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2002年9月

チーム力を強調する鈴木

2002/09/30(月)

 釜山で行われているアジア大会の日本U−21代表は、4年前のタイでの大会の時のようにスター選手がいるわけではないが、とてもバランスのとれたチームである。
 浦和レッズの未来のスターであり、土曜日にパレスチナと対戦した日本代表の中盤を預かる鈴木啓太はそう語った。

「確かにチームにはスターと呼べる選手はいません」鈴木は認める。
「だけど我々は強いチームですよ。皆よく動くし、一緒に考えるし、これはこのチームの優れたところだと思います」
 グループDの日本代表はパレスチナ戦を皮切りに、火曜日にはバーレーン、そして来週土曜日にはウズベキスタンと対戦する。
 準決勝へは、6つの各グループの勝者及び各グループ2位のうち上位2チームが進出する。

 今回のアジア大会で、アジアサッカー連盟は初めて、オリンピックのようにU−23以外に3人のオーバーエイジプレーヤーの参加を認めた。
 しかし、今回の日本代表はプレーヤー全員が21才以下という不利を背負っている。代表監督、山本昌邦は2004年アテネオリンピックの出場権を得る事を考えたチーム編成をした。すなわち、今アジア大会の顔ぶれはそのまま新しいジーコの日本代表のスタートラインということになる。

 土曜の午後に梁山で行われた試合で、ヨルダンに代わって急遽参戦したパレスチナを破る事は日本にとっては難しい事ではないが、火曜日の夕方に蔚山で行われる対バーレーン戦はタフなものになるだろう。
 そして来週土曜日に馬山で行われる日本の第3試合、元ソビエト連邦の一員、対ウズベキスタン戦もまたハードなものになると思われる。1994年に広島で開催されたアジア大会で、ウズベキスタンはビッグアーチで行われた決勝で中国を4−2で下し見事金メダルを獲得している。

 Jリーグで経験を積んだ選手が数多くおり、山本監督は、特に中盤の選手には困らないはずだ。
 ハンス・オフト監督の指揮下、浦和レッズで成長を遂げた鈴木、そして16才にしてJリーグ入りし、今やジェフ市原のレギュラーに定着した阿部勇樹。
 森崎和幸はサンフレッチェ広島の中盤を指揮し、横浜F・マリノスから移籍した石川直宏はFC東京の中盤右サイドで素晴らしい働きをしている。石川のチームメイトである茂庭照幸もいる。
 さらに2人の人材を挙げるとすると、東京ヴェルディ1969の右バック、田中隼磨とセレッソ大阪のフォワード、大久保嘉人であろう。
 長崎の国見高校時代からずば抜けていた大久保は、今シーズンJ2とは言え素晴らしい得点力を見せている。

 今大会ではあまり有力視されるチームでない上に、また4年前のバンコクでのアジア大会での小野伸二のようなスターもいないが、あらゆる面で目を見張るべき質の高さがこのチームにはある。
 スター不在のチーム?
 それこそ前代表監督、フィリップ・トルシエが聞けばほくそ笑むに違いない。

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降格ではなく、優勝

2002/09/26(木)

 Jリーグの2ステージ制には、それはないだろうと思うことや、訳のわからないことがたくさんある。
 セカンド・ステージ第5節が終わり、柏レイソルはそんなおかしな状況の真っただ中にいる。
 レイソルは他のチームと違って、優勝を目指す戦いと同時に、降格から逃れるための戦いをしているのである。
 奇妙な話ではないだろうか。
 しかし、これこそが2ステージ制の産物であり、私はこのような制度は一刻も早く廃止されるべきだと感じている。この制度は、リーグでの延長戦と同じように、世界のサッカーの潮流からはずれたものであるからだ。

