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2002年12月

新しい年への希望

2002/12/30(月)

 2002年を振り返りつつも、2003年に目を向ける時が来たようだ。
 私には新しい年へ向けて3つの願いがある。

 最初の願いは、2003年も日本のサッカーが成長し続け、多くのファンがそれをサポートしていく事だ。
 1993年の発足以来、Jリーグは国民のサポートや、企業のサポートといった面では何度か危機を迎えた。
 なかでも、1998年のシーズン後に2つのメインスポンサーの1つが撤退した横浜フリューゲルスがマリノスと合併した事件はその最たるものであった。
 当時、観客数は激減した。しかしここ数年でそれも取り戻しつつある。
望むべくは、このままJリーグが安定し、流行としてではなく社会の一部としてファンが Jリーグをサポートしてくれる事だ。
 Jリーグバブルは既にはじけた。しかし、ファンはより固定してきたように思える。ワールドカップも過去のものとなりつつあるが、私は人々がこれからもJリーグを見続けるであろうと感じる。

 2つめの願いは、日本人プレーヤーが引き続き積極的に海外へ出て行く事。そしてヨーロッパの各リーグで実力をつけていく事だ。
 最も新しいところでは、高原直泰がハンブルガーSVへ移籍する。そしてこれでヨーロッパ4大リーグのうち3つ、すなわちドイツ、イングランド、そしてイタリアでトップクラスの日本人選手がプレーする事になる。
 Jリーグのスター達が日本から去っていくとはいえ、新たなスターの卵たちが入ってくる。それはファンの注目を集め続けていくだろう。

 3つめの願いは、Jリーグが世界のサッカー界に歩調を合わせ、2004年から1ステージ制を取り入れる事だ。
 延長戦とゴールデンゴール方式を廃止したことは、2003年の大きな前進だ。
 試合は90分で終わり、引き分けの場合は両チームに勝ち点がつく。
 延長戦とゴールデンゴールによる決着は、リーグ戦ではなくノックアウト方式のカップ戦で適用するのが世界の流れなのだ。
 Jリーグ自体も、延長戦とゴールデンゴール方式は世界のサッカーでは主流でないと認めている。そして2ステージ制やプレーオフもまた然りである。
 それはアンフェアーであり、不規則である。願わくば、2002年シーズンのジュビロの両ステージ完全制覇が、Jリーグが来シーズン終了後に1ステージ制を再考するきっかけとなってほしいものだ。

 これらの3つが私の2003年のJリーグに向けた願いだ。
 なんとかその願いが叶う事を祈っている。
 そしてまた、皆さんの願いも。
 素晴らしい新年をお迎えください。

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ワールドカップはアジアの誇り

2002/12/26(木)

 1年の終わりが近づくこの時期、その年の出来事についてのアンケートに参加するのは、いつもなかなか楽しいものだ。
 私は、CNNテレビと雑誌のスポーツ・イラストレイテッドが行うスポーツ人気投票の投票者であり、ここで日本が1位に選ばれたことを報告できるのを嬉しく思う。
 投票のカテゴリーは、「2002年最高のスポーツ・ストーリー」と「2002年の年間最優秀アスリート」の2つであった。
 主催サイドから候補がいくつか上がっていたが、「最高のスポーツ・ストーリー」で私は、ためらうことなく「アジア初のワールドカップの成功」に投票した。
 日本と韓国がピッチの内外で成し遂げたことは、アジアのサッカーの地平を広げるものであった、と私は心から思う。ワールドカップのような大規模なイベントの共催を見事にやり遂げたことにより、現在、選手やリーグ、ファン、運営サイドにはこれまで以上の敬意が払われている。

 アメリカ合衆国と日本が明らかな例外となっているものの、世界の大部分ではワールドカップはオリンピックよりはるかに重要なイベントであるとみなされている。
 おそらく今後数年間で、日本もワールドカップを重視する傾向に変わってゆくだろう。
 特定のスポーツの会場に若干の例外があるものの、オリンピックが1つの都市が主催するものであるのに対して、ワールドカップは国全体で行われるものであり、さらに今回は2つの国で共催された。
 私の投票後、最新の結果が発表され、アジアのワールドカップが有効投票の50パーセント以上を獲得しているのが明らかになった!
 この結果は世界中を驚かせるだろう。FIFAも日本と韓国を誇りに思うだろう。

