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2003年5月

延長戦廃止に拍手!

2003/05/29(木)

 J1リーグは、代表チームの試合が控えているため、6週間の中断期間に入った。
 第1ステージの第10節を終わって、ジュビロ磐田が勝ち点21で首位。ジェフユナイテッド市原(勝ち点20)、鹿島アントラーズ(同19)、名古屋グランパスエイト(同18)がこれに続き、さらに横浜F・マリノスと柏レイソルも勝ち点17を挙げている。
 つまり、勝ち点4の差で上位6チームがしのぎを削っており、7月5日のリーグ再開から劇的なクライマックスに至るのは必至の状況である。
 観客数も増加している。
 合計で135万2,973人のファンが開幕からの10節を観戦し、1試合当たりの平均観客数は、2002年の1万6,368を上回る1万6,912人。
 Jリーグの鈴木昌チェアマンによれば、観客数増加の要因の一つはエキサイティングな試合が増えたことであり、もう一つは延長戦とVゴールを廃止したことであるそうだ。

 私は、延長戦に関する論評では、鈴木さんは的を射ていると思う。
 延長戦を止め、世界のサッカーに合わせてリーグ戦を90分制にしたことは、Jリーグにとって大きな前進であった。
 ファンや、選手とともに、監督やテレビの編成担当者たちも、きっと現在の制度に感謝していることだろう。
 試合が90分で終了すると思えば、監督だって3人の交替選手を戦略的に起用することができる。以前なら、延長戦が頭にあるので、ケガ人が出たときのために交替選手を温存するかどうかが、悩みの種であった。当時、Jリーグでは90分間での交替は3人までで、延長戦では4人目の交替を認めるという制度を採用していたが、これは世界のサッカーの趨勢から完全に逸脱するものであった。
 さらに、新しい制度はフェアーであるとも思う。
 私は、90分間を立派に戦ったのに、延長戦のラッキーなゴールで負けてしまったチームを、いつも気の毒に思っていた。努力はまったく報われず、相手チームだけが勝ち点2を得るのである。

 名古屋グランパスを例にして、考えてみよう。
 グランパスは今シーズン4勝6引き分けで、リーグでは唯一の無敗チームである。
 引き分けの6試合を延長戦で勝っていると仮定したら、現在の勝ち点は24(90分以内で勝った4試合の勝ち点12と延長戦で勝ち点2を獲得した試合が6試合で同じく勝ち点12)。この数字なら、順位表のトップに立つことになるが、90分以内で4試合しか勝てなかったことの言い訳にはならない。
 引き分けの6試合を延長戦で負けていると仮定したら、勝ち点はわずか12で、首位から遠く離れた位置にいることになる。これもまたアンフェアーで、グランパスの安定した実力は上位に位置してしかるべきものでもある。
 グランパスにとっては、4位は妥当な位置なのである。

 延長戦の試合内容は、大味なものになりがちであった。選手の疲労ぶりは、夏の季節にはことさら目立った。決勝のゴールも、見事なプレーから生まれたものではなく、ミスが原因となることがよくあり、ぱっとしない結末となることもあった。
 これからJリーグがすべきことは、2シーズン制の廃止とヨーロッパのような1シーズン制の導入だろう。
 ただし、これはまた別のお話だ。

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サッカーの奇跡

2003/05/25(日)

「神様からの贈り物だよ。たぶん。こんなことはサッカーの中でしか起こり得ないよ」
 これは先週日曜日、豊田スタジアムでベガルタ仙台を2−1で下した名古屋グランパスエイトのスロベニア人監督、ズデンコ・ベルデニックの、ワールドカップにも出場したことのあるオーストリア代表FWイヴィツァ・ヴァスティッチが終了間際に挙げたゴールについてのコメントである。

 試合はまさにヴァスティッチのグランパス最後のホームゲームにふさわしいものとなった。
 ベルデニックの希望に反して解雇されたヴァスティッチのサヨナラ試合は、5月24日、土曜の夜に磐田スタジアムで行われる対ジュビロ戦のはずだった。
 そういうシナリオだった。
しかし仙台戦の76分過ぎ、ヴァスティッチは今シーズン3枚目のイエローカードを受け、ジュビロ戦への出場が不可能になった。
 残り14分、ヴァスティッチはこれがグランパスでの最後の試合であると気が付いた。
 ロスタイムも残り1分となった時、試合は依然として1−1のままであった。
 興奮高まるなか、グランパスは仙台ゴールから30メートルの地点でフリーキックを得た。ウェズレイがヴァスティッチにボールを落とすと、ヴァスティッチは右へ切れ込み、右足でシュートを放った。
 ボールはネットに吸い込まれ、仙台にはキックオフの時間しか残されていなかった。そしてホイッスルが鳴った。
 なんとドラマチックな結果だろう!