 土曜日、柏の葉公園総合競技場で鹿島アントラーズを1−0で破ったあと、レイソルのブラジル人監督、マルコ・アウレリオは、降格については考えてもいない、と述べた。
 アウレリオの視線は下ではなく、上を向いている。「チームがセカンド・ステージ優勝を目指してチャレンジするのを見たい」というのが彼の言葉だ。
 アウレリオのこの発言の前、レイソルは久々に勝利したのだが、この勝利は4月20日以来なんと12試合ぶりであった!
 しかし2ステージ制であるため、アウレリオのコメントは表面上はさほど奇妙には聞こえなかった。
 レイソルはファースト・ステージ14位に終わり、勝ち点は最大45点のところ11点。これは最下位のコンサドーレ札幌の勝ち点を5、15位のサンフレッチェ広島を1だけ上回るものであった。
 セカンド・ステージ、レイソルの勝ち点は3つの引き分けと鹿島戦での勝利により、現時点で6。
 ジュビロ磐田との勝ち点差は6となった。残り10試合、勝ち点に換算するとまだ30点が残されているため、数字上は、柏レイソルにも優勝のチャンスがもちろんある。

「1つ勝ちさえすればチームのツキは変わる」とマルコ・アウレリオは言っていたが、とにかく彼のチームは1つ勝ったわけだ。
 しかし、サンフレッチェ広島やヴィッセル神戸といった他の下位チームも最近勝ち点を挙げているため、リーグ残留が今後の柏にとっての大命題となることも確かである。
 実際、新監督は懸案であったチームの大改造にも着手した。
 土曜日、アウレリオは19歳のリベロ、永田充に2度目の、同じく19歳のフォワード、宇野沢祐次には4度目のリーグ戦出場機会を与えた。
 2人のうちでは、宇野沢の方が印象的だった。空中戦に強く、積極的な動きを見せ、ワールドカップ優勝のブラジル・メンバー、エジウソンとのコンビは脅威であった。
 53分のリカルジーニョの決勝ゴールは、宇野沢の自信に満ちた動きとタイミングの良いパスから生まれたものであった。

 一方の永田は緊張していたようで、危険な位置で不注意なパスを出してボールを失うことが2度ほどあった。後半、ディフェンスの後方に出されたロングボールの処理をミスした時には、幸運にも柳沢がしくじってくれた。危険な場面ではあったが、柳沢のシュートはクロスバーの上を過ぎた。
 鹿島戦での勝利により、長らく苦しんできたサポーターも心穏やかに残りのシーズンを迎えることができるだろうが、優勝より降格の可能性が高いというのも柏の現実である。
 柏には、降格するとは思えないほど良い選手がたくさんいるが、シーズンが期待外れになった時には、柏の誰もが中位の平凡な成績にもほっと胸をなで下ろすことになるのだろう。

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安貞桓の来日はJリーグにとって大きなプラス

2002/09/23(月)

 清水エスパルスは韓国のワールドカップスター、安貞桓との契約にこぎつけた。
 26才のFW安は先週火曜日に来日し、水曜日の朝にはホテルでの記者会見でメディアにお披露目された。
 その後彼はすぐ清水に向かい、水曜夕方のジュビロ磐田との静岡ダービーにおいてファンに紹介された。

 0−2でその試合に敗れたエスパルス。フォワードラインへのスピードとエネルギーの注入が必要である事は明らかだ。
 安はチームにそれらだけでなく、もっと多くのものを与えるだろう。
 その端正な顔立ちと流れるような長髪で、日本でも多くの女性ファンを獲得した彼の移籍によって、エスパルスも多くの観客をスタジアムに呼ぶことができるようになるはずだ。
 そしてこれはエスパルスにとって良い事というだけでなく、Jリーグにとってもワールドカップで火のついたサッカー熱を保つ事ができるという面で良い結果になるに違いない。

 安はスピードもあり、空中戦にも強い。それは対アメリカ戦や、あのパオロ・マルディーニの更に上から決めたセカンド・ラウンドの対イタリア戦でのゴールデンゴールがそれを証明している。
 良くも悪くもないファーストステージを経て、そして出だしから躓いてまだまだ落ち込みそうなセカンドステージをスタートさせたエスパルス。しかし、そのエスパルスのシーズンを、安なら今からでもガラっと変えることができるだろう。

