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2002年10月

残念なコンサドーレの降格

2002/10/31(木)

 日曜日、カシマ・サッカースタジアムで心動かされる経験をした。コンサドーレ札幌のJ2降格が決定した日だ。
 コンサドーレはとてもおもしろい試合を見せてくれ、小倉隆史のゴールで2度のリードを奪った。
 そのたびに鹿島アントラーズが挽回した。柳沢敦が巧妙なゴールを2つ決め、ゲームは2−2で延長戦に突入した。
 大方の予想に反して、コンサドーレはJ1残留をかけてなおも勇敢に戦っていた。
 しかし、102分、鹿島の若きレフトバック、石川竜也のゴールによりアントラーズが3−2で勝利し、ジュビロ磐田を追うための勝ち点2を獲得した。と同時に、J1での試合を4つ残してコンサドーレ札幌の降格が決定した。
 来シーズン、私はコンサドーレがいないのを、とりわけJのトップリーグにいないのを残念に思うだろう。
 理由は、Jリーグ最北の地でがんばっているというだけでなく、北海道のチームであることをアピールした結果、コンサドーレには素晴らしいファンがついているからである。
 特にアウエーの試合で、ゴール裏などのアウエー・チームのサポーター席を特徴的な赤と黒のチームカラーで占めている光景は、いつも鮮烈な印象を与えてくれる。

 日曜日の試合の後、寛大な精神をあまり示したことのなかったアントラーズ・ファンが、長く辛いシーズンを送ってきたビジター・チームの苦労を讚えて、なんと「コンサドーレ」というチーム名の連呼を行なった。
 コンサドーレのファンも、「鹿島アントラーズ」というコーラスでこれに応え、それから威勢よく、そしてふてぶてしく「ウイ・アー・札幌」(「ウー・アー・カントナ」の憶えやすい節)で自分たちのチームへの忠誠を誓った。
 素敵な時間だった。Jリーグに関わる外国人がJリーグを見ていると、古き良き時代に戻ったように感じることがよくあるが、それは敬愛の念、家族的雰囲気があり、敵対するチーム間でも暴力沙汰がないからである。
 Jリーグにはずっとこうであってほしい!

 今シーズン、コンサドーレには3人の監督が次々とやって来た。最初は柱谷哲二であったが、監督業の厳しい洗練を受ける羽目になった。
 不運なケガにも見舞われた。特に、機転が利き、知性溢れる山瀬功治の故障は大きかった。
 しかし、コンサドーレはこれまでにもJ2からJ1に復帰した経験があり、今回も戻って来ることは可能である。コンサドーレは1998年にJリーグに加盟し、J1でわずか1シーズンを過ごしただけで降格。1999年と2000年のシーズンをJ2で過ごし、2000年のシーズンにJ2優勝を果たした。
 昨シーズン、コンサドーレ札幌はJ1リーグで11位であった。この成績は、24ゴールをあげたブラジル人選手ウィルに負うところが大きく、今シーズンは同じような強力な戦力には恵まれず、結果を出すことができなかった。
 コンサドーレが—その熱狂的なファンとともに—早くJ1に戻ってくれることを願う。

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トヨタカップで新しく適用されるルール

2002/10/27(日)

 12月3日に横浜国際スタジアムで行われるトヨタカップ、レアル・マドリード対オリンピア(パラグアイ)戦が非常に楽しみである。
 まずはもちろん、ロナウド、ルイス・フィーゴ、ジダン、ラウル、ロベルト・カルロス といった素晴らしい5人のプレーヤーが見られることだ。
 しかしそれ以上に興味深いのは、今回のトヨタカップで初めて導入される、延長戦についての新しいフォーマットである。

 今週東京で行われた記者会見で、日本サッカー連盟は以下のように発表した。 1.15分間の延長戦前半終了後、より多くの得点をあげたチームを勝者とする。 2.延長戦前半で決着がつかなかった場合においては、15分間の延長戦後半を行う。 3.延長戦前半・後半を終了した時点で同点の場合は、PK戦を行って勝者を決める。
 延長戦前半で試合を終えるという新しいルールは、ヨーロッパのUFEAによって提案された。南アメリカのUEFAにあたる、CONMEBOLもこの提案に同意した。そこでトヨタカップの運営委はヨーロッパ以外で初めてこのルールーを適用した。