 プレス席で、ジャーナリストは常に公平でならなくてはならない。そして感情をあらわにしてはならない。そんな事は十分理解していた。
 しかし、この日に限っては違った。ネットが揺れ歓声が絶頂に達したその時、思わず私は両こぶしを空に突き上げていた事を白状しなければならない。
 だが、このこぶしは名古屋の勝利のためではなく、サッカーの奇跡を祝福したものだ。
 いみじくもベルデニックが言ったように、まったく起こりえないことだった。
 しかし、ヴァスティッチはそれを実現した。そして彼の名古屋における短かいキャリアは忘れがたいものとなった。
 これが世界中にあるサッカーの奇跡なのだ。
 先週土曜日、それがたまたま豊田スタジアムで起こっただけなのだ。

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レイソル復活の兆し

2003/05/22(木)

 柏レイソルの日立柏サッカー場を訪れるのは、いつも楽しい。
 ゴール裏にいる、イエローモンキーと呼ばれる一団のアクションが見られるだけでなく、全体的な雰囲気が格別なのである。
 スタジアム自体がこじんまりしていて、ファンがピッチのすぐ近くにいる。
 イングランドの下部リーグやプロのリーグに属していないクラブを観戦したときのことが思い出される。
 たとえ満員でなくても素晴らしい雰囲気を醸し出すことはできるが、先週土曜日に横浜F・マリノスとの試合を観戦したとき、スタジアムは満員であった(1万2,000人以上の観客がいた)。
 イエローモンキーが一方のゴール裏に集い、マリノス・ブルーがもう一方のゴール裏を占める光景は、地元の人々に支持されるチーム作りを目指してきたJリーグの理念が実現しつつあることを明確に示すものであった。
 試合も見事な内容で、レイソルが3−1で勝利した。

 昨シーズン、レイソルはあとわずかでJ2に降格するところであったが、今は復活の兆しがはっきりと見てとれる。9試合を戦った時点での勝点16は、トップのジュビロ磐田からわずかに4ポイント差。
 横浜戦では、頭脳的かつ精力的な働きを見せた玉田圭司がマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。玉田は、マリノスが2−1と反撃したあとに駄目押しとなる3点目のゴールを決めたほか、ジュシエと新人の谷澤達也が挙げた最初の2ゴールにも貢献していた。

 2000年の第2ステージ制覇を惜しくも逃したあと、急な坂を下るように低迷していったレイソルだが、マルコ・アウレリオ監督は、疲弊し、不調にあえいでいたチームをゆっくり、しかしながら確実に立て直しつつある。
 さらに、日本人の選手たちが、エジウソンがいないことをチャンスと感じているようだ。エジウソンは、昨年夏のワールドカップでブラジルの優勝に貢献したあと、いったんは古巣のレイソルに復帰していた。
 その時期のレイソルを見ていると、まるでエジウソンとリカルジーニョの二人だけでプレーしていて、攻撃陣の日本人選手をみんな無視しているようだった。
 エジウソンが退団したあと、リカルジーニョがチームの中心となっているが、ことあるごとにエジウソンを探していた以前とは違い、今はチームメート全員にボールをパスしなければならない状況である。

 ただし、レイソルの完全復活までにはまだまだ時間がかかるだろう。
 土曜日、レイソルは試合の大部分をアウェー・チームのように戦い、守備を固め、カウンター・アタックを狙い、後半には徹底的に時間稼ぎをしていた。
 このことで、マルコ・アウレリオがまだチームに全幅の信頼を置いていないことがわかるが、チームが向かっている方向に間違いはない。
 ここ数年、レイソルは高価な外国人選手を次々と獲得し、日立からの潤沢な資金を無駄に遣ってきた。
 しかし、ピッチには外国人が3人しかいないのに対して日本人選手は8人いるのだから、地元出身の選手の育成をつねに心がけることが大切なのは自明の理である。