 エスパルスはトーナメントには強いがリーグ戦には弱いという、喩えて言うならイングランドのトットナム・ホットスパーのようなチームであると評される。
 ある時は相手がどこであろうと勝つが、その力をシーズンを通してコンスタントに保つ事ができない。
 しかしそれは、安とエスパルスにはまだ3本のトロフィー獲得のチャンスがあるという事でもある。
 10月2日にアウェーで鹿島アントラーズと準決勝を戦うナビスコ杯、そして9日に第1試合を行なうAFCチャンピオンズリーグ、さらには年末の天皇杯の3つである。

 1年の契約を結んだ安だが、「さて実際日本にはいつまでいるのだろう」というのが大方の日本人の思うところだろう。
 結局、来年1月に再びヨーロッパへの移籍が取りざたされるようになった時に、エスパルスが移籍金を得る事ができるように1年契約を結んだというのがウラの話というところであろう。
 もし今年末までの4ヶ月契約であれば、彼はフリーエージェントとなりエスパルスは安のために支払ったお金さえ回収できないという事態になる。
 安は今、エスパルスの事しか考えていないと言う。
 ならば我々ファンも、できるだけエキサイティングなこの才能を楽しもうではないか。

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ジーコの抜擢は、田中?

2002/09/19(木)

 日本代表の新監督、ジーコが示唆したところによれば、10月16日の日本代表対ジャマイカ戦では、一人か二人、意外な選手の抜擢があるかもしれない。
 ジーコの親友であり、東京ヴェルディの監督であるロリ・パウロ・サンドリは、その「意外な選手」の一人はわかっているつもりだ。
 彼が指揮するチームの若きライトバック、田中隼磨である。
 長野県出身の田中は、今シーズン初めに横浜F・マリノスからレンタル移籍でヴェルディに入団した。
 サンドリは、ワールドカップ前の親善試合でマリノスがナイジェリアと対戦した時、田中のプレーを見た。そして、ヴェルディは迅速な行動で田中を獲得した。
 それ以降、田中はチームの若返りを図ったヴェルディで独自の地位を築き上げ、間近に迫った韓国・プサンでのアジア大会に出場する、U−21日本代表メンバーにも選ばれた。

「そうですね。ヴェルディからジーコのチームに入る選手がいるでしょうね」とサンドリ。田中の名を挙げる前に、ミッドフィルダーの山田卓也やゴールキーパーの高木義成も可能性があると述べた。
 しかし、サンドリによれば、一番可能性が高いのは田中だそうだ。
「彼は、これまでチームのためにとても良い仕事をしてくれています。実際私は、現時点では田中は日本最高のライトバックだと思っています。」
「田中はヴェルディでプレーを続けることを望んでいますし、ヴェルディも移籍金を支払い、彼を完全移籍させることができるのではないでしょうか。まだ若い選手ですから、それほど高くはつかないでしょう」
 7月でやっと20歳になったばかりの田中は、横浜フリューゲルスのユースチームで経験を積み、チーム合併後はF・マリノスの所属となった。
 Jリーグ・デビューは2001年3月。出場歴は、今シーズンの11試合を含めて27試合。

 日曜日、鹿島アントラーズとのスリリングな試合で田中は柳沢敦を倒したことにより退場処分を受けたが、その件に関してサンドリは田中を批判したりはしなかった。
「彼(レフリーの上川徹氏)が田中のプレーの何がレッドカードにあたると判断したのか、私にはわかりません。柳沢がしたのは演技であり、シミュレーションだと思うからです。田中はボールに行っていましたよ」ゲーム後にサンドリはそう語った。
 田中は、ドレッシング・ルームに向かう途中でシャツを脱ぎ、水の入ったボトルを蹴飛ばして判定への不満をあらわにした。
 このような経験はその時は辛いものだが、田中の将来の糧となるものである。おそらくジーコは、10月7日の代表監督としての初戦に田中を選ぶだろう。
 ジーコはシステムを3−5−2から4−4−2に変更するようだが、新しいシステムでは、攻撃指向の強いウイングバックより、オーバーラップのできるオーソドックスなフルバックが必要となる。
 ジャマイカ戦のポジション争いにおいて、この点は間違いなく田中に有利に働くだろう。

