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「ニュー・ゴン」、鮮烈デビュー

2002/10/17(木)

 中国代表の監督である瀋祥福(Shen Xiangfu)は、日本は「新たな中山」の力でアテネ・オリンピックに出場できるだろう、と考えている。
 これまでの10年は、ジュビロ磐田の「ゴン」中山(雅史)こそが日本代表の柱であったし、彼は2回のワールドカップを経験した。
 しかし瀋は、U−23の大会であるアジア大会で、日本は同じ名字の、そして同じくらい強力なストライカーをもう一人見出したと感じている。中山悟志である。
 現在20歳のガンバ大阪のフォワードは、アジア大会で計5ゴールを決め、U−21代表チームの銀メダル獲得に貢献した。
 グループDでの日本の初戦、パレスチナ戦でこそゴールはなかったものの、それ以降のバーレーン、ウズベキスタン、中国、タイ、イラン戦で中山は5試合連続ゴールを記録した。
 マサン市で行われた準々決勝の中国戦で、3人の強力なアタック陣をリードした中山のゴールとパフォーマンスは、瀋に深い印象を残した。

「日本のチームワークと組織力は素晴らしい」と瀋は語った。
「個々の選手のテクニックまで考えると、日本はとてもやりにくい相手」
 個々の選手をどうこう論じるのは難しい、と瀋は言う。
「日本チームは、ほとんど全員が同じレベルにあります。しかし、格段に印象深かった選手を1人だけ選ばねばならないとしたら、それは背番号19の選手、中山ですね。
「彼は前線を縦横に駆け回り、最後まで足を止めなかった。彼は中国戦で我々を破る見事なゴールを決めましたが、あれは本当に素晴らしいフィニッシュでした」

 準々決勝では、8月に上海で日本を1−0で破った中国が有利とみられていた。両国とも、来年行われる2004年アテネ・オリンピックのアジア予選に備えて、プサンにはU−21チームを送り込んでいた。
 両チームの差はほとんどなく、マサンでは日本が1−0勝ったが、逆に中国が1−0で勝っていても不思議ではなかった、と瀋は述べた。
「1人の監督がいくら頑張っても、1つのチームが1ヶ月でそんなに成長するわけはない。それは不可能です」とも瀋は語った。
「違いは、シュートの質にありました。
「中国は17本のシュートを打ったけれど、1点もとれなかった。一方、日本は試合を通じてたった5本しかシュートを打たなかったけれど、中山がゴールを決めました。我々が質の良いシュートを打っていたならば、結果は逆になっていたでしょう」
 瀋は1988年から1995年までの8年間、現在の川崎フロンターレの前身である富士通クラブで選手・コーチとして過ごした。
「当時、我々はパートタイムの選手で、プロではありませんでした。あれ以来、日本選手のレベルははるかに向上しました」と瀋は言う。
「中国、そして日本にも、アテネ・オリンピックの出場権を獲得して欲しいと思っていますが、おそらく大丈夫でしょう」

 火曜日、プサンからの帰路で私は、キメ空港でテヘランへのフライトを待つイランチームに出くわした。
 イランの選手たちに印象に残る選手を尋ねると、ここでも中山の名が挙がった。そしてさらに、中盤の中央でとても成熟したプレーを見せた、キャプテンの森崎和幸の名前も挙がった。
 しかし、彼らによれば、韓国の方が日本より上だったそうだ。
 ただし、このことは日本にとっては関係のないことだし、気にする必要もない。日本は銀メダルを持ち帰ったのだし、韓国は銅だったのだから。

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