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J2降格は終わりではなく新たなスタート

2003/05/19(月)

 J2に降格したからといって、何も世界が終わるわけではない。
 J2のシーズンスケジュールには、鹿島アントラーズやジュビロ磐田といった豪華なチームとの対戦はないが、J2でのひと時はチームを若返らせ、よみがえらせてくれる。
 昨シーズンの天皇杯覇者、京都パープルサンガを見ると良い。
 また、昨シーズン大分トリニータに続いてJ2から昇格したセレッソ大阪は、今やどのJ1チームにだって勝てる力をつけた。

 次に続くのはサンフレッチェ広島だ。
 12試合終了時点(5月14日)で、サンフレッチェは2位のアルビレックス新潟に9差をつけ、勝ち点31でJ2の首位を独走している。
 水曜夜、等々力スタジアムでのサンフレッチェ対川崎フロンターレ戦を見に行ったのだが、どうやら私は彼らにはバッドラックを運んだようで、試合は0−1で負けてしまった。10勝と1引き分け後、今シーズン初の黒星である。
 監督はフランスワールドカップで岡田武史監督の下、アシスタントコーチを務めた小野剛である。彼は聡明で、また人望も厚く、さらにはJFAのコーチングプログラムを通した的確な人選だったと言える。
 敗戦後も、彼は一切不満を口にすることなく、フロンターレの善戦を褒めていた。一番大切なのは、サンフレッチェが次の試合にこの敗戦をどう活かすのかだと彼は強調した。この敗戦で選手達の自信は揺らいだりはしないと主張し、そして次戦は勝たねばならないと言った。
 チームのゼネラルマネージャーは、JFAの理事でもある高田豊治氏である。
 福島のサッカー総合施設「Jビレッジ」の成功における高田氏の力は大きい。そして今また、サンフレッチェの成功に寄与している。
「我々は確かに今シーズン幸先の良いスタートを切りました。しかしまだ先は長いのです」高田氏は言う。
「我々の今シーズン第一の目標はJ2から抜け出す事です。そして、4年の間にJ1のトップを争うまでになりたいと考えています」

 オリンピック最終予選が来年3月に延期されるなど、SARS騒動はサンフレッチェにとっては良い方向に働いたようだ。
 それはすなわち、森崎兄弟や駒野友一がシーズンを通してプレーできるという事だ。
 ベテランブラジル人選手、35歳のセザール・サンパイオは、若い選手と経験ある選手のチームバランスが良いと言っている。
 1998年ワールドカップ代表であり、チームを攻守にわたって引っ張れるサンパイオを獲得した事は、サンフレッチェにとって素晴らしい事だった。
 チームとしてはJ1に残留する事を望んでいただろうが、J2降格を機にチームの再編成に取り組み、試合に勝ち、自信とチームワークをつけた。また、より多くのファンを獲得し、地元のメディアの注目を受ける機会を得る事もできたのである。
 要するに、全ては終わりではなく、新たな始まりだったということだ。

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大久保は日本の将来を担う

2003/05/15(木)

 火曜日の午後、渋谷にある日本サッカー協会事務局でジーコが発表した、東アジア選手権の日本代表候補は、楽しみの多いメンバー構成となった。
 30人の候補選手のなかには、オリンピック代表チームのメンバーが3人含まれていた。松井大輔と石川直宏、そして大久保嘉人である。
 5月28日の大会初日までにメンバーは20人に絞られるが、上にあげた3人のうち1人が代表入りすることになる、とジーコは語った。
 この発言後、瞬く間にさまざまな憶測が入り乱れた。
 3人の才能豊かな若手選手のうち、日本のエリートに仲間入りできるのはだれか?
 石川は頭の良い、スピードのある右ウィンガーで、いまだ横浜F・マリノスからのレンタル移籍中という立場でありながら、FC東京のファンから確固たる支持を受けている。しかし、ジーコは中盤ではなく、フルバックから仕掛ける、奥行きのある攻撃を指向しているので、石川が選ばれる可能性は低いのかもしれない。