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エメルソンが日本に与える困惑

2002/09/16(月)

 浦和レッズのブラジル人スター、エメルソンが日本代表入りを考えているという報道に、私はいささか困惑気味だ。
 もちろんエメルソンは素晴らしいプレーヤーであるのは事実である。彼には爆発的なスピード、コンスタントな得点能力があるだけでなく、ディフェンス面でもタックルやプレッシャー等、きちんとこなしている。現時点では彼なら容易に日本代表の座を獲得できる事は間違いない。

 私が心配しているのは、日本がブラジル代表入りには一歩及ばないブラジル人選手達の「裏口」になってしまうのではないかという事だ。
 こうした事が頻繁に行われるようになると、ブラジルのみならず、他の国から将来の日本代表入りを狙って来日する選手が増え、結果として日本代表チームのアイデンティティーが失われてしまうのではないだろうか。
 これは非常に危険な事だと思うし、起こってはならないと祈るばかりである。

 1988年のワールドカップではラモス瑠偉、呂比須ワグナー、そして2002年ワールドカップでの三都主アレサンドロ。これまでに3人のブラジル人が日本代表としてプレーした。
 今、エメルソンはいかなるレベルのいかなる大会であろうと日本代表としてプレーするのは光栄な事だと語る。
「日本も日本人も大好きだし、日本の人々が僕に良くしてくれる事にとても感謝しているよ。僕はいつだって全身全霊でプレーしているし、それは代表チームに入っても同じ事だ」
 仮にエメルソンが日本代表入りを希望しても、実現にはまだ1〜2年はかかるだろう。
 ただし、彼が日本帰化を決意し、日本サッカー協会の後押しを受ければ、2006年のドイツワールドカップに日本代表としてプレーする事は、あながちあり得ない事ではない。

 21才のリオ・デ・ジャネイロ出身のストライカーは2000年、当時J2にいたコンサドーレ札幌に入団。34試合で31得点を挙げた。
 おかげでコンサドーレはJ1昇格を果たしたが、資金的にエメルソンを手放さざるを得ず、彼は同じJ2の川崎フロンターレに移籍し、J1浦和へシーズン途中で移籍するまでの18試合で19得点を挙げた。
 そして、浦和移籍後は11得点を挙げ、ナビスコカップ準決勝進出の原動力となった。

 個人的にはエメルソンの日本代表入りは実現しないと思っている。
 その最大の理由は、彼が祖国ブラジルの代表入りをできる実力を十分持っているからだ。
 彼は間違いなく1〜2年の間にスペイン、イタリア、ドイツといったヨーロッパのリーグへ移籍することになるだろう。
 そして蓋を開けてみれば、2006年のドイツワールドカップで彼が袖を通すのは、日本代表のブルーではなく、ブラジル代表のカナリアイエローかもしれない。

※本コラムに関しまして、BBSにたくさんの書き込みをしていただき、ありがとうございました。
 ジェレミー氏本人からの返信を11月5日付けで掲載しておりますので、どうぞご覧下さい。

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帰ってきたゼリッチ

2002/09/12(木)

 オーストラリア代表、ネディエリコ・ゼリッチの日本での滞在は、すばらしいツキに恵まれている、という具合ではないようだ。
 京都パープルサンガの選手としてゼリッチはシーズンの開幕を迎えたが、京都のためにわずか1試合プレーしただけで、家庭の事情により帰国を余儀なくされた。
 ゼリッチも京都パープルサンガのドイツ人監督、エンゲルスも事情をつぶさに述べようとはしなかったが、明らかに重大な問題であったようだ。

 ゼリッチのJリーグ・デビューはジェフユナイテッド市原とのアウエー戦であったが、それはまさに待ち望まれていたものであった。というのも、このリベロにして中央のミッドフィールダーは、ヨーロッパでプレーしていたあいだ、エレガントでスタイリッシュなサッカー選手という評判を得ていたのである。
 実際、パープルサンガがゼリッチを獲得したのは、1860ミュンヘンからであった。
 そのような事情もあり、先月ゼリッチが日本に戻り、彼の獲得のためにブラジル人ミッドフィールダー、アリソンを放出した浦和レッズに入団したことは多少なりとも驚きであった。