 この変更の背景には、ヨーロッパの国々が延長戦でのゴールデンゴールによるサドンデス方式を好まないという事情がある。
 ヨーロッパの監督たちはゴールデンゴール方式が、プレーヤーたちから同点に追いつき追い越そうという意欲を奪うアンフェアなルールだと考えているようだ。
 また彼らはこの方式は試合に乱雑・混乱を招きかねないと考えている。例えば、皆さんはユーロ2000大会の準決勝、フランス対ポルトガル戦を覚えておられるだろうか? 延長戦でフランスにPKが与えられ、ジダンがゴールを決め試合に決着がついたのだが、ポルトガル陣の怒りはおさまらなかった。(彼らが怒る理由はなかった。ポルトガルDFは明らかにゴールエリアでボールを止めようと手を出していた。明らかにPKである。)

 ヨーロッパ側は、昨季、グラスゴーで行われたチャンピオンズ・リーグ決勝戦のレアル・マドリード対バイエル・レバークーゼン戦で適用されるはずだったこのルールが妥当であると信じている。
 ゴールデンゴールではなく、リードされたチームには同点に追いつく機会が与えられる。但し、延長戦前後半30分ではなく、前半戦終了後どちらかがリードしている場合は、そこで試合が終了する。
 例えば、レアル・マドリードとオリンピアが90分を過ぎて1−1の同点だったとする。 レアル・マドリードが延長前半で得点し、オリンピアが追いつく、そしてレアルが再び得点をあげる。すべて延長前半に、である。その場合、延長前半終了のホイッスルが鳴るとともに、レアルが3−2で勝者となる。

 グッド・アイデアだと思われますか?  個人的には、ノック・アウト方式のカップ戦ではサドンデス方式の方が好きだ。(リーグ戦ではない)
 そもそも全てのチームには、試合に勝つための90分が与えられているのだ。
 延長戦で最初に得点をあげたチームが勝利を与えられるのは、当然のことではないだろうか?なぜ、他方に同点に追いつく機会を与えなければならないのだろう?
 90分を終了した時点で同点だった場合の試合の終え方については、色々と議論が重ねられてきた。そうした意味では、今回のトヨタカップの方式は一見の価値がある。
 ただ、レアル・マドリードが90分で勝てないというのは、それ以上の驚きだが…。

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フィリップ・トルシエ、充電中

2002/10/24(木)

 答えは、ノー。日本対ジャマイカは見なかった。
 次の答えも、ノー。少なくとも今後6か月間はクラブ・チームも、代表チームも指揮するつもりはない。
 フィリップ・トルシエは、ほんのしばらくの間であったとしても、自宅でひっそりと過ごす生活を気に入っているようだ。
「見なかった。見るつもりもなかったけどね」トルシエは、ジーコが初めて指揮をとった、先週水曜日の日本代表の試合について、こう語った。
「6か月の休息が必要だし、日本についても語りたくはない。日本について語ってくれという申し出は、すべて断ったよ。少なくともこの6か月間は、何もする気はないんだ」

 現在、トルシエの心中では、来月の初めにパリで予定されている手術が最も差し迫った用件となっている。
「右ヒザの手術を受けることに決めたんだ。リハビリテーションには、2か月かかるだろう」とトルシエは言う。
「20年前、選手だった頃からの古傷なんだけど、そろそろヒザもきれいさっぱりと治す時期がきたようだね。
「時々痛むけど、そんなにひどくはない。私も年なんだろうね」

 7月、日本代表をワールドカップのセカンド・ラウンドに導いた後、トルシエは日本を去った。
 それ以来、トルシエのもとにはクラブや各国協会からのオファーが殺到したが、次に指揮するチームについては結論を急ぎたくない、というのがトルシエの回答であった。
「先週のイプスウィッチ・タウンからのオファーを断ったのも、そんな理由からだし、中国、セネガル、チュニジア、モロッコ、イラン、サウジアラビアからのオファーも同じ理由だった」と47歳のフランス人は語った。
「サンダーランドやスタンダール・リエージュからも打診があったし、3日前にはクロアチア代表チームから話があったよ。
「中国には興味がなかった。4年前日本でやったのと同じようなことに取り組むことになるからね。即断を求められたので、休息が必要だ、と答えたよ。
「自分を檻の中のライオンみたいに感じたりする。女房が調教師でね。まあ今は、3本足のライオンだけどさ」
「6か月経てば、体調も万全になって、誰とでも戦えるようになるよ」とジョークも出た。

