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日本のスポーツ文化の変化を象徴する、U-22日本代表

2003/03/20(木)

 4月1日に愛知県の豊田スタジアムで行われる、コスタリカとの親善試合に招集されたU-22日本代表のリストを眺めていて、とてもおもしろいことに気がついた。
 山本昌邦監督が選んだ23名の選手のうち、22名がJリーグのクラブに所属しているのだ。
 例外は、早稲田大学の学生である、ミッドフィールダーの徳永悠平だけである。
 この数字は、日本のサッカーが高いレベルで大きく進歩した理由を示すものであると思う。

 数年前まで、U-22の日本代表チームはほとんど全てと言っていいくらい大学生で占められていた。
 Jリーグの現役のトップ選手、あるいは最近引退した選手を見れば、それがよくわかる。
 1998年ワールドカップの日本代表キャプテン、井原正巳は筑波大学に所属していた。ジュビロ磐田のゴール・マシーン、中山雅史も同じ大学の同級生だ。
 ジュビロの他のベテラン選手では、服部年宏(東海大学)、名波浩(順天堂大学)、藤田俊哉(筑波大学)らが、遅くにプロ入りした。

 世界では、大学に行ってからプロのクラブに入団する選手はきわめて珍しい。
 例えばイングランドでは、選手は14歳のときにプロ・クラブと「学童用」の契約を結び、16歳でプロの見習いとしてクラブに入団することができる。17歳になると、もうプロの選手である。
 イングランドでは、人々は職業上の専門性を高めるために大学に行くが、プロ・サッカー選手としての職業上の専門性は大学では学べない。それにクラブは、大学を卒業した選手とは契約したがらないだろう。大学を卒業した選手は、16歳でクラブに入団した選手に比べて、プロとしてのトレーニングや戦術知識といった面で5年遅れている、と感じるからだ。
 高校や大学のサッカー部に所属することは日本では普通だったが、それゆえに日本は1998年までワールドカップに出場できなかったと考えることもできる。
 日本の選手は、プロとしての環境がなかったため、他国の選手より遅れていたのである。こういった観点から見ると、Jリーグは、選手が高校から参加してハシゴを駆け上がるための完ぺきな基盤を提供している。

 ただし例外もある。それは今回ジーコが発表したアメリカ遠征のメンバーを見ればわかる。
 黒部光昭は、J2から天皇杯優勝まで躍進した京都パープルサンガのメンバーとして、チャンスを見事にモノにした。
 黒部もデビューは遅く、プロ入りは福岡大学卒業後であった。京都入団は2000年で、プロとしてのデビューは22回目の誕生日の直後であった。
 これはプロのサッカーでは極端に遅い例であるが、3年後に黒部は代表チームのメンバーとなった。
 Jリーグ発足前は、選手がプロとなる環境がまだ整っていなかったため、多くのベテラン選手が大学でのプレーを選んだ。同じような例でもう一人思い浮かぶ選手としては、早稲田からプロ入りした相馬直樹がいる。
 そして、今度は徳永が現れた。
 しかし、このような選手は、将来そんなに多くは出ないだろう。

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