 しかし、ゼリッチはまたもツキに見放された。練習中にふくらはぎの筋肉を断裂してしまい、現在少なくとも6週間は試合出場が不可能な状態。浦和の赤のユニフォームを着てのデビューはそのあとになりそうである。
 レッズのオランダ人監督、ハンス・オフトはシーズンを通してリーダーとなれる選手を求めていた。
 オフトは、昨シーズンの終盤にアーセナルが自由移籍を認めたのを受けて、フランス人のディフェンダー、ミッドフィールダーのジル・グリマンディを獲得しようとした。しかし、グリマンディは浦和の施設を訪れたあと、浦和の申し出を拒否した。
 しかし、もしコンディションがよければ、ゼリッチの方がはるかに期待に沿った選手となるだろう。

 ゼリッチは、ドイツのシュツットガルトでオフトと移籍について話し合った時、ディフェンスの中央を守ることになるだろうと言われた。
 つまり、長い目で見て、レッズ在籍の元日本代表キャプテン、井原正巳の将来に疑問符がつけられたのである。
 それでも浦和はしばらくの間、長身で圧倒的な才能に恵まれたゼリッチを欠いたままで戦い続けなければならない。
 浦和は現在のところ、手のつけようも無いほどひどいわけではない。。
 浦和レッズはセカンド・ステージの開幕からの2戦をどちらも延長で制して勝ち点4を獲得し、降格ゾーンからは脱した。また、ナビスコカップでは柏レイソルを1−0で破り、来月の準決勝進出を決めた。

 シーズン開幕時に監督に就任したオフトの浦和評は、1994年に彼が指揮を執った時のジュビロ磐田と同じ発展段階にあるということだった。
 しかし、浦和は着実に進歩しているとオフトは感じており、彼のもとには今、中央のミッドフィールダーである鈴木啓太と俊敏なストライカーである田中達也という2人のU−21日本代表選手もいる。
 ゼリッチは、ベガルタ仙台を1−0で破った土曜日の試合を埼玉スタジアム2002の上層部の席で観戦し、満足した。
 「雰囲気は最高だったし、チームは高い潜在能力を持っています」とゼリッチは語った。
 「このチームは現在の順位にいるようなチームではない。もっと高い位置に行ければいいね。前回、あんなにすぐにチームを去らなければならなかったのは残念だった。しかし、戻って来ることができて良かった。僕はここで良いプレーができるよ」

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ヴェルディのため、そして代表復帰のため

2002/09/09(月)

 ジーコが代表監督に就任するやいなや、前任監督フィリップ・トルシエが好んで使っていた3−5−2システムに代わって4−4−2システムが導入されるのではという憶測が広まった。
 もしジーコがシステム変更をよりスムーズに行うための頼れる左サイドバックが必要だとしたら、それは相馬直樹をおいて他にはいないだろう。
 今年で31才の東京ヴェルディのディフェンダー、相馬はこれまで59試合に日本代表として出場していたが、横浜で行われた対イラン戦以来この3年間は代表に招集されることはなかった。
 しかし、かつて鹿島アントラーズの一員としてプレーしていた彼は、特にジーコが代表監督に就任したということもあって、代表復帰への望みは決して捨てていない。
「ジーコと共にプレーしてきましたが、彼が4−4−2以外のシステムでプレーした事はなかったですね」Jリーグの中でも数少ない典型的なフルバックである相馬はそう言う。「僕もまだ代表でプレーしたいと思っていますし、これからも一生懸命プレーするだけです」