 日本再訪は1月上旬に予定されている。前の雇い主である日本サッカー協会の招きにより講演を行う予定だ。
 日本について語るのは休養のあと、と言っていたにも関わらず、トルシエは浦和レッズがJ1の首位にいることを知っており、鹿島アントラーズの若手ミッドフィールダーで、ワールドカップでは人気者の中村俊輔を犠牲にしてまで代表入りさせた、小笠原満男の調子について知りたがった。
「浦和レッズには驚いていない。素晴らしい攻撃力のあるチームだからね」とトルシエは語る。
「首位の座が入れ替わるのはいいことだ」
 注目すべき選手の一人として、トルシエは浦和レッズのストライカー、永井雄一郎の名を挙げた。
「彼は、1999年にナイジェリアで戦った私のユース・チームでも指折りの素晴らしい選手で、準決勝のウルグアイ戦では見事なゴールを決めたんだ。私は、彼を代表候補の40人にも選んだ。彼は代表チームでもとても特別な選手になれると思ったからね。
「小笠原も考え方のしっかりした、とても良い選手だね。とても将来性のある選手だね」
 トルシエが語っていた場所はパリの自宅であったが、今後はモロッコのラバトでリハビリ期間を過ごすそうだ。

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必要なのは、時間だけだろうか?

2002/10/20(日)

 ジャマイカと1−1で引き分けた、ジーコの代表監督デビュー戦には2通りの見方がある。
 1つは、フィールドに4人の黄金の男たち—中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一—を配した勇気を讚えるもの。
 4人は才能豊かな選手であり、ジーコは彼らを一度にフィールドに送り出した場合どうなるかを見ようとした。彼は、パターンを作りだすのは選手の責任だとし、選手たちの能力と経験を信じた。
 それは早い話、実験であり、負けて失うものはなかった。

 日本代表のパフォーマンスに対するもう1つの見方は、無茶苦茶であり、リズム、繋がり、戦略に欠けるというものであった。
 ジーコが中盤の4人に出した次のような指示をフィリップ・トルシエが聞いたなら、仰天したことだろう。「臨機応変に。試合中もお互いにポジション・チェンジをするように」
 これはジーコのやり方であり、トルシエのやり方とは違う。フランス人監督が作り上げたのは、強固で、機械のように統制のとれたチームであった。部品を1つ交換しても、エンジンは滑らかな回転を続けるというわけだ。
 トルシエのもとではチームワークが最優先事項であり、チーム内での自分の責任を理解した選手だけが、個人の才能を発揮する自由を与えられるのであった。こうした事情により、トルシエが中田英寿を理解するまでには長い時間が必要だった。中田は個人プレーが多すぎる、とトルシエが感じていたからである。
 (個人的には、私は中田にはこのような感情は抱いてはいない。中田のレベルが他の選手よりはるかに高いことが最大の問題であり、他の選手は中田の動きやパスを読めないのだ、と私はつねづね思っていた。)

 日本にとっては素晴らしい船出というわけではなかった。ジーコは新たな戦術の準備期間を充分には設けてはいなかったし、名良橋晃や秋田豊など、代表チームに数年間参加していなかった選手もいた。
 ジーコの監督就任で私が絶えず憂慮しているのは、監督としての経験がないことである。
 ジーコは有名人かもしれないし、ブラジル代表の偉大な選手かもしれない。あるいはトルシエよりメディア受けするかもしれない。しかし、これだけで彼が名監督だと言えるだろうか?
 もちろん、トルシエがそうであったように、ジーコにも時間が必要である。ただし、フランス・ワールドカップ後にチームを再建しようとしていたトルシエとは事情が違う。ジーコにはチームを再建する必要はない。ジーコは、才能も経験も豊かな代表チームを引き継いだのである。
 ジーコは、自分にはチームを上のレベルにまで引き上げる能力があることを証明しなければならない。ジャマイカ戦では素晴らしいと思う選手を送り出しただけであり、プランや戦術が欠如していたことについては、彼も対策を練ってくるだろう。
 11月20日のアルゼンチン戦が次のテストの場であり、ジーコがこの試合で進歩を見せなければ、おそらく彼には助けが必要なのである。
 結局、鹿島アントラーズではジーコはいつもテクニカル・ディレクターであり、毎日選手と実際に向き合うのではなく、首脳陣や監督を監督するのが役目であった。 監督デビュー戦については、実験でもあったのでそれほど悲観的にはなりたくないのだが、最高の選手が最高のチームを作るわけではないというトルシエの哲学を、私は強く支持したい。
 バランス、規律、戦術は必要なのである。

