必要なのは、時間だけだろうか?
ジャマイカと1−1で引き分けた、ジーコの代表監督デビュー戦には2通りの見方がある。
1つは、フィールドに4人の黄金の男たち—中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一—を配した勇気を讚えるもの。
4人は才能豊かな選手であり、ジーコは彼らを一度にフィールドに送り出した場合どうなるかを見ようとした。彼は、パターンを作りだすのは選手の責任だとし、選手たちの能力と経験を信じた。
それは早い話、実験であり、負けて失うものはなかった。
日本代表のパフォーマンスに対するもう1つの見方は、無茶苦茶であり、リズム、繋がり、戦略に欠けるというものであった。
ジーコが中盤の4人に出した次のような指示をフィリップ・トルシエが聞いたなら、仰天したことだろう。「臨機応変に。試合中もお互いにポジション・チェンジをするように」
これはジーコのやり方であり、トルシエのやり方とは違う。フランス人監督が作り上げたのは、強固で、機械のように統制のとれたチームであった。部品を1つ交換しても、エンジンは滑らかな回転を続けるというわけだ。
トルシエのもとではチームワークが最優先事項であり、チーム内での自分の責任を理解した選手だけが、個人の才能を発揮する自由を与えられるのであった。こうした事情により、トルシエが中田英寿を理解するまでには長い時間が必要だった。中田は個人プレーが多すぎる、とトルシエが感じていたからである。
(個人的には、私は中田にはこのような感情は抱いてはいない。中田のレベルが他の選手よりはるかに高いことが最大の問題であり、他の選手は中田の動きやパスを読めないのだ、と私はつねづね思っていた。)
日本にとっては素晴らしい船出というわけではなかった。ジーコは新たな戦術の準備期間を充分には設けてはいなかったし、名良橋晃や秋田豊など、代表チームに数年間参加していなかった選手もいた。
ジーコの監督就任で私が絶えず憂慮しているのは、監督としての経験がないことである。
ジーコは有名人かもしれないし、ブラジル代表の偉大な選手かもしれない。あるいはトルシエよりメディア受けするかもしれない。しかし、これだけで彼が名監督だと言えるだろうか?
もちろん、トルシエがそうであったように、ジーコにも時間が必要である。ただし、フランス・ワールドカップ後にチームを再建しようとしていたトルシエとは事情が違う。ジーコにはチームを再建する必要はない。ジーコは、才能も経験も豊かな代表チームを引き継いだのである。
ジーコは、自分にはチームを上のレベルにまで引き上げる能力があることを証明しなければならない。ジャマイカ戦では素晴らしいと思う選手を送り出しただけであり、プランや戦術が欠如していたことについては、彼も対策を練ってくるだろう。
11月20日のアルゼンチン戦が次のテストの場であり、ジーコがこの試合で進歩を見せなければ、おそらく彼には助けが必要なのである。
結局、鹿島アントラーズではジーコはいつもテクニカル・ディレクターであり、毎日選手と実際に向き合うのではなく、首脳陣や監督を監督するのが役目であった。 監督デビュー戦については、実験でもあったのでそれほど悲観的にはなりたくないのだが、最高の選手が最高のチームを作るわけではないというトルシエの哲学を、私は強く支持したい。
バランス、規律、戦術は必要なのである。
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