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高校サッカーの違和感

2003/01/16(木)

 年始に行われる高校サッカーの決勝の取材はいつも楽しいものである。
 選手権の主催者には敬意を表したいし、試合中の雰囲気も素晴らしいと思う。サッカーはつねにサッカーであり、選手たちは学校の名誉のために全力を尽している。
 とは言え、ビックリするのはこのイベントの取材に駆けつけるメディアの数だ。
 たとえば月曜日の東京国立競技場。240人の記者と140人のカメラマン、取材するテレビ局の数は6つのキー局を含めて20。
 試合終了後に選手たちが数多くのメディアに追いかけられる様子は、横浜でのワールドカップ決勝戦後のロナウドを彷彿させるものであった。
 ただし、私はこのようなやり方を批判したいのではない。ヨーロッパや南米とどれくらい違っているかを示したいだけだ。

 日本では、選手のほとんどが17歳か18歳で、高校に在学している。将来Jリーグに入る者もいれば、大学に進む者もいるだろう。
 イングランドでは、この年齢の若くて優秀な選手たちはすでにプロ・クラブに所属している。彼らは学校を出て16歳で練習生としてクラブに入り、17歳でプロになることができる。ちょうどウェイン・ルーニーがエバートンでやってみせたように。
 イングランドの高校サッカーの決勝はどうだろう?
 私はそれがあるのかどうかさえ知らない。メディアがまったく取り上げないからだ。デイリー・テレグラフのような大新聞には、決勝の結果が一行くらい載るかもしれないが、選手自身やその両親以外はだれも興味を示そうとはしないだろう。

 しかし日本の高校選手権はビッグ・イベントとなっており、これには良い点も悪い点もある。
 もちろん、若くて優秀な選手を見ることができるのは良い点だと思う。彼らの多くがJリーグのレギュラーになるのだから。
 だが、こんなにも名が知れ渡り、こんなにもメディアの注目を浴びることは、この年代の選手たちにとって果たして良いことなのだろうか?
 私は6年間日本にいるが、外国人や一部の日本人が異口同音に言うのは、日本ではあまりに若いうちに「スター」になってしまうということだ。サッカー選手としてさほどの実績を挙げもしないうちから、選手は持ち上げられ、有名雑誌でも取り上げられる。
 フィリップ・トルシエが言っていたのだが、このような扱いは選手たちを軟弱にし、うまくなりたいという熱意を奪い、自分がすでに大物になったと思い込ませてしまう。

 ジュビロの若きフォワード、前田のことをあまり取り上げないでくれと、ドゥンガから頼まれたことがあった。あれは前田が見事な個人技のシュートを決めた、エコパでの試合のあとだった。日本の選手は早いうちから注目されすぎる、とドゥンガは言っていた。
 さらに、ジェフ・ユナイテッド市原の前の監督であるジョゼフ・ベングロシュは、阿部や羽生などの若手の有望選手について語るのをいつもはばかっていた。メディアに取り上げられ、うぬぼれてしまうかもしれないというのがその理由であった。ただし、彼らの才能はひそかに評価していた。

 高校選手権の取材は私にはとても楽しいものであるが、選手の実力は世界のサッカーという高い視点に立って評価されなければならない。

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