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「ニュー・ゴン」、鮮烈デビュー

2002/10/17(木)

 中国代表の監督である瀋祥福(Shen Xiangfu)は、日本は「新たな中山」の力でアテネ・オリンピックに出場できるだろう、と考えている。
 これまでの10年は、ジュビロ磐田の「ゴン」中山(雅史)こそが日本代表の柱であったし、彼は2回のワールドカップを経験した。
 しかし瀋は、U−23の大会であるアジア大会で、日本は同じ名字の、そして同じくらい強力なストライカーをもう一人見出したと感じている。中山悟志である。
 現在20歳のガンバ大阪のフォワードは、アジア大会で計5ゴールを決め、U−21代表チームの銀メダル獲得に貢献した。
 グループDでの日本の初戦、パレスチナ戦でこそゴールはなかったものの、それ以降のバーレーン、ウズベキスタン、中国、タイ、イラン戦で中山は5試合連続ゴールを記録した。
 マサン市で行われた準々決勝の中国戦で、3人の強力なアタック陣をリードした中山のゴールとパフォーマンスは、瀋に深い印象を残した。

「日本のチームワークと組織力は素晴らしい」と瀋は語った。
「個々の選手のテクニックまで考えると、日本はとてもやりにくい相手」
 個々の選手をどうこう論じるのは難しい、と瀋は言う。
「日本チームは、ほとんど全員が同じレベルにあります。しかし、格段に印象深かった選手を1人だけ選ばねばならないとしたら、それは背番号19の選手、中山ですね。
「彼は前線を縦横に駆け回り、最後まで足を止めなかった。彼は中国戦で我々を破る見事なゴールを決めましたが、あれは本当に素晴らしいフィニッシュでした」

 準々決勝では、8月に上海で日本を1−0で破った中国が有利とみられていた。両国とも、来年行われる2004年アテネ・オリンピックのアジア予選に備えて、プサンにはU−21チームを送り込んでいた。
 両チームの差はほとんどなく、マサンでは日本が1−0勝ったが、逆に中国が1−0で勝っていても不思議ではなかった、と瀋は述べた。
「1人の監督がいくら頑張っても、1つのチームが1ヶ月でそんなに成長するわけはない。それは不可能です」とも瀋は語った。
「違いは、シュートの質にありました。
「中国は17本のシュートを打ったけれど、1点もとれなかった。一方、日本は試合を通じてたった5本しかシュートを打たなかったけれど、中山がゴールを決めました。我々が質の良いシュートを打っていたならば、結果は逆になっていたでしょう」
 瀋は1988年から1995年までの8年間、現在の川崎フロンターレの前身である富士通クラブで選手・コーチとして過ごした。
「当時、我々はパートタイムの選手で、プロではありませんでした。あれ以来、日本選手のレベルははるかに向上しました」と瀋は言う。
「中国、そして日本にも、アテネ・オリンピックの出場権を獲得して欲しいと思っていますが、おそらく大丈夫でしょう」

 火曜日、プサンからの帰路で私は、キメ空港でテヘランへのフライトを待つイランチームに出くわした。
 イランの選手たちに印象に残る選手を尋ねると、ここでも中山の名が挙がった。そしてさらに、中盤の中央でとても成熟したプレーを見せた、キャプテンの森崎和幸の名前も挙がった。
 しかし、彼らによれば、韓国の方が日本より上だったそうだ。
 ただし、このことは日本にとっては関係のないことだし、気にする必要もない。日本は銀メダルを持ち帰ったのだし、韓国は銅だったのだから。