 2つ目のカテゴリーである「年間最優秀アスリート」では、私はリストには上がっていたものの、ロナウドには投票しなかったことを告白しなければならない。
 ロナウドはワールドカップの月という、まさにタイムリーな時期に登場したため、「FIFA年間最優秀選手」や「フランス・フットボール誌ヨーロッパ年間最優秀選手」、「ワールド・サッカー誌年間世界最優秀選手」といったサッカーのあらゆるタイトルを独り占めすることとなった。
 しかし、このカテゴリーで私が投票したのはアメリカのサイクリスト、ランス・アームストロングであった。この選手は今年、ツール・ド・フランス4連覇を達成した。
 ツール・ド・フランスは世界でもっともタフなスポーツ・イベントである。1度の優勝でも素晴らしい偉業である。アームストロングのように何回も優勝する選手は、そのまま生きる伝説と言っていいだろう。
 さらに、癌の病から復帰してこのようなことを達成するなどというのは、この世のものとは思えないほどだ。
 ロナウド自身は、まだ生きる伝説となる過程にいるのであり、ワールドカップ以外の場における活躍はあまりなかったことも考慮されなければならない。
 偉大なワールドカップといえども、ピッチ内の出来事はいつまでも記憶に残るわけではないかもしれない。しかし、ピッチ外の記憶はそうではない。
 だからこそ、今年最高のストーリーなのだ!

 読者の皆さんに、メリー・クリスマス!

*このコラムは2002年12月24日に書かれたものです。

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アジアはワールドカップ出場枠に喜ぶべき

2002/12/22(日)

 2006年ドイツワールドカップで出場枠5を狙っていたアジアサッカー連盟だが、今週マドリードでFIFAから得た出場枠には満足したはずだ。
 32チームの出場枠中、アジアは4.5すなわち4カ国プラス北中米カリブ地区とのプレーオフによる枠を得た。
 これは2002年の韓国・日本ワールドカップの際に得た枠(ただし4つの枠のうち2つは開催国の韓国と日本に与えられた)と全く同じである。
 残りの2つはサウジアラビアと中国が得たものの、イランはアイルランドに敗れ、アジアはいわゆる“ホームエリア”でのワールドカップで5カ国出場のチャンスを失った。
 私個人的には、南米がドイツワールドカップでプレーオフでの出場権を失い、4カ国のみの出場になった事に比べれば、アジアは今回の結果に満足すべきであると思う。
 確かに南米10カ国中4カ国出場というのは、割合からすると高いかもしれない。しかし、ベネズエラを除く残りの国は実力も有り、どこも甲乙つけがたい。

 一方、アジアのワールドカップにおける成績は惨憺たるものであった。
 2002年ワールドカップ以前はというと、アジアは本大会では44試合中たった4勝しか挙げていない。1966年北朝鮮の対イタリア戦、1994年サウジアラビアの対モロッコ戦、対ベルギー戦、そして1998年イランの対アメリカ戦である。
 今大会では、韓国はポーランド、ポルトガル、イタリアそしてスペイン(PK戦)を破り準決勝まで、そして日本はトルコに敗れはしたもののセカンドラウンドまで進出した。
 しかしここで注目しなければならないのは他の2カ国の成績である。
 3大会連続出場のサウジアラビアはドイツ戦に屈辱の0−8で破れ、中国はブラジル、コスタリカ、トルコと同グループ(ワールドカップを終えた今となっては強豪揃いのグループにも思えるが)で全く結果を出せずに終わった。
 南米がわずか4カ国の出場に対して、次回のワールドカップで5カ国出場のチャンスを得たアジアは、FIFAの好意的な決定に感謝すべきであろう。

 1998年以来の3大会連続出場を狙う日本は、アジアのトップ4に入るのにさほど苦労はしないだろう。
 もし仮にアジアの5位になったとしても、メキシコかアメリカが最強である北中米カリブ地区の4位とのプレーオフで勝つ実力は十分ある。
 ワールドカップでの5カ国出場は、常にアジアサッカー連盟の夢であった。
 しかし今回のアジアは、ワールドカップのピッチ上ではなく、FIFAでの政治において勝利を挙げたというべきだろう。

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巣立ちゆく高原

2002/12/19(木)

