高円宮さまの急逝:日本にとって大きな損失
突然の高円宮さまのご逝去は、日本のサッカーにとってあまりにも大きな損失であったと、若かりし高円宮さまにサッカーの面白さを目覚めさせた男、岡野俊一郎氏はそう語った。
日本サッカー協会の名誉総裁を1987年から務められていた高円宮さまは、木曜日にスカッシュをされている途中に心室細動のため、帰らぬ人となられた。
しかしそれ以前から、高円宮さまはサッカーに興味を持っておられた。
昨年12月に赤坂の高円宮邸においてインタビューした折に、高円宮さまは小学生時代に岡野氏の司会していた三菱ダイヤモンドサッカーを見ていた事を話された。
スポーツをこよなく愛された高円宮さまは当時から、サッカーと言えば岡野氏だった。そして彼らは後々懇意になっていった。
「本当に日本のサッカーの為に尽くしてくださっていただけに、殿下のご逝去はショックです」。日本サッカー協会名誉会長の岡野氏はそう語った。
「殿下はサッカーのみならず、色々なスポーツに対して、また音楽や芸術に対しても造詣が深かった。文化やスポーツに対して非常に興味を持っておられた」
また岡野氏は、高円宮さまが2002年ワールドカップ誘致のために、日本を訪れる貴人をお招きしたりと、たいへんなご尽力をされたと語った。
「ワールドカップ開催中、殿下は日本のサッカー関係者の誰よりも多い、実に19試合も観戦されました」
「私は18試合観戦しましたが、殿下のお隣に座らせていただく機会が多かったですね」
「大阪で観戦した日本対チュニジアの試合で日本が勝ちセカンドラウンド進出を決めた瞬間に、殿下は立ち上がり両手を突き上げ、2人で喜び合った事を今でも印象強く覚えています」
「ワールドカップ決勝戦では、殿下と私は天皇皇后両陛下、そして韓国の金大中大統領ご夫妻の後ろに座らせていただきました。大変光栄な事でした」
高円宮さまは2002年のワールドカップを、日韓両国に理解と尊敬を深める良い機会になったと評した。
「このワールドカップで最も大切な事は、韓国と日本の両国が過去半世紀の間に歪められたその関係を修復する事です」
「両国にとって世界の中、アジアの中でお互いが等しく重要であるという事を理解する大きなチャンスなのです。我々が手に手をとって協力しながら、アジアの文化と経済を21世紀に伝えていかねばならないのです」
高円宮さまを偲びつつ岡野氏は、「殿下には本当に色々な思い出があります。一緒にサッカーもしましたし、お話もよくさせていただきました。時には日本のサッカーの将来について真剣に話し合ったりもしたものです」
「殿下のご逝去は日本サッカー協会にとって、本当に大きな損失です」
日本にとって、特に日本のサッカーにとって、ワールドカップ開催の年が非常に寂しく過ぎていこうとしている。
高円宮さまのご尽力が日本のサッカーの発展に与えた影響は大きい。
そして日本サッカーの発展に寄与した高円宮さまの役割は、決して忘れるべきではない。
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