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トルシエ登場

2003/04/03(木)

 そこには、ジーコがいた。川淵三郎もいた。山本昌邦もいたし、もちろん彼が指揮するオリンピック代表チームも勢揃いしていた。
 しかし、本当に話を聞きたいと思う人物は、ただ一人。
 フィリップ・トルシエだった。

 このフランス人が日本に戻ってきたのは、共催国をセカンド・ラウンドまで導くという使命を達成した、2002年ワールドカップ以来である。
 火曜日、彼は愛知県豊田市の豊田スタジアムにいて、日本とコスタリカのU-22代表による国際試合のテレビ中継にゲスト出演することになっていた。
 トルシエが試合後にメディアの取材に応じるかどうかに関心が集まっていたが、日本サッカー協会は親切にも試合後に簡単な記者会見の場を用意してくれた。同席者は、よりによってトルシエの後任であるジーコと、トルシエが在任した嵐の4年間にトルシエ批判の急先鋒に立っていた川淵三郎・日本サッカー協会会長であった。

 キックオフの2時間ほど前にスタジアムに到着した私は、トルシエに出会わないものかとスタジアム内の通路をあちこち歩き回っていた。
 実は、私はもう一度彼に会いたいと思っていた。彼のユーモアや哲学、練習法、サッカーに対する情熱にもう一度触れてみたいと思っていたのである。
 ふいに目の前のドアが開かれ、トルシエが外に出てきた。両わきには通訳と中継をするテレビ局の担当者がいた。
 トルシエはとっさに関係者用のパスを見せびらかした。パスには”Official”という文字が記されている。
「どうだい!」とトルシエ。「僕もメディアの一員になったというわけだ。質問に答える側から、質問する側になったんだ」
 私は、昨年末に手術を受けたヒザの具合を訊ねた。
 具合が申し分ないことを証明するために、トルシエは速いテンポでアイルランド風のダンスを踊ってみせた。「タイタニック」のレオナルド・ディカプリオのように華々しくはなかったが、なかなか見物ではあった。
「また、試合のあとで。これからキャプテンに会わなければならないので、時間がないんだよ」トルシエはウインクしながらこう言うと、テレビのスタッフにエスコートされ、その場を去った。
 トルシエが会う相手は、もちろん、川淵さんである。氏のニックネームは、日本サッカー界のトップの座を継承したことにより「チェアマン」から「キャプテン」に変っていた。

 試合後、私は冗談まじりに、就任後の成績がぱっとしないジーコに代わって日本代表監督になって欲しいと川淵会長から頼まれなかったか、とトルシエに訊ねた。
 トルシエは一瞬考え、それから答えた。「頼まれたよ…。でも、45歳以上の日本代表だった」
 真面目な表情に戻ったトルシエは、今回のオリンピック代表は、今後も一生懸命練習し、経験をつめば、2000年のシドニー・オリンピックで自分が指揮したチームと同じくらい素晴らしくなれる、と語った。
「今日の試合は、アテネ・オリンピックの予選を突破するための強化策の第一歩だったわけだが、選手たちの姿勢は申し分なかった。結果も満足できるものだ」。1−1で引き分けた日本代表について、トルシエはこうコメントした。
「一緒にやる機会がもっと多くなれば、チームはさらに良くなると思う」 私はトルシエに、「キックオフの前に『君が代』が斉唱された時、どのように感じたか」と訊ねた。
「日本人になったような気分が少しした」とトルシエ。
「日本が負ければ、私はパリの自宅で泣く。勝てば、一杯やりながら祝う。サッカーと、飲むことはまったく切り離せないね。負けた時は悲しいから飲むし、勝った時はもっと飲む」
 トルシエがいたおかげで、いつも真面目なジーコも明るくなったように見えた。ジーコは、見事な曲線を描いた阿部のフリーキックを「スゴイ・シュート」と日本語で表現した。
 ブラジルのフリーキックの達人から、素晴らしいお褒めの言葉が飛び出したのである。

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