 そうなると、松井と大久保の一騎打ちということになる。
 個人的には、大久保が選ばれて欲しいと思っている。
 私は、国見高校にいたときから大久保に注目していた。大久保は、これまでに大きなケガとJ2降格を経験しているが、そのような経験を力に変えてきた。とはいえ、まだ20歳、J1に昇格したセレッソ大阪に所属している。
 今シーズンの初めに、万博スタジアムで行われたナビスコカップのガンバ対セレッソ戦を取材したときのことを憶えている。
 大久保の速さと積極的な動きに、ガンバのディフェンダー、宮本恒靖もなかなか手を焼いていたように見えたが、セレッソの若手選手は終了前に交代させられてしまった。
 試合後、更衣室の外で大久保は西村監督と話しながら泣いていた。まるで1990年のワールドカップの準決勝でドイツに敗れ、人目もはばからず号泣する、イングランドのポール・ガスコインを彷彿とさせる光景であった!

 西村によれば、どの試合でも全力を尽すのを旨とする大久保がベストのプレーを見せることができなかったので、フラストレーションがたまっていただけ、だそうだ。
 私は、このような姿勢が好きだ。そして、ピッチの大久保を見るのが好きだ。チャンスでしくじると、大久保は、芝生とか、ゴール脇にある水のボトルとか、いろんなものを蹴ろうとする。ゴールを決めると、大久保は得意満面になる。
 大久保のプレーは情熱と感情に溢れており、あまりにも控えめな態度が目立ち、勝とうが負けようが気にしていないようにさえ見える選手が多い日本では、際立った個性となっている。
 大久保のプレーには荒っぽい一面もある。空中戦では相手選手にヒジが入ってくることもあるし、自分の思い通りに物事が進まない時にはファールも辞さない。
 大久保を候補の30人に選んだのは、ジーコにとって大きな前進であり、私は大久保には20人の代表枠に入って欲しいと思っている。
 松井に対する私の想いは、すでに発表済みだ。素晴らしくて、才能豊かな選手であるが、プレーに自制心が欠けている。(*)
 しかし、ジーコは才能があり、派手なプレーをする選手を好む傾向があるので、おそらくは松井が選ばれるのだろう。

*5月8日掲載 『松井の大成には自制心が必要』

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後味の悪いカフーの移籍話

2003/05/12(月)

 カフーはそもそも横浜Fマリノスに移籍する意志を持っていたのだろうか?
 それとも、彼の代理人は移籍話を単に道具として使ったのだろうか。
 カフーが7月に日本へ来る可能性は、ここ数週間のイタリアでの動きから見て、ほぼなくなったと見るべきであろう。
 母国のため、過去3回のワールドカップ決勝に出場したカフーは、6月30日までのASローマとの契約が切れ次第、7月上旬にも来日する予定になっていた。
 今年1月、マリノスはカフーとの2年半、400万ドル(約4億8千万円)の契約を発表した。
 そしてその数週間後には、カフーはまだ決心していないという噂がイタリアから聞こえてきた。

 私は、3月のナビスコカップ、対FC東京戦の後に岡田武史監督にこのことを尋ねてみた。すると彼も、もしかするとカフーは来ないかもしれないという噂をチームのフロントから聞いたと認めた。
 岡田監督は、カフーが仮契約に署名したという事で本契約を結ぶつもりなのだと考えていたようだ。ただし、契約書は見ていないと彼は付け加えた。
 その後イタリアで、カフーはACミランと交渉中であり、またローマにさらに1〜2年残留するかもしれないという報道がされた。
 どちらにせよ6月30日をもってカフーはフリーエージェントとなり、移籍金が発生することなく、巨額な契約金を手にできるのだ。

 3週間前、私はあるサッカー関係者から電話を受けた。彼の話によると、カフーの代理人は既にマリノスに、カフーは日本へ行かないと伝えたという。どうやら、SARS感染を恐れてアジアへは行きたくないということらしい。
 マリノスは、カフーが既に公式な契約書に署名したものをファックスで返送してきた事を強調しており、依然として彼がチームに移籍してくれる事を望んでいる。
 しかし、選手とその代理人は通常最終的な決断をするまでオプションを残しておくために、いくつもの仮契約にサインするものである。
 代理人の権限は強まる一方で、今やまったく逆らえないと言う人もいる。移籍事情を根底から一変させたボスマン裁定以来、法的にもチームの権利より選手個人の権利を重視する傾向にある。
 カフーと彼の代理人がJリーグのチームと交渉を始めた段階では、彼らは純粋に移籍を意図していたと信じたい。
 マリノスの発表が早すぎたのだろうか?
 はたまたカフーの代理人が、他のチームとの交渉のためにマリノスの契約条件を利用したのだろうか?
 いずれにせよ、日本の他のチームには良い勉強になったことだろう。