 高原直泰がジュビロ磐田のフォワードとして中山雅史と組んだ当初は、「魔術師とその弟子」のエピソードそのものであった。
 これは古い民話で、若くて熱心な弟子に自分の魔法をすべて伝授する魔法使いのお話だ。
 中山と高原を見ていると、私はいつもこのお話を思い出す。
 中山は何でも知っている知恵深き老魔術師で、高原は、その老魔術師に仕え、魔法を身につけたいと思う、熱意に満ちた初心者である。
 高原は23歳にして2002年シーズンJリーグ最優秀選手に選ばれ、そして今、教育の時は終わりを告げようとしている。
 中山は自分の仕事をまっとうし、高原も師匠の教えを熱心に吸収した。
 高原が、「ゴン」と呼ばれる選手以上の教師と今後巡り合うことは、おそらくないだろう。

 ピッチでは、ゴンはゴール・マシーンである。ゴンはペナルティー・エリアの略奪者であり、いつどこにポジションをとればいいのかを本能でわかっている。ゴールの位置を感じとり、ターゲットに狙い打つという驚異的な能力も、やはり彼の本能なのである。
 たとえこれだけの才能があったとしても、選手というものはチームのために全力でプレーしなければないものであり、ゴンは素晴らしい得点記録を残しながらも、自分勝手なプレーをする選手と言われたことは一度もない。
 ピッチを離れても、中山の態度は称賛すべきものである。中山は心からサッカーを愛しており、この姿勢は高原にも受け継がれた。2人の選手は一生懸命練習し、個人の能力を向上させようと常に努力してきた。
 高原のMVP受賞は、まったく文句のつけようのないものである。27試合で26ゴールを挙げただけではなく、1998年のMVPである中山とともにチームを前線で引っ張ってきたからだ。

 いま、タカはドイツに旅立ち、ハンブルガーSV(SVはドイツ語のSport Vereinの略で、「スポーツクラブ」の意味)に入団しようとしている。かの地では、彼はすべてを一から学び直さなければならないだろう。
 体力が要求されるドイツのサッカーに順応しなければならないし、執拗で荒っぽいマークをし、マークを外されそうなときには相手を削ることさえ厭わない、狡猾で、機を見るに敏なディフェンダーともわたり合わなければならないだろう。
 タカにとって、ヨーロッパの4大リーグの1つ—ドイツはイタリア、スペイン、イングランドと並び称されている—でのプレーは貴重な経験であり、名を上げるチャンスでもある。
 選手時代にどこでプレーしようとも、自分はサッカーの魔術師、中山以上の教師に巡り合えないということは、タカもわかっているだろう。
 弟子は、修業期間を終えたのである。

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さらばエジムンド 君の事は忘れない!

2002/12/15(日)

 かのヴェルディ・グリーンのユニフォームに、エジムンドが袖を通したのはわずかに1年余りだったかもしれない。しかし彼にはヴェルディー殿堂入りの資格が十分ある。
 彼が来シーズン、ヴェルディに戻ってこないと知った時、私は言いようのない寂しさに襲われた。クラブの親会社である日本テレビが、一説によると2億円とも言われる金額を用意できなかったためだ。
 エジムンドが2001年10月に日本にやって来た時、彼に対する風評といえば、「短気」「問題児」そしてチームの練習よりもリオのカーニバルでサンバを踊るほうが好きであると、散々であった。
 ヴェルディにとって、エジムンド獲得は大きな賭けだった。しかし、2001年シーズン最後の5試合を彼のおかげで乗り切った。 それは十分価値のある賭けだったようだ。

 そして今年、エジムンドをチームにとどめるため、日本テレビは通常の予算に2億円をプラスする事に同意した。
 そして再び、エジムンドは16得点を挙げただけでなく、チームに方向性を持たせ、そしてチームの調整役としてその類まれなリーダーシップを発揮した。
 チームのブラジル人監督、ロリ・サンドリはピッチでの最も信頼できる指揮官を得、それ以来徐々にチームは自信を取り戻していった。
 彼を失うヴェルディの痛手は大きい。横浜F・マリノスは日産のバックアップを受け、エジムンドの獲得を目指しているという。

 好調だったシーズンを終え、来シーズンは再び苦しいシーズンを迎えることになるだろう。
 元気を取り戻したレフトサイドバックの相馬直樹は、鹿島アントラーズのアウグスト解雇によって鹿島に戻る。マリノスからレンタルで来ている田中隼麿は何とかキープしたいところだ。両チームの間で移籍金交渉がうまくいかなければ、ヴェルディーはレンタル期間の1年延長をするかもしれない。
 しかし、エジムンドの抜けた穴は大きい。
 彼はJリーグに来た外国人プレーヤーの中でも紛れもなくトップクラスだ。キング・カズ、ルイス・カルロス・ペレイラ、ラモス瑠偉、北澤豪、そして武田修宏といったヴェルディーの歴代スターたちと肩を並べる。(個人的には桜井直人も含めてもらいたい)

