョセフ・ブラッター氏が述べた見解だ。
 オセアニアのチームはどこも強くなるとブラッター氏が確信するに至った主な根拠は、オセアニアが2006年ワールドカップの出場枠を1つ確保したということである。
 これまでオセアニア連盟のチームがワールドカップ出場権を得るには、他の連盟のチームとプレーオフを戦う必要があった。相手は、あるときには南米のチーム、またあるときにはアジアのチームで、ヨーロッパのチームと戦わなければならないときもあった。
 しかし、2006年の大会から、オセアニアには32の出場枠の1つが与えられることになり、プレーオフを戦う必要はなくなった。

「出場枠が与えられたことは、オセアニアの各国にとって大きな刺激となり、サッカー・レベル向上の誘因となるでしょうね」とブラッター氏。
「オセアニアは当然のものを得ただけなのです。ワールドカップの出場枠という当然のものをね。
「ワールドカップ以外のFIFA主催の大会では、オセアニアはずっとチームを出場させていました。ですから、ワールドカップでも出場枠を得るべきだというのは、論理的に当然の帰結なのです」

 ニュージーランドは、地域の強豪国であるオーストラリアを破るために強いチーム作りを熱心に進めており、コンフェデレーションズカップをチーム作りの第1歩と位置づけている、とブラッター氏は感じているようだ。
 だから、日本チームも用心しなければならない!
 先日、私は神戸ウィングスタジアムでU−22ニュージーランド代表が日本に4−0で敗れた試合を観戦し、ニュージーランドのサッカーはまだまだ発展途上だという感想を抱いた。
 ニュージーランドの選手はボールを持ったときの動きがぎこちなく、敏捷で、テクニックに優れた日本選手とは厳然たる差が見られた。
 しかし、水曜日の夜の日本戦では、ニュージーランドにはとても有利な点が1つある。これは、月曜日の練習のあと、稲本潤一も指摘していた。
「ニュージーランドは、長身の選手が揃っています」と稲本。
「僕は181cmで、日本代表ではいちばんの長身ですが、ニュージーランド代表では平均身長が185cmですからね。
「ビデオでスコットランドとの試合(1−1)を見ましたが、コーナーキックとフリーキックは無茶苦茶怖いなあと思いました。ですから、充分に気をつけないと」
 稲本の言う通りだ。
 自分たちの実力をアピールしたいキーウィ(ニュージーランド代表)にとっては、大会の第1戦は願ってもないチャンスである。
 それでも私は、新チームは多くの点で経験不足であるとしても、好選手の揃った日本がニュージーランドに負けることはないだろうと思っている。
 日本代表の練習はまだまだリズムやパターンが欠けていたが、日本がオールホワイツに負けるとはどうしても思えないのだ。
 日本が勝つだろうが、接戦になり、スコアはおそらく1−0だろう。

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ヒデのイングランド移籍を歓迎するイナ

2003/06/15(日)

 もし、皆さんの中に中田英寿がイングランド・プレミアリーグではうまくいかないと思っている方がいらっしゃるとしたら、この稲本潤一の言を聞くと良い。
 イナは過去2シーズン、最初のシーズンはアーセナル、そして昨シーズンはフルハムと、イングランドで過ごした。そして来シーズンもガンバ大阪からのレンタルとしてイングランドに残留する。
 中田がチェルシー、アーセナル、そしてマンチェスター・ユナイテッドとの契約は近いとの報道が飛び交う中、私は大阪でのトレーニングキャンプでイナにこの状況について尋ねる機会を得た。
 インタビューは全て英語で行われた(インタビュアーの日本語の下手さはさておいて)。

「イナちゃん、ヒデはプレミアリーグでうまくやっていけると思うかい?」
「当然だよ」イナはそう答えた。
「それはなぜだい?」
「なぜって、とっても良い選手だし、イタリアでだって結果を出しているでしょう」イナはそう言う。
「スピードがあってフィジカルなプレミアリーグでもいけると思うかい?」
「まったく問題ないよ、彼のスタイルはプレミアにピッタリだと思うよ」
「彼にイングランドに来てもらいたい?」
「もちろんだよ。だってプレミアリーグはリーグもファンも素晴らしいからね。プレミアリーグで成功するといいね」イナはこう締めくくった。