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松井の大成には自制心が必要

2003/05/08(木)

 私は、ずっと松井大輔の大ファンであった。
 J2に降格する2シーズン前、京都パープルサンガに入団してきた頃の松井を、私は今も憶えている。
 ボール扱いのうまさに聡明さと利口さが備わった松井の才能は、すぐに目についた。
 ボールを持っている時の松井の体の動きは、ニューカッスルやリバプールでプレーした私の生涯のお気に入り、イングランドのピーター・ベアズレーを彷彿させた。
 しかし、最近私は松井のことが心配で、彼が真の才能を充分に発揮できるかどうかが不安でならない。
 そう感じるようになったのは、昨秋韓国で開催されたアジア大会が最初で、先日のミャンマーと2試合戦った、アテネ・オリンピック予選でも同じような感情を抱いた。

 もちろん、松井はいまでも抜群のテクニックを持っている。だが、彼のプレーには自制心が欠けているように思えるのだ。
 試合では、単純にプレーしなければならない時がある。ボールをコントローしたり、キープしたり、あるいはチームメートに簡単なパスを送ったりするのがそうだ。
 また、派手にアピールする時もある。たとえば、3−0でリードしていて、残り時間がわずかな時は、ファンを喜ばせることも必要だろう。
 私が松井に感じるのは、その持てる実力、才能ゆえに派手なプレーが多すぎ、一生懸命サッカーに取り組み、チームプレーに集中するという姿勢が見られないということだ。
 フィリップ・トルシエと数日一緒にいれば良い薬になるかもしれない。あのフランス人なら、現在クラブや代表で松井がやっているような勝手なプレーは決して許しはしないだろう。

 オリンピック予選が佳境に入り、相手がどんどんタフになってくると、危険な時間帯での不用意なプレーが、日本のオリンピック出場のチャンスを台無しにしてしまうかもしれない。
 だから、大切なことは、いざというときに不用意なプレーが出ないように、事前にその芽を摘んでおくことなのである。
 前述したように、私は松井の技術を評価しているが、経験が豊富で、ずる賢くて、粗っぽいチームと対戦するとき、松井が華麗にプレーしたいと思っていると、ケガに繋がりかねない。
 そういう事態になって欲しくはないが、日本代表について事前にきちんと分析をしてきた監督なら、試合の序盤から松井だけを徹底マークするように指示するかもしれない。つまり、松井を削って、松井の働きを弱めようとするのだ。
 ミャンマーも何回か松井にファールを仕掛け、レッドカードの対象となったプレーもあった。私は、1999年の国立競技場、フィリピンの選手になぎ倒された小野伸二の姿をまざまざと思い出した。あの時の負傷で、小野は1年後のシドニー・オリンピックになっても、完全復調できなかった。
 ゲルト・エンゲルスと山本昌邦は松井を厳しく指導すべきだ。そうすることが、チームのためであるだけでなく、前途有望な選手のためになるからである。

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鈴木の帰国は日本の現実

2003/05/04(日)

 鈴木隆行の1年間のレンタル契約が切れ、ゲンクは再契約をしないという事だが、これは十分に予想しえたことだった。
 理由は明白。鈴木はゲンクに貢献できなかったという事だ。
 ベルギーリーグにはアンデルレヒトやブルージュといった古豪チームはあるものの、ヨーロッパではメジャーなリーグとは言えない。
 スペイン、イタリア、イングランド、そしてドイツがトップ4リーグと呼ばれ、フランス、ポルトガル、そしてオランダがそれに続く。
 すなわち、鈴木がベルギーリーグの中堅チームの中でポジションを得られなかったという事は、仮に彼がヨーロッパ残留を望んだとしても、彼のヨーロッパでの未来は決して明るくないということだ。
 現時点では恐らく、彼はレンタル移籍するまで所属していた鹿島アントラーズに戻るしかないだろう。
 それでは、鈴木にとって日本を出てシーズンをベンチで過ごした事は結局間違っていたのだろうか?
 いや、そんな事はない。
 フィジカルなベルギーサッカーのゲームペース等、学んだ事は決して少なくないはずだ。