 先週土曜日に行われたセカンドステージ初戦、ヴェルディがパープルサンガを5−0で下した試合をジーコは観戦していたが、その試合における相馬の、ワールドカップ韓国代表、朴智星に対するディフェンスは抜きんでたものだった。
 試合後のロッカールームでジーコと相馬は長い間話していたのだが、相馬は話の内容については明らかにする事はなかった。
「ジーコのためとでも言っておきましょうか」と相馬は言った。
「ただ彼は以前からJリーグでのプレーが一番大事だと言っていましたしね」
「いまはヴェルディが少しでも順位を上げられるようにプレーするだけです。そしてチームが強くなれば自然とジーコは注目してくれるはずですよ」
「また、チームとして良い結果を積み重ねていけばファンもついてくるし、そうすれば個人的にも良い結果を残せると思っています」
 1998年のワールドカップフランス大会での日本のベストプレーヤーの一人である相馬の、いかにも現実的な姿勢の現れた言葉である。

 フランス大会から1年後の彼は、所謂トルシエによる日本代表チームの大改造に伴う犠牲者のようであった。トルシエは彼のシステムでの5人のMFには小野伸二や中村俊輔のような、より攻撃的な選手を好んだのだ。
 その上、2000年12月に相馬は天皇杯準決勝のガンバ大阪戦で膝のじん帯を故障してしまった。
 そして彼の故障欠場中、アントラーズはブラジル人プレーヤー、アウグストと契約し、彼の活躍により相馬は故障から復帰したもののチームの中でのポジションを失ってしまったのだ。
 結果として、相馬はヴェルディにレンタル移籍をし、今、ヴェルディを引っ張っている。
「昨年のヴェルディはJ1に残る事さえ厳しい状況でした。だから今シーズン当初は僕もやらなければならない事がたくさんあったのです」彼は言う。
「しかしチームもまとまり、結果として3連勝で自信も戻りつつあります」
ヴェルディがこのまま快進撃を続けている限り、ジーコが相馬を再び日本代表として選出しても驚くべき事ではない。

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宙ぶらりんのユ・サンチョル

2002/09/05(木)

 ユ・サンチョルはなんとも不思議な窮状に陥ったものだ。
 数週間前は、彼はワールドカップのヒーローであった。中盤での力強いプレーぶりで韓国の準決勝進出に貢献し、FIFAの技術委員会が選出する16人のオールスター・チームにも加えられた。
 しかし今、ユ・サンチョルには所属するクラブがなく、ヨーロッパへの移籍話が不成立に終わってしまったため、数か月間試合に出場するチャンスさえないかもしれないのである。

 ワールドカップ期間中、ユは柏レイソルの選手であった。このJリーグのクラブはきわめて寛大な態度で、彼が6月末にチームを去り、ヨーロッパでプレーするという夢を追うことを許してくれた。
 その時点では、少なくとも5つのクラブが彼との契約に強い関心を示しており、そのなかにはドイツのレバークーゼンや、ワールドカップの韓国代表監督、フース・ヒディンクが現在指揮を執っているオランダのクラブ、PSVも含まれていた。
 レイソルは交渉権を韓国にあるユのマネージメント会社に譲渡した。しかし、ヨーロッパの移籍期限が終了する8月31日の土曜日までに、交渉はひとつも成立しなかった。
 ユをこのような状況に導いて、どうしようというのだろう?

 彼の代理人たちは、興味を示したクラブにあまりに多額の金を要求したのだろうか? なんといっても、この選手は現在30歳で、来月には31になるのであり、今回が夢に見たヨーロッパ進出の最後にして、最大のチャンスであったはずだ。
 さらに問題なのは、おそらくヨーロッパ・サッカーの景気が後退したことによってクラブには余剰な現金が不足しており、クラブとしては新たな選手を加入させるよりは増えすぎてしまった選手の数を減らすことに重きを置いているということである。
 ユは日本で年間約8千万円を稼いでいた。おそらく彼の代理人たちは、ヨーロッパに移籍するとしても減俸に応じるつもりはなかっただろう。クライアントが世界の最高峰に対して素晴らしいプレー見せたあとでは、なおさらである。
 ヨーロッパで次に移籍が認められるのは来年の1月という現状ではあるが、ユにはまだもう一つ選択肢がある。日本への復帰だ。しかし、レイソルでは不可能だろう。レイソルはすでに彼の代役にブラジル人ストライカー、エジウソンを獲得している。