 最終戦の対ベガルタ仙台戦の試合前、ヴェルディの全選手が集まり、母国ブラジルで射殺されたエジムンドの弟の冥福を祈った。その試合で2得点を挙げ、さらに永井秀樹へのアシストを記録した彼の活躍には感動を覚えた。
 実に彼らしいヴェルディでのキャリアの終え方ではないか。
 しかしまだ天皇杯が待っている。

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中田と中村の差

2002/12/12(木)

 中田英寿と中村俊輔のレベルの差は、パルマがレッジーナを2−0で破った、日曜日のイタリア・セリエAを見ればまったく明らかであった。
 日本代表監督のジーコもエンニオ・タルディーニの1万4000人の観客の中にいたが、そのコメントはまさにズバリであった。
 以下は、パルマのオフィシャル・ウエブサイトに掲載されたジーコのコメントである。
「彼(中田)のほうが、中村より大人であった。イタリアでの経験が長い分だけ中田は成長し、スターになれたのだろう」

 それぞれの年齢は25歳と24歳で、中田の方が1歳年上なだけなのだが、パルマのホームスタジアムでの2人は、まるで大人と子供であった。
 中田は個人として秀でていたというわけではないが、そのプレーぶりはとても成熟していて、自信に満ち、自分の責任をよく理解したものであった。
 昨シーズンの中田は、ローマからの移籍に支払われた2600万ドルに見合った働きをしようとしたのか、がんばり過ぎであった。相手ディフェンスを切り裂くようなパスばかりを狙ったり、ボールを持ったときには何か特別なことをしようとしたりしていた。
 そして何といっても、高給の新加入選手であり、背番号10であり、ゲームメーカーであったわけだから、自分の価値を証明しなければならないというプレッシャーがあったのである。

 しかし、今シーズンの中田は、ブラジル人のアドリアーノが中央、ルーマニア人のアドリアン・ムトゥが左に位置する、3人のパルマ攻撃陣の右サイドに新たな居場所を見つけた。
 今シーズン、アドリアーノとムトゥの2人はリーグ戦で13ゴールを記録しているが、中田のプレーも格段に良い。個人技が傑出しているというのではなく、チームの一員として見事に機能しているのである。
 日曜日の試合でもっとも印象に残ったのは、ボールを持った時の、中田の自己抑制の素晴らしさ、落ち着きとともに、ボールを機能させようとする新たな能力で、それはあたかも簡単なパス、簡単な選択のほうが、派手なプレーよりも効果を上げることがよくあるのだと言っているようであった。
 現在の中田は、日本代表のときと同じようにセリエAでもリーダーのように振る舞っているが、これは1998年にペルージャでデビューして以来中田がどれほど成長してきたかを示すものである。

 一方の中村はイタリアではまだ新人である。パスやドリブルに才能の片鱗は見えるが、現在の中田のような安定感を持ち合わせてはいない。
 ただし、中村は学習意欲の高い、クレバーな選手だから、これは時間が解決してくれるだろう。現在、中村は弱小チームで厳しいシーズンに直面している。レッジーナは13試合で勝ち点を7しか挙げておらず、わずか1シーズンでセリエBに逆戻りするのが確実な様相である。
 しかし、中村のプレーぶりは、たとえレッジーナが降格しても、セリエAに留まってプレーできるかもしれないと十分予感させるものである。ゲームが止まったときの左足のコーナーキック、フリーキック、ペナルティーキックはつねに相手チームの脅威となるだろう。
 しかも、イタリアではファウルがしょっちゅうあるため、ゲームがよく止まる。そのため、中村は今シーズンすでに挙げている5ゴールへの上積みも可能だろう。 とはいえ、日曜日にも素晴らしい動きやボールタッチがいくつかあったが、安定感やチームプレーでは、中村はまだまだ中田のレベルには達していなかった。

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爽やかさ溢れる朴智星

2002/12/08(日)

 ワールドカップの喧騒もおさまった頃、京都パープルサンガのドイツ人監督ゲルト・エンゲルスは韓国人FW朴智星の態度を褒めていた。
 ワールドカップ以来一躍、朴にヨーロッパからの注目が集まっていたとエンゲルスは語った。
 しかし朴は、日本を離れて海外でプレーしたいというような話は周囲の人々に一言もしていなかった。
 この青年の爽やかな態度はエンゲルスの心を打った。