 イタリアに移籍して5年、どうやら中田も新天地へ移る時が来たようだ。
 私もイナ同様、中田はラフで荒いプレミアリーグのサッカーには何の問題もなく適応できると思っている。
 中田はスピードがあり、タフで、大胆だ。更にいくつものポジションをこなす事ができる。
 怪我で小野伸二を欠く日本代表だが、中田は他の代表選手と比較するとまるでどこか他の惑星から来た選手のようにさえ見える。
 彼は完成された、また責任感あるリーダーであり、そして熱狂的ともいえるフィットネス愛好家だ。大阪での対アルゼンチン戦の翌日、先発メンバーは練習を休む事を許可されたにも関わらず、中田はピッチを何往復か走り、ストレッチを繰り返していた。

 今のところチェルシーが移籍先として有力視されているが、私はそう、あのマンチェスター・ユナイテッドへの移籍もありえると思う。
 考えてみると良い。マン・Uはベッカムをレアル・マドリードかバルセロナに3000万ポンドで放出し、そしてヒデをパルマから1000万ポンドで獲得する。
 マン・Uは右ウィング、センターMF、もしくはファンニステルローイの後方を任せられる優秀なチームプレーヤーを得るだけでなく、シンガポール、タイ、マレーシア、インドネシアそして香港で人気があるマン・Uがさらに極東で、巨額の利益を得る事のできる選手を獲得することになる。
 サッカーをビジネスと捉えた場合、中田はユナイテッドにとって最適と言えるのだ。

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昨年の日本代表は、遥か昔のことのよう

2003/06/12(木)

 1週間前はずっと昔、というサッカーの格言がある。
 もしそうなら、1年間は永遠のように思える。
 日曜日の夜、長居スタジアムから長居駅まで歩きながら、そのようなことを考えた。
 日本はアルゼンチンに1−4で完敗。試合では、1年前のワールドカップで披露してくれた気迫、プロとしての姿勢、ダイナミズムは微塵も見られなかった。

 憶えておられるだろうか。日本がチュニジアを2−0で破ってグループ首位の座を獲得し、日本サッカー史上初のセカンドラウンド進出を決めたのは、同じ長居スタジアムであった。
 あの日、森島と中田英寿のゴールで国中が歓喜の嵐に巻き込まれた。
 しかし現在では状況はうってかわって、ファンは静かに帰途につこうとしていた。私が何より驚いたのは、ファンがことさら落胆しているように見えなかったことだ。
 まるで、カンビアッソ、アイマール、サビオラらに率いられたチームが相手なら、こんな負け方をしても当然だ、とファンが予測していたようだった。
 ただし、心しておかなければならないのは、相手は事実上アルゼンチンの控えのチームであり、ディフェンダーのサミュエルやアジャラ、ゲームメーカーのベロン、レフトウィングのソリン、フォワードのクレスポとクラウディオ・ロペスが欠場していた。
 しかし日本も後半の開始から15分程度はアルゼンチンを圧倒することができた。その時間帯には不屈の秋田豊がヘディング・シュートを決めて1−2とし、前半のサビオラとサネッティの見事なゴールによる2点差を1点差に縮めた。

 サネッティのゴールは素晴らしいの一語で、両チームの実力差をまざまざと見せつけた。
 まず、アルゼンチンは日本の左サイドにいた中田英寿に殺到し、ボールを奪うと、あっさりと突破して見せた。それから、サネッティが交わしたのか、突破したのか、まるで稲本がいなかったかのような動きで突進し、サビオラにパス。
 サビオラのリターン・パスは効果抜群で、森岡を誘い出し、外側から回り込んだサネッティがノートラップで蹴り込んだボールは、楢崎も止めることができず、ゴールの上隅に突き刺さった。

