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老ボランティアが語る日韓の未来

2003/04/17(木)

 道に迷ったとき、思わぬ人に出会うことがある。
 私は月曜の朝に成田国際空港を飛び立ち、2時前にソウル・インチョン空港に到着した。
 空港からソウル・ワールドカップスタジアムまではリムジンバスがあり、1時間の移動の運賃はたった6,000ウォン(約600円)だった!
 とはいえ、インフォメーション・デスクではバスはスタジアムに直行すると言っていたのに、降ろされたのは銀色のスタジアムの輝きが視界の遥かかなたに見える地点。それはまるで新横浜駅で電車を降り、遠くの横浜国際競技場を眺めているようなものであった。
 天気は素晴らしく良かったが、コンピュータと旅行カバンは重く、持ち歩くのは厄介であった。おまけに新しい靴を履いていたおかげで踵が靴ズレしており、スタジアムへの道のりは楽しいものではなかった。

 最初に私は練習場であるサブグラウンドを探さなければならなかった。日本代表が4時から練習を予定していたからだ。
 私は地図を見て、目指す方向に歩き始めた。
 サブグラウンドにもスタンドがあると思っていた私は、何の標示も付いていない入口を通り過ぎてしまい、途方に暮れた気分でソウル・ワールドカップスタジアムに辿り着いた。
 私は見るからにカッカしていたようで、とても親切そうな韓国人の紳士が完ぺきな英語で私に話しかけてきた。「お困りですか?」
 はい、お困りです!
 紳士の案内で、来た道を引き返した。サブグラウンドの入口もわかった。ただし、サブグラウンドの手前には、だだっ広い駐車場エリアがあり、スケートボーダーたちが春の陽射しのなか集まっていた。

 紳士の名前は、ミスター・ホー・ピル。韓国式の年齢では70歳であったが、生まれたのは1934年。ボランティアのガイドをしていて、海外からやって来たサッカーファンにスタジアムの案内をしているという。訪問客のほとんどは中国や香港からやって来ると聞いて、SARSウイルスを連想した私はマスクをつけ、彼からさっと離れた(ふざけただけですよ!)。
「ホーのあとにコンマを打ったほうがよろしいでしょうね」私がノートブックに氏の名前を書きつけると、こうおっしゃる。「ホーは名字ですから」
 彼の言葉に従い、私は”Ho, Pil”と書いた。
 水曜日の試合のことを訊ねてみると、彼は2002年のワールドカップでベスト4入りした韓国が勝つと予想した。

 約65,000人収容のスタジアムの切符は5時間で完売。水曜日の夜は、約4,000人の勇敢な日本人がジャパン・ブルーのシャツに身を包んでやって来るというが、スタジアムの残りは韓国の赤に包まれる。
「韓国のファンは日本のチームとサポーターにどのように応対するのでしょうね?」私は好奇心でそう質問した。両国の激しいライバル関係から、イングランド代表がグラスゴーでスコットランド代表と対戦する時のことを思い出したからだ。そのような時、グラスゴーはイングランド人にとって愉快な場所にはならない。
 「人々の感じ方も変りつつあるのではないでしょうか」とピル・ホー氏。
 「これまで両国の関係は良くありませんでしたが、我々は心を新たにして、将来について考えなければなりません。
 「過去にすがっていてはいけないのです。ワールドカップはとても役に立ちました。両国の関係はこれまで以上に親密になっています」
 このようなコメントを聞くことができて良かった。
 たとえ踵の血が靴下にしみ込んでいても、仕事中にSARSに感染する恐れがあるとしても・・・。

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