 今、朴はオランダ一部リーグのPSVアイントホーフェンで、元ワールドカップ韓国代表監督フース・ヒディンクのもとで再びプレーするチャンスにある。
 しかし彼は即決することなく時間をかけて考えているようだ。エンゲルスは、朴が新たに2年契約を結んで京都に残る事を望んでいる。
「彼は京都が気に入ってるようだね」今週、エンゲルスはそう語った。
「このチームが彼にとって最初のプロチームだし、朴智星と言えば京都パープルサンガでしょう。日本語も上手だし、何人かの選手とは本当に仲が良い。今の時点ではまだ彼は迷っているみたいだね。だからこそ、チームに残ってくれるんじゃないかと少し楽観視しているんだ」

 現在21歳の朴には、まだまだ長いサッカー人生が待っている。そしてエンゲルスは、今は休養を十分にとり、あわててヨーロッパに行かない事が彼にとっては大事だと考えている。
「ワールドカップの準備やチームとの契約で、彼はここまでの2年間まったく休暇をとっていない。もし彼が日本に残ることを選択すれば、3月のシーズン開幕までゆっくり休むことができる。海外への移籍は夏にすれば良いと思う。もちろんオファーは必ずあると思うよ」
「1月からPSVに移籍してしまうと、すぐにトレーニングに戻ってシーズン後半をプレーすることになる」

 エンゲルスによると、京都は朴に好条件のオファーを出したという事だ。したがって金額面が朴の決断の要素になることはないだろう。
「朴はPSVの方が提示金額が多いからといって移籍することはしないだろうし、京都の金額提示が少ないからといって移籍することもないだろう。彼はこれからの彼のサッカー人生をよく考えて決断するはずだ」
 朴が移籍するかどうかは別として、彼の態度は他の選手への良いお手本になるだろう。日本での生活も良し、Jリーグも良し、チームの柱でもあり、そして何より彼の母国である韓国にも近い。
 隣の芝は、必ずしも青いとは限らないのだ。

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私のベスト・イレブン

2002/12/05(木)

 リーグ・シーズンが終わったばかりのこの時期、自分のベスト・イレブンを選ぶのはいつも楽しいものだ。
 皆さんは、もう選びましたか?
 今回は、私のベスト・イレブンを紹介させていただこう。両ステージを制覇してリーグ・チャンピオンに輝いたジュビロ磐田の選手がやはり多く入っている。
 私が選んだジュビロの選手は、6人。チームの強さを考えれば当然のことかもしれない。

 ジュビロは3−5−2のフォーメーションを採用しているので、まず選んだのはディフェンスの右サイドの鈴木秀人だ。
 鈴木は今でも自分をコントロールできなかったり、かっとなってしまうことが時折あるが、俊敏だし、果敢である。鈴木が抜かれ、ジュビロの右サイドが突破されるというシーンは、あまり見たことがない。
 3−5−2システムのディフェンダー、残りの2人は、FC東京のブラジル人センターバック、ジャーンと横浜F・マリノスの松田直樹にした。ジャーンは東京の貴重な戦力であったし、日本で最も過小評価されていた外国人選手の1人である。一方の松田は、そのリーダーシップとスタイリッシュなディフェンス術により、総合順位でジュビロに次ぐ2位の成績を残したチームに貢献した。

 もちろんジュビロがあらゆる分野で傑出しているのだが、中盤の5人も豪華で、強力なものとなった。
 福西崇史と服部年宏は中盤の「機関室」で安定して、信頼性の高いプレーを見せており、中盤あるいは両サイドで攻撃を組み立てる際にしっかりとした基礎となっていた。
 この2人を入れたため、同じポジションで高い評価を受けている他の2人の選手を落とさなければならなかった。それは鹿島の中田浩二とガンバ大阪の遠藤保仁である。
 右ウイングは、京都のパク・チソン(朴智星)だ。ダイナミックで、しかも粘り強い選手であり、PSVアイントホーフェンでも間違いなくいい仕事ができるだろう。左はジュビロの藤田俊哉。インテリジェントかつクリエイティブな万能選手で、昨年のMVP受賞は伊達ではない。
 ゲームメーカーは、ヴェルディのブラジル人選手エジムンドにしたい。チームを1つにまとめて、目的と方向性を示し、素晴らしいゴールもいくつか挙げたからだ。彼の移籍は、ヴェルディとJリーグの両方にとってプラスであり、12月16日に発表されるJリーグMVPでも有力候補だろう。

