いまも健在、ペリマン主義
Jリーグ関係者の多くが、スティーブ・ペリマンを忘れないだろう。
ペリマンは最近またニュースに登場するようになった。かつて指揮を執った清水エスパルスの選手、戸田和幸が、かつて自分が誇りをもってキャプテンを務めたクラブ、トットナム・ホットスパーズに移籍することが決まったからだ。
土曜日、私はロンドンの自宅にいるペリマンに電話をして、戸田の移籍について感想をたずねた。
大半の人とは違い、ペリマンは驚いていなかった。というのも、ペリマンはトットナム・ホットスパーズへの移籍をここ2年間ずっと戸田に勧めてきたのである!
「どういうわけか、これまでトットナムは戸田に関心を示そうとはしなかった。でも、その戸田がプレミアリーグの他のクラブでトレーニングしていると聞いて、急に焦りだしたんだよ」ペリマンは、戸田がサンダーランドの入団試験を受け、監督のハワード・ウィルキンソンから高い評価を受けたことを話題にした。
結局戸田はスパーズと1年契約を交わしたわけだが、ロンドン北部のこのクラブは、戸田の報酬とは別に移籍金としてエスパルスに30万ドルを支払うことになった。
ペリマンは、その正直さとフェアプレーの精神により日本でも忘れられない存在となるだろう。
ペリマンは攻撃的なサッカーをするようチームを鼓舞し、ずるいことをしたり、時間稼ぎをしたり、ダイブをしたり、あるいは何もないのに負傷したふりをしたりする選手を嫌ってきた。
「日本はフットボールの世界に遅れてデビューした。」
土曜日、ペリマンは私にこう語った。
「でも、日本は世界中のチームから学ぶことができる。ブラジルでも、イングランドでも、オランダでも、どこでも、良いところだけをとればいいんだ。
「それに、嫌いなところ、不必要なところはそぎ落とすこともできる。イングランドなら、もちろんファンの情熱は見習うべきだよね。でも、フーリガンはごめんだ」
ペリマンの考え方は、いつも揺るがない。
彼がエスパルスの指揮を執っていたころ、同じ静岡を本拠地とするジュビロ磐田との対立関係は激しいものであった。
もっとも、ペリマン本人は、ジュビロ磐田はレフリーやリーグ関係者からごひいきにされ、特別な恩恵を受けているチームであると考えていたようで、「JリーグのJはジュビロのJだ」と言い放ったこともあった。
事の真偽はともかく、昨シーズンジュビロ磐田が両ステージを制覇するほどの頑張りを見せたのには、ペリマンのこうした発言が多少は影響していたのかもしれない。
ジュビロが両ステージを制覇したのは、「欺くことより、サッカーに意識を集中するようになったから」とペリマンは感じているようだ。
彼がよく憶えているのは、1999年の4月に日本平で行われた、ジュビロが5−2で勝利を収めた試合だ。
「4−2となるゴールが決まり、エスパルスの服部(浩紀)がボールを持ってセンター・サークルに戻ろうとしたんだ」とペリマンは回想する。
「しかし、彼はジュビロの選手2人につかまり、ゴールネットに押し付けられてしまった。
「小競り合いがあり、レフリーが下した判断は服部へのレッドカードだった。ゲームをすぐに再開しようとしていた選手が退場処分を受け、その選手の邪魔をした2人の選手はそのままピッチに残ったんだ!
「試合後、私はジュビロの監督に、Jリーグ史に残るような、日本サッカーにとって最悪の日だと言ってやったよ」
ペリマンはマスコミでジュビロを批判した。発言は多少の効果があったかもしれないと言う。
「言いたいことを言えば、敵もできるだろう」とペリマン。
「でも、もしジュビロがサッカーだけに集中していれば、我々を5−2ではなく、10−2で破ることができたかもしれない。ジュビロの方が我々よりずっと素晴らしかったからね」
ペリマンのことを、ジュビロ磐田は忘れるかもしれない。しかし、フェアプレーを望む多くの人々は彼のことを忘れないだろう。
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