 ユのワールドカップでのチームメート、アン・ジョンファンが、来年1月にドイツのブンデスリーガに移籍するまでJリーグでプレーするという噂もある。
 しかし、たとえ4か月だとしても、アンとの契約に必要な金額を支払える日本のクラブは、どれくらいあるのだろう?
 間違いなく、アンは絶大な人気を得るだろう(サッカー・ファンだけでなく、信奉者の女性たちからも)。彼のマネージメント会社は、何の問題もなくスポンサーを獲得できるだろう。
 アンが日本で素晴らしい4か月を過ごすことを心待ちにしているのに対して、ユは、一体どこで何もかもがおかしくなったのだろうと考え込んでいるに違いない。
 ヨーロッパはひょっとして、ワールドカップにおける韓国の活躍をもう忘れてしまったのだろうか?

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ジュビロ黄金時代到来

2002/09/02(月)

 Jリーグセカンドステージの開始とともに、ジュビロ磐田のシーズン完全制覇への道のりが始まる。
 1993年のリーグ立ち上げ以来、未だかつてファースト・セカンドステージの完全制覇を達成したチームはない。

 ファーストステージを横浜Fマリノスに3ポイント差をつけて優勝したジュビロ磐田にとって、今シーズンはチャンスである。
 控えめな鈴木政一監督の指揮の下、ジュビロはよく組織され、統率もとれ、怪我や出場停止をカバーできるだけのベンチの深さも持っている。
 要するに、これこそチームであり、才能ある個人がそれぞれ勝手にプレーするグループではない。
 きっとジュビロはこのままセカンドステージも制し、すなわちシーズン後のプレーオフもないだろう。

 しかし、もちろん他のチームも黙って見ているわけではない。
 最右翼は過去2年を含む4度の優勝経験を持つ鹿島アントラーズである。
 ブラジル人監督、トニーニョ・セレーゾのもと、過去2シーズンの彼らの戦略は明白である。ファーストステージはセカンドステージの為のウォームアップ、シーズン後半に向けてチームをピークに持っていき、体力的、精神的に疲れたファーストステージ勝者を叩くというものだ。
 アントラーズもまたよく訓練され、また海外からの移籍組の影響も大きい。しかしジュビロほど日本人選手の経験はない。

 名古屋グランパスエイトもまた注目すべきチームである。
 彼らはファーストステージ最後の6試合を6連勝で3位に終わった。ズデンコ・ベルデニック監督はシーズン途中で鋭い選手補強をした。オーストリアのシュトゥルム・グラーツでコンビを組んでいたことのあるアンドレイ・パナディッチとイヴィツァ・ヴァスティッチである。
 クロアチア人、パナディッチはディフェンスを引き締めたし、クロアチア生まれのオーストリア人ストライカー、ヴァスティッチはウェズレーとのコンビネーションが抜群だ。
 98年のフランスワールドカップ、オーストリア代表のヴァスティッチは、8試合の出場で5得点を上げ、高原直泰、マグロンとならび得点ランキングトップ(13得点・ファーストステージ終了時点)のウェズレーをうまくアシストしている。

 横浜Fマリノスはファーストステージを、リーグ最少の11失点という素晴らしいディフェンスでジュビロに次ぐ2位で終えた。しかし中村俊輔を失った今、セカンドステージを闘うには攻撃力が足りないと思う。
 ガンバ大阪はファーストステージ終了間際になって急に失速し、ファーストステージ制覇を賭けた磐田との大事な一戦に敗れた。
 もしガンバがチームを立て直す事ができればセカンドステージは面白い事になるだろう。なぜなら、ジュビロ、アントラーズ、そしてFマリノスの3チームは万博競技場でのアウェー戦があるからだ。

  総合的に見て、やはりジュビロが頭一つ抜けているように思える。そして彼らのコンスタントな実力は彼らをリーグチャンピオンに導く事になるだろう。

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