 ワールドカップの数ヶ月前、私はゲンクの試合を見る機会があり、その試合後にウェスリー・ソンクにインタビューする事ができた。
 サッカーのスタイル、そしてスタジアムの様子などは「リトル・イングランド」と呼んでも良いくらいだと思った。スタジアムは大歓声に包まれ、選手たちは試合の経過に関わらず諦めずに得点をあげようと走る事をやめない。
 こうした文化的側面から見ても、鈴木はサッカーというものに対する視野が広がったはずであり、日本に戻った時には、相変わらずプロレベルとしては初歩段階にある日本のサッカーにショックを受けるかもしれない。

 ワールドカップ、対ベルギー戦での鈴木のゴールが、彼のベルギーへの移籍を決定させたわけであり、彼のフィジカルなプレースタイルとフォワードラインでの彼の存在がベルギー人たちを感心させたのは間違いないのだ。
 鈴木にとって良いワールドカップだったのは確かであり、そしてフィリップ・トルシエは今でも、鈴木と柳沢でなく、アレックスと西沢をトルコ戦で起用した事を後悔しているはずだ。
 鈴木がベルギーでポジションを得られなかった事実は、すなわち日本の選手たちがまだまだ成長しなければならないということの裏返しでもあるのだ。

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真っ赤に燃える、崔龍洙

2003/05/01(木)

 シーズン終了後の表彰の話をするにはあまりにも早すぎるが、すでに受賞に値すると思えるような、素晴らしいプレーを続けている選手が一人いる。
 6試合で5ゴールを挙げ、2試合連続でハットトリックを達成した崔龍洙(チェ・ヨンス)は、今、Jリーグで最もホットなストライカーである。
 今年は、この29歳の韓国人選手にとってジェフユナイテッド市原での3年目のシーズンになるが、どうやら最後のシーズンになりそうでもある。複数の韓国人ジャーナリストの話によると、母国で選手生活を終えるのが崔の希望らしい。

 日本に来るずっと前、韓国のオリンピック代表チームやA代表のメンバーであった頃から、私は崔の能力を買っていた。
 崔は体が大きく、強靱で、ひたむきにゴールを狙い、そしてとことんチームプレーに徹することのできる選手である。端的に言えば、理想的なターゲットマンであり、攻撃陣のリーダーなのだ。
 苦しい時、チームメートは崔を探せば良い。どんなボールにも必ず競りかけて、ひたすらゴールを目指してくれるからだ。
 ジェフ・サポーターの間でも、崔の人気は圧倒的だ。サポーターたちは、崔のことが本当に好きなようだ。
 それはそうだろう。崔は給料に見合うだけの働きをしてくれている。この点は、他の外国人選手と比べてみると、明らかである。
 巨額の契約を交しているが、どのゲームでも契約に見合った働きをしようと全力を尽くしているのだ。
 空中戦では、崔は相手ディフェンダーにとってまったく油断ならない選手である。ある時は自分でヘディング・ゴールを狙うし、またある時は、ペナルティー・エリア内のチームメートに正確で、素早いボールを頭で折り返すこともできる。
 ボールが空中にない時も精力的に動いて、ボールを求めてピッチを縦横に駆け巡り、相手ディフェンダーを引っ張って味方にスペースを提供することができる。

 日本での最初のシーズンでゴールを量産した2001年と、MVPの高原直泰に比肩する活躍を見せた昨シーズン、崔がJリーグのベスト・イレブンに選ばれなかったのは、とても残念であった。
 安養LGチータースから移籍してきた、このストライカーの日本での通算成績を見ると、2シーズンで49試合に出場、37ゴールを記録している。
 試合数に対するゴールの多さが印象的だが、試合対ゴールの比率は現在さらに上がっており、2003年には6試合で8ゴールを記録しているため、現時点での通算成績は55試合出場で45ゴールとなっている。
 このような崔の活躍により、ホームで神戸相手に3−0で敗れるという、信じられないような試合をしたあとも、チームは立ち直ることができ、勝ち点を13にまで伸ばした。火曜日にガンバ大阪を下し、6試合終了時の勝点を15とした首位の鹿島アントラーズとは、わずかに2差だ。
 韓国の記者たちの話が真実で、今シーズンが崔にとって日本での最後のシーズンであるとすれば、崔はチームに最高の恩返しをしようとしているのかもしれない。

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