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天性のリーダー、阿部

2002/10/13(日)

 日本の若きライオンたちは、目に見えて成長している。チームはアジア大会を勝ち抜き、ついに日曜日の決勝まで進出した。
 なかでも、阿部勇樹の成長ぶりが目を引く。
 ジェフ市原所属の21歳の選手は、稲本潤一と似たようなプレー・スタイルで、Jリーグでは中央のミッドフィールダーとして注目を集めていた。
 しかしここプサンで阿部は、キャプテンでリベロの青木剛の代役を務めている。先週の土曜日、激しい戦いの末ウズベキスタンを1−0で破った試合で青木が負傷したからだ。

 準々決勝の中国戦(1−0)、準決勝のタイ戦(3−0)で、日本はただ1つのゴールも許さなかった。
 これは、優れたチーム・ディフェンスに負うものである。日本チームのディフェンスは、フォワードが相手ディフェンダーにプレッシャーを与え、ミッドフィールダーがボールを奪いやすくすることから始まる。ボールを奪う役割に特に秀でていたのが鈴木啓太で、タイ戦での試合を決定づけた見事なゴールはまさにこのようなディフェンスから生まれたものであった。
 ただし、鈴木はリーダーではない。少なくとも、今のところは。

 しかし、バックラインでは、瞬く間に阿部が自然とチームを鼓舞するリーダーとなった。
 タイ戦で、阿部は日本のベスト・プレーヤーであった。集中力を保ち続け、試合の序盤ではチームメートの何気ないプレーにも指示を与えていた。
 中盤で三田光がボールを奪われた時も、阿部は見事なタイミングのタックルでカバーし、窮地を救った。
 後半もタイが攻勢を続けたが、阿部は空中戦でも強いところを見せつけ、ペナルティーエリア内外の重要な位置での競り合いにも多くの勝利をおさめた。

 ウズベキスタン戦の後、私はアジア・サッカー連盟の技術委員会の一員である、カ・コクミン氏と話す機会を得た。氏は、元香港代表監督であり、コーチのサークルで高く尊敬されている人物である。
 カ・コクミン氏は日本チームの技術と組織力を評価したが、日本にはピッチでのリーダーがおらず、大会が進むにつれ重大な問題になるかもしれないと述べた。
 実際、タイ戦において、タイの選手たちが絶えずお互いを鼓舞しあっていたのに対して、日本の選手は長い間声が出ないことがあった。
 ウルサン・ムンス・サッカー競技場はほとんどガラガラだったので、フィールドの声も良く聞こえる。
 日本の側に立ってみると、声が聞こえることはあまり多くはなかった。声のほとんどは、タイの選手たちが発したものであった。

 フィリップ・トルシエは、チーム内での会話とコミュニケーションの欠如についていつも語っていた。練習中に雰囲気が暗くなると、怒鳴り合ったり、話し合ったりするように、しょっちゅう選手たちを鼓舞していたものだ。
 コミュニケーションはサッカーでは重要な要素であり、この点に関しては日本チームの若者たちにはまだまだ学習すべきことがある。
 ただし、リーダーになれる人物としては、阿部がいる。ディフェンス中央での阿部の存在感は、何ものにも換えがたいものであった。

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タレントは揃ったが・・・

2002/10/10(木)

 ジーコの代表チームが月曜日に東京で初めて発表されたが、少なくともある一点については予想通りだった。それは、「スター選手」の人数だ。
 前任者のフィリップ・トルシエはスターのいないチームを好んだ。彼が好んだのは、プロフェッショナルかつビジネスライクな方法で自分の仕事を果たそうとする選手による、機能的なチームである。
 ジーコの哲学は、まったくその逆である。ジーコがやろうとしているのは、まず最高の選手を選んで、それからチーム作りを始めようというものだ。

 トルシエの考え方は、自分のシステムに適応できる選手を選ぶというものであり、最高の選手が最高のチームを作るとは限らないというものであった。
 この考え方ゆえに、中村俊輔はワールドカップに出場できなかったのである。
 トルシエは、小野伸二、服部年宏、アレックスらが激しく競う中盤の左サイドの位置でも、あるいは中田英寿、森島寛晃、小笠原満男がポジション争いでリードしている攻撃的ミッドフィルダーの役割でも、中村の入り込む余地はないと考えた。
 それゆえ、中村俊輔がファンからも、メディアやスポンサーからも絶大な人気を博していたのにもかかわらず、トルシエは自身の哲学を貫き、中村を選ばなかったのだ。
 トルシエが終始こだわり続けた二人の選手、戸田和幸と明神智和をジーコが外したのも、二人の思考プロセスの違いを示すものである。

