パレスチナ戦の辛さ
もちろん、パレスチナから来たサッカーの代表は気の毒だと思う。
先週の土曜日、アジア大会での日本戦で、パレスチナのメンバー表には最終的に16人の選手しか登録されていなかった。
日本は最大限の20人を登録していた。
4人が欠けていたわけだが、その4人は騒乱の故郷でイスラエルの検問所を通過することを許されなかったのである。
韓国までたどり着いた16人の選手のうち、プロの選手はヨルダンのリーグでプレーしている1人だけ。
残りの選手の9割以上は外出禁止令下のヨルダン川西岸で暮らしており、大会に参加している他のチームのようなトレーニングはできなかった。
日本がパレスチナを2−0で破った後、我々が話を聞いた選手の1人は、イスラエル軍のブルドーザーに実家を解体されたそうだ。
解体の前、イスラエル軍は彼と16人の家族に20分以内に身の回りの持ち物をまとめて立ち去るよう命じたという。
このようなことが日本戦の背景にあり、電車がほんの数分遅れただけで不満をもらす日本の我々に、このような人生もあるのだということを示した。
しかし日本戦でのパレスチナ代表チームには、がっかりした気持ちしか抱けなかった。
試合開始から、パレスチナの目的は1つしかなかった。それは0−0で引き分けて勝ち点を得ること、である。
ストライカーは1人しか配していなかった。このこと自体はさほど珍しいことではないが、日本とまともにサッカーをしようとしないパレスチナの姿は、見ていて楽しいものではなかった。
ゴールキーパーは事あるごとにグラウンドに倒れ込んで負傷したふりをし、ゴールキーパーの同僚たちから圧力を受けた韓国の気弱なレフリーは、救急チームを呼ぶ以外になす術がなかった。
これは西アジアのチームに共通の戦術である。攻め込まれるとゴールキーパーが倒れ、そのまま立ち上がらない。ペナルティー・ボックスの真ん中でキーパーが倒れたままで、どうしてプレーを続行できよう?
キーパーはできる限り時間を稼ぎ、日本のフォワードがハーフライン付近まで下がり、キーパーがボールをキックするのを待っていると、ボールを足元に置いてただ立っているだけ。最後には、日本の選手がキーパーのところまで駆け寄り、なんとかボールを拾わせ、ゲームを進行させた。
日本選手とちょっとした接触があるたびに、フィールドのあちこちでパレスチナの選手がさも苦しそうにのたうち回る。それはまさに試合を台無しにする行為であり、アジア大会の精神を冒涜するものであった。
結局日本は、田中達也と根本裕一が後半にゴールを上げ、見事に勝利した。
パレスチナ選手の振る舞いにかかわらず、いかにもそれが大切であるかのように日本選手は規律と集中力を保ち続けた。
・・・しかし、その苦労も67分の田中の先制ゴールまでで充分だった。
不思議なことに、このあとにナンセンスが終わった。パレスチナは攻めて、同点にしなければならなかったのだ。
国際試合の皮肉な世界を経験したのは、日本の若者たちには良い勉強となっただろう。
しかし、見ていて辛い試合であった。
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