 1−4の敗戦に対するジーコの対応は、次のパラグアイ戦では楢崎と中田英寿を除きチームを総入れ替えするというものだった。
 これも憂慮すべき事柄だが、ともかくパラグアイ戦がコンフェデレーションズ・カップを前にした最後の調整試合となる。
 もし日本がパラグアイ戦で良い内容を見せたとしても、ジーコは選手選考でさらに悩むことになるだろう。

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小野と大久保の欠場、それぞれの事情

2003/06/09(月)

 金曜日にジーコ監督がコンフェデレーション杯代表メンバーを発表した。その内容は納得と驚きの入り混じったものであった。
 小野伸二は日本代表としてフランスへは行かない。これは寂しいことだが仕方の無いことだ。
 このことは十分予想されていた。ヨーロッパでの2シーズンを休養なしで過ごしてきた彼は明らかに疲れきっているし、怪我もしている。
 埼玉スタジアム2002で行われた浦和レッズ対フェイエノールトの親善試合後に、フェイエノールトのベルト・ファンマルバイク監督は小野には5〜6週間の休養が必要で、さもなければ今後の彼のサッカーキャリアさえも壊しかねないと語った。
 この件については極めて常識的な結論として、小野は来シーズンに向けて長い夏休みをとれる事となった。

 小野に関する決定は十分予想されたが、ジーコ監督が大久保嘉人を23人の代表から外したことは、大きな驚きであったとともに大きな落胆であった。
 先週土曜日の日韓戦、途中交代で日本代表としてのデビューを果たした時、大久保はフォワードラインにエネルギーと活力を与えたし、彼の選出は間違いないと思われた。
 個人的には、これはジーコ監督にとって大久保や、さらには石川直宏をフランスへ連れて行き大きな国際大会を経験させる良い機会だったと思う。
 今の日本代表が必要としているのは新しい力である。しかしジーコ監督は、チームとしていつか一つにまとまってくれるだろうとの期待だけで結果を出せない選手に固執している。

 金曜日の午後、コンフェデレーションズ杯の代表メンバーが発表された直後に、セレッソ大阪のトレーニンググラウンドで行われた日本代表の練習風景は興味深いものがあった。
 練習試合では、大久保のダイナミックな動きに中山、鈴木、そして永井といったコンフェデ杯代表選手達がかすんで見えた。大久保のスピードと積極的な走りに彼らは立ち尽くすしかなかった。ジーコ監督も明らかに彼を気に入ったようであった。
 それだけに、なぜジーコ監督が大久保を外したのか、驚きはさらに大きくなった。
 高原と俊輔は両名とも欠席で、月曜日にチームに合流する。
 フランスでの予選突破を目指すのであれば、日本代表にとって高原が体調万全であることが必要不可欠である。
 高原・大久保のコンビというのもディフェンダーにとってはやりづらかったのではなかろうか?

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後退するジーコ・ジャパン

2003/06/05(木)

 日韓戦は、日本のファンにはおもしろくない試合だったのではないだろうか。
 私は、韓国は充分勝利に値する内容だったし、1−0というスコアは日本とって幸いだった、と思う。
 日本は、2−0あるいは3−0で負けていてもおかしくない内容であった。
 実際、後半の半ば、シュートを決めようとしていたユ・サンチョルのシャツを森岡が明らかに引っ張った場面で、レフリーが順当にペナルティー・キックを韓国に与えていれば、スコアはもっと開いていただろう。

 月曜日、私は東京・品川のホテルで開催されたワールドカップのシンポジウムに出席して、懐かしい顔に会った。アジア・サッカー連盟事務局長のピーター・ヴェラパン氏だ。
 週末は別のワールドカップ1周年記念行事に出席するために、氏は韓国にいて、日韓戦はテレビで観ていたという。
 2002年のワールドカップでFIFAのコーディネーターを務めたヴェラパン氏は、「特に後半、日本チームに組織力、気迫が欠けていたことにはまったく驚いた」そうだ。
 ヴェラパン氏は、アルゼンチンとパラグアイと対戦する、これからの2試合は日本代表にとって「きわめて重大」である、とも述べた。
「日本代表は、規律、まとまりとともに、戦術の一端を披露しなければならない時期に来ています。日韓戦では何も見られませんでしたからね」