 残るは、ストライカー。
 有力な選手は何人もいる。たとえば、ガンバの大柄なブラジル人マグロン、電撃的なスピードを誇る浦和のエメルソン、名古屋で安定した働きを見せているウェズレイなどがそうだ。
 しかし、ベスト・イレブンにもっとも相応しいのはジュビロの2人、高原直泰と中山雅史だろう。
 リーグ戦での2人のゴール数の合計は、42。タカは27試合で26ゴールを挙げたし、コンビネーションもとても良い。
 そうそう、ゴールキーパーも!
 やはりこのポジションも候補は何人もいるが、鹿島に在籍し、プレッシャーのかかる試合で安定した力を見せてきた曽ケ端準が抜けている。

 さあ、私が選んだ2002年度Jリーグ・ベスト・イレブンを改めて紹介させていただこう。フォーメーションは3−5−2。選手は、曽ケ端準がゴールキーパーで、鈴木秀人、ジャーン、松田がディフェンス。中盤は、パク・チソンに福西、服部、藤田、エジムンド。フォワードは、高原と中山だ。

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入れ替え制度がシーズンを救う

2002/12/01(日)

同じ日本に住む外国人なのだが、どうも北米の人たちはスポーツに対する考えが違うと感じる事が多い。
大方のアメリカ人にとっては、野球、アメリカンフットボール、バスケットボール、そしてアイスホッケーが4大スポーツとされる。
これら4大スポーツのうち、バスケットボールだけがフットボール(彼らは混同を避けるためサッカーと呼ぶ)と同じくらい人気があると言って良いようだ。サッカーという名称はもちろん英語で、ラグビー・フットボールとアソシエーション・フットボール(サッカーの正式名称)とを区別するため1800年中頃につけられたものだ。

少々話がそれてしまったようだ。
そのアメリカ人にとって、サッカーが野球より面白いと思える一面がある。それがチームの入れ替えである。
日本のJリーグとプロ野球を例にとってみよう。
Jリーグの優勝はすでに決まってしまっている。しかし土曜日の最終戦を控えて、まだまだ多くのファンの注目を集めているのは、3チームが降格争いをしているからだ。 (*11月29日現在)
コンサドーレ札幌は数週間前にJ2降格が決まってしまったが、サンフレッチェ広島、ヴィッセル神戸、そして柏レイソルのうちのどこかが来期はJ2でプレーすることになる。
つまり、ジュビロ磐田の選手、そしてファンはアウェーで行われる対名古屋グランパスエイト戦を余裕を持って楽しめる一方で、サンフレチェ、ヴィッセル、そしてレイソルはJ1生き残りをかけてシーズンの最終戦を戦うことになる。この3チームが戦うシーズン最後の3試合は、最後の瞬間まで何が起こるかわからないというドラマで大きく盛り上がるだろう。

さて今度はプロ野球に目を向けてみよう。
読売ジャイアンツはシーズン終了の数週間前にセントラルリーグ優勝を決めた。パシフィックリーグの西武ライオンズもまた然りである。
各リーグわずか6チームしかいない中、残りのチームは長く退屈なシーズンをダラダラとプレーすることになる。
シーズンはペナントレースがすべてであり、そのレースから脱落したものはそこでシーズンは終わると言っても良い。
例え、下位に低迷していても降格の心配もない。選手たちもファンも早くシーズンが終わり新たなシーズンが始まるのを待ちながら惰性の中でシーズンが続く。
私のアメリカ人の知人の何人かも、チームの入れ替えはシーズン最後まで興味を失わせない良いアイデアだと考えている。
やはり、着々と地盤を整備してきたチームがその後のシーズンで上位を占める事になるのだ。

来シーズン、大分トリニータとセレッソ大阪の2チームはJリーグ優勝を考えるわけではない。再降格を避け、J1に残留することが彼らの最大の仕事となるはずだ。その目標が達成された時に、初めて彼らは将来のシーズンのための下地作りができるのだ。
Jリーグに入れ替え制度が導入された1999年以来、シーズンの目標は単に勝つだけではなくなった。
アメリカ人がサッカーという競技の何に賛同しているのか、これで明らかになったと言えるのではないだろうか。

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