 かつてトルシエは、完ぺきなチームとは明神が8人いるチームだと語ったことがある。つまり、しゃれたプレーやスター気取りもなしに、ひたすら自分の仕事を果たそうとする明神のような選手が8人いて、残りの3人がチームの個性、成績を決定するというわけだ。
 8人どころか、ジーコは1人の明神も入れずにチームを作ろうとしている。
 名波浩の招集も予想できたことであった。ただし、ジーコといえども名波、中村、アレックス、小野の全員を同じチームで一度に使うことはできない。
 もちろん、ジーコの選考はファンやメディアをハッピーにしたし、スター選手の起用を好む、日本サッカー協会の会長、川淵三郎氏をもハッピーにした。
 しかし、チームのバランスは大丈夫なのだろうか?
 素晴らしい才能に恵まれた選手たちとはいえ、全員を同時にプレーさせることは不可能である。とすれば、ジーコは、メンバーを最大限に活用するだけの戦術的知識を持っているのだろうか?
 ピッチ上で自我の強い選手が多くなりすぎて、相互に競い合うかわりに、目立つことだけを考えてプレーしてしまうことにはならないのだろうか?

 波戸康広がまたも選に漏れたのは残念だが、名良橋晃が招集されたのは嬉しいことだ。
 ここ6年かそれ以上、名良橋は日本最高の右ライトバックであった。トルシエが5人の中盤の右サイドになぜ名良橋を選ばなかったのか、私には不可解であった。
 たしかに、タックルする時や攻め上がるがどうかの決断を下す時に自制心を失うことはあるが、名良橋は激しく、積極的で、そしてプライドと勇気を持ってプレーをしている。
 魅力的なプレーヤーは用意された。
 しかし、勝つためのシステムはどうだろう?

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サッカーが他のスポーツから学ぶべき事

2002/10/06(日)

 サッカーは実に素晴らしいスポーツである。しかしこれはサッカーが完璧であるという事ではない。
 むしろサッカーは完璧からほど遠い。
 私はサッカーには他のスポーツからまだまだ学ぶべき点があると思っていた。そして、ここ釜山でアジア大会の試合を見て、その思いをますます強くした。

 その日は、男子ホッケーの日本対インド戦を観戦した。
 チーム構成と戦術面において、ホッケーはサッカーと非常によく似ている。1チーム11人のプレーヤーで闘う事、ゴールキーパー、リベロの存在、そしてマンツーマンのマーク、中盤のゲームメーカーとエースストライカーの存在等である。
 また、ディフェンダー、ミッドフィールダー、そしてオフェンスに分かれているため、サッカーファンにとって観戦していて非常にわかりやすいのだ。

 私がホッケーについて特に感心したのは、選手交代の仕方だ。
 皆さんがどう考えておられるかは分からないが、私はサッカー観戦の際、特にゲーム終了間際の選手交代にイライラする事がある。
 1−0で勝っているチームが、あるいはなんとか引き分けのまま試合を終わらせようとするチームが、残り数分という場面で選手を交代し、またロスタイム残りわずかの場面でさらに選手を交代するといった場面をこれまで何度見させられた事だろう。
 もちろんこれらはルール違反ではないが、ファーサイドにいる選手をベンチへ引き上げさせ、またその選手もベンチまでゆっくり歩き、そしてベンチ前で他の選手と握手を繰り返す。そんな事のために、試合は30秒以上も中断されてしまうのだ。
 なぜこんな三文芝居のためにスタジアム中が待たねばならないのだ。

