« 宙ぶらりんのユ・サンチョル | トップページ | 帰ってきたゼリッチ »

ヴェルディのため、そして代表復帰のため

2002/09/09(月)

 ジーコが代表監督に就任するやいなや、前任監督フィリップ・トルシエが好んで使っていた3−5−2システムに代わって4−4−2システムが導入されるのではという憶測が広まった。
 もしジーコがシステム変更をよりスムーズに行うための頼れる左サイドバックが必要だとしたら、それは相馬直樹をおいて他にはいないだろう。
 今年で31才の東京ヴェルディのディフェンダー、相馬はこれまで59試合に日本代表として出場していたが、横浜で行われた対イラン戦以来この3年間は代表に招集されることはなかった。
 しかし、かつて鹿島アントラーズの一員としてプレーしていた彼は、特にジーコが代表監督に就任したということもあって、代表復帰への望みは決して捨てていない。
「ジーコと共にプレーしてきましたが、彼が4−4−2以外のシステムでプレーした事はなかったですね」Jリーグの中でも数少ない典型的なフルバックである相馬はそう言う。「僕もまだ代表でプレーしたいと思っていますし、これからも一生懸命プレーするだけです」

 先週土曜日に行われたセカンドステージ初戦、ヴェルディがパープルサンガを5−0で下した試合をジーコは観戦していたが、その試合における相馬の、ワールドカップ韓国代表、朴智星に対するディフェンスは抜きんでたものだった。
 試合後のロッカールームでジーコと相馬は長い間話していたのだが、相馬は話の内容については明らかにする事はなかった。
「ジーコのためとでも言っておきましょうか」と相馬は言った。
「ただ彼は以前からJリーグでのプレーが一番大事だと言っていましたしね」
「いまはヴェルディが少しでも順位を上げられるようにプレーするだけです。そしてチームが強くなれば自然とジーコは注目してくれるはずですよ」
「また、チームとして良い結果を積み重ねていけばファンもついてくるし、そうすれば個人的にも良い結果を残せると思っています」
 1998年のワールドカップフランス大会での日本のベストプレーヤーの一人である相馬の、いかにも現実的な姿勢の現れた言葉である。

 フランス大会から1年後の彼は、所謂トルシエによる日本代表チームの大改造に伴う犠牲者のようであった。トルシエは彼のシステムでの5人のMFには小野伸二や中村俊輔のような、より攻撃的な選手を好んだのだ。
 その上、2000年12月に相馬は天皇杯準決勝のガンバ大阪戦で膝のじん帯を故障してしまった。
 そして彼の故障欠場中、アントラーズはブラジル人プレーヤー、アウグストと契約し、彼の活躍により相馬は故障から復帰したもののチームの中でのポジションを失ってしまったのだ。
 結果として、相馬はヴェルディにレンタル移籍をし、今、ヴェルディを引っ張っている。
「昨年のヴェルディはJ1に残る事さえ厳しい状況でした。だから今シーズン当初は僕もやらなければならない事がたくさんあったのです」彼は言う。
「しかしチームもまとまり、結果として3連勝で自信も戻りつつあります」
ヴェルディがこのまま快進撃を続けている限り、ジーコが相馬を再び日本代表として選出しても驚くべき事ではない。

固定リンク | | コメント (0)

コメント

この記事へのコメントは終了しました。