 ジーコ・ジャパンを注意深く追いかけてきた者なら、ヴェラパン氏の論評に驚くことはないだろう。戦術や組織力が育まれていると感じている者は、ほとんどいないからだ。
 それ以上に問題なのは、実は、日本代表に気迫、情熱が欠けていたことである。
 この点は試合終了を待つまでもなく、試合中でもはっきり分かった。
 選手たちは援助、アドバイス、指導を求めるばかりで、自発的なものは何も見て取れなかった。

 キリンカップに目を向けると、注目は中田英寿と高原直泰に集められるだろう。
 何よりも、この2人はチームにとって、そしておそらくジーコにとっての救世主と見られるだろう。
 しかし、一部の選手に過度に依存するのは、ジーコ・ジャパンが進もうとしている方向が、トルシエ・ジャパンとまったく正反対であることを意味する。
 ヴェラパン氏は2人の監督を比較しようとはしなかったが、日本はJリーグから無名の若手選手を抜擢してみてはどうか、という意見は述べていた。
 2006年ワールドカップの予選が始まるまでの今後1年間は、実験期間として考えても良いのではないかとヴェラパン氏は言う。そうすれば、ワールドカップの2年前には、少なくとも30人の代表候補が持てるようになる。
 氏の発言は、ジーコの指揮で5試合を戦い、前進ではなく、後退しつつある日本代表にとって、良きアドバイスであるように思える。

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秋田と崔、日韓の柱

2003/06/02(月)

 伝統の一戦、日韓戦が近づくにつれ、テストステロンの分泌が盛んになりテンションもあがる。
 この試合には両者とも負けられない。勝者は母国にもたらした国家威信に胸を張るだろう。
 敗者は傷を舐めながら敗走し、次回の雪辱の機会を待つことになる。
 こうした激しい対抗心が背景にありながらも、金曜午後の東京国立競技場では心暖まる1シーンがあった。

 日本代表はチームの練習時間を終え、ミックスゾーンと呼ばれる取材を受ける場所を通りチームバスへと向かっていた。
 ちょうどその時、韓国代表が到着し、日本に続いてピッチへ上がるために粛々と更衣室へと向かって歩いていた。
 突然、秋田豊の前に見覚えのある顔が見え、彼は「ヨンス!」と声をかけた。
 ジェフ市原でプレーしている韓国代表の要、センターフォワード、崔龍洙も一瞬この声に驚いたようだったが、チームメートから離れ秋田に近寄った。
 二人は握手を交わし、笑いながら土曜日のお互いの健闘を誓い合った。

 ピッチ内外を問わず日本で崔の笑顔を見る機会はそうあるものではない。特に試合中の彼は得点する事だけに集中しているからだ。
 だからこそ彼はチームから高給を支払われているわけで、彼もゴールする事でこれに応えている。今シーズンだけでも既に彼は9得点をあげ、得点ランキングをリードしている。
 崔も秋田もお互いの力をよく知っている。そして、お互いのできが試合結果を大きく左右することも知っている。
 これはまさに恐れを知らないディフェンダーとフォワードの典型的な戦いであり、両者はお互いのライバルに打克つために己の全てをぶつけ合う事になる。

 崔は日本戦での得点を何よりも欲しているし、今シーズンあげた9得点と土曜夜の勝利を交換しても惜しくないと思っていることだろう。
 また、ベテラン秋田もアンドラーズの誇るベストディフェンダーとして、フォワードとの激しく果敢な争いを何よりも求めている。
 照明に灯がともり、ホイッスルが吹かれ、そしてスタジアムが青色に染まった時、両チームからそれまで交わした笑顔は消える。
 金曜午後に秋田のとった行動は試合の格好の広告になっただけでなく、また秋田のフェア精神と人間性をも表した出来事だった。

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