 それならば、サッカーはホッケーから学べば良いのではないだろうか。
 ホッケーの試合において、選手交代の時は代わるべき選手の背番号を書いたボードを持ちハーフラインへ向かう。
 ボードに書かれた背番号の選手はサイドラインへ走り、そのボードを受け取ってベンチへ走って帰るのだ。
 その間、ゲームが止まる事はない。
 ピッチ上には11人の選手しか入れない。その為に交代して下がる選手は速やかにピッチを去らねばならない。
 このシステムは非常に上手く機能しており、サッカーの試合でも試してみると良いのではと私は思う。きっと無用で反則スレスレの時間稼ぎは減り、試合終了まで熱戦を楽しむことができるはずだと思う。

 もう一つ、サッカーが見習うべきスポーツはラグビーだ。ラグビーには7人制と15人制がある。
 ラグビーは激しく、またスピードもあり選手が負傷する事も多い。
 ラグビーの場合、選手が負傷して治療が必要な時には、たとえプレーが続いていても、チームドクターがピッチ内に入る事が許されている。
 まったく怪我などしていないのに、怪我をしているように装って審判を欺き、プレーを止めるといった行為をやめさせるためには、これをサッカーに取り入れてみると有効であろう。
 サッカーが世界中でも最も素晴らしいスポーツの一つであることは間違いない。
 ただし、問題点がないわけではないのだ。

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パレスチナ戦の辛さ

2002/10/03(木)

 もちろん、パレスチナから来たサッカーの代表は気の毒だと思う。
 先週の土曜日、アジア大会での日本戦で、パレスチナのメンバー表には最終的に16人の選手しか登録されていなかった。
 日本は最大限の20人を登録していた。
 4人が欠けていたわけだが、その4人は騒乱の故郷でイスラエルの検問所を通過することを許されなかったのである。
 韓国までたどり着いた16人の選手のうち、プロの選手はヨルダンのリーグでプレーしている1人だけ。
 残りの選手の9割以上は外出禁止令下のヨルダン川西岸で暮らしており、大会に参加している他のチームのようなトレーニングはできなかった。

 日本がパレスチナを2−0で破った後、我々が話を聞いた選手の1人は、イスラエル軍のブルドーザーに実家を解体されたそうだ。
 解体の前、イスラエル軍は彼と16人の家族に20分以内に身の回りの持ち物をまとめて立ち去るよう命じたという。
 このようなことが日本戦の背景にあり、電車がほんの数分遅れただけで不満をもらす日本の我々に、このような人生もあるのだということを示した。
 しかし日本戦でのパレスチナ代表チームには、がっかりした気持ちしか抱けなかった。
 試合開始から、パレスチナの目的は1つしかなかった。それは0−0で引き分けて勝ち点を得ること、である。

 ストライカーは1人しか配していなかった。このこと自体はさほど珍しいことではないが、日本とまともにサッカーをしようとしないパレスチナの姿は、見ていて楽しいものではなかった。
 ゴールキーパーは事あるごとにグラウンドに倒れ込んで負傷したふりをし、ゴールキーパーの同僚たちから圧力を受けた韓国の気弱なレフリーは、救急チームを呼ぶ以外になす術がなかった。
 これは西アジアのチームに共通の戦術である。攻め込まれるとゴールキーパーが倒れ、そのまま立ち上がらない。ペナルティー・ボックスの真ん中でキーパーが倒れたままで、どうしてプレーを続行できよう?
 キーパーはできる限り時間を稼ぎ、日本のフォワードがハーフライン付近まで下がり、キーパーがボールをキックするのを待っていると、ボールを足元に置いてただ立っているだけ。最後には、日本の選手がキーパーのところまで駆け寄り、なんとかボールを拾わせ、ゲームを進行させた。
 日本選手とちょっとした接触があるたびに、フィールドのあちこちでパレスチナの選手がさも苦しそうにのたうち回る。それはまさに試合を台無しにする行為であり、アジア大会の精神を冒涜するものであった。

 結局日本は、田中達也と根本裕一が後半にゴールを上げ、見事に勝利した。
 パレスチナ選手の振る舞いにかかわらず、いかにもそれが大切であるかのように日本選手は規律と集中力を保ち続けた。
 ・・・しかし、その苦労も67分の田中の先制ゴールまでで充分だった。
 不思議なことに、このあとにナンセンスが終わった。パレスチナは攻めて、同点にしなければならなかったのだ。
 国際試合の皮肉な世界を経験したのは、日本の若者たちには良い勉強となっただろう。
 しかし、見ていて辛い試合であった。

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