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2002年8月

アジア人選手のヨーロッパ侵攻、ついに始まる

2002/08/29(木)

 はじめに若干のつまずきはあったものの、間違いなくアジア人選手はヨーロッパ・サッカーに侵攻しつつあるようだ。

 8月27日火曜日は日本サッカーにとって意義深い一日となったが、中国や韓国の選手だって、ヨーロッパ大陸のあちこちでその存在をアピールしている。
 火曜日にもっとも輝かしい活躍を見せたのは、ワールドカップでも日本のために見事なゴールを2度決めた稲本潤一であった。
 元ガンバ大阪のミッドフィールダーは、UEFAインタートト・カップ決勝の第2戦、フルハムがイタリアのボローニャを3−1で破った試合でハットトリックを達成したのである。
 「イナ」は2−2で引き分けた第1戦でもゴールを決めており、その結果、通算得点5−3でフルハムは勝利した。
 インタートト・カップはUEFAカップの予選トーナメントに過ぎないとしても、アーセナルで悲惨な一年間を過ごした稲本の活躍は、フルハム・ファンの間で稲本の人気を高めるものとなるだろう。
 今回の活躍は、少数の皮肉屋が間違っていたことを証明したかもしれないが、もちろん、シーズンはこれからまだまだ続く。稲本はさらに、フルハムのプレミアリーグ用のチームでもレギュラーでやっていけることを立証しなければならない。彼のサッカー人生では、このことが当分の目標でなければならないのである。

 もう一段高いレベルに目を移してチャンピオンズ・リーグの予選ラウンドを見てみると、フェイエノールトがトルコでフェネルバフチェを2−0で破った試合で、小野伸二が先制ゴールを決めている。最終的には、ロッテルダムのクラブが通算3−0で勝利し、お金の儲かるチャンピオンズ・リーグの出場権を獲得した。
 トルコでの試合は、個人にとって厳しい試練の場となるのが常である。ホームのファンは、その情熱と迎え撃つ相手チームに対する敵意でよく知られているからだ。
 このような状況下で、小野が自身の評価をさらに向上させるようなプレーを見せたことは、まさに偉業である。

 チャンピオンズ・リーグの1次リーグには、フェイエノールトだけでなく、ベルギーのチャンピオン、ゲンクも参加する。ゲンクはチェコ共和国のアウエー戦ではスパルタ・プラハに4−2で敗れたが、ベルギーでの初戦を2−0で勝利しており、アウエー・ゴールのルールが適用され、1次リーグ進出を決めた。
 ホーム・アンド・アウエーの2試合のスコアの合計がこの試合(4−4)のように等しい場合、アウエー・チームのゴールは2倍して計算されるため、プラハでゲンクが奪った2ゴールが勝敗の分かれ目となったのである。
 鈴木隆行は、ヨーロッパでの最初のシーズンにしてチャンピオンズ・リーグ出場のチャンスをつかんだわけである。

 ヨーロッパの他の地域では、中国の李鉄(リ・ティエ)はエバートンの中盤の即戦力としてやっていけることを立証したし、同じくイングランド・プレミアリーグ、マンチェスター・シティーの孫継海(スン・ジハイ)も上々のデビューを飾っている。
 ワールドカップでの韓国のスター、ソル・ギヒョンはベルギーのアンデルレヒトで4ゴールをあげ、得点ランキングのトップにいる。しかし、同胞であるアン・ジョンファンのブラックバーン・ローバーズ入団は、イギリス政府が労働許可証の発行を拒否したため、不可能となった。

 9月中旬に開幕するイタリアのシーズンでは、セリエAの古株でパルマ所属の中田英寿と、新入りでレッジーナ所属の中村俊輔にあらゆる注目が集まり、日本を中心としたアジア全域で熱狂が巻き起こることだろう。
 さあ、新たな世代のサッカーのパイオニアたちが好調を維持し、より多くの日本人選手、韓国人選手、中国人選手がサッカーの主流に加わることができるよう門戸を広くしてくれることに期待しようではないか。
 ワールドカップにおける韓国と日本の活躍は、海外のアジア人サッカー選手に対するいくつかの誤解を間違いなく、取り除いてくれたのである。

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アジアは2006年ワールドカップで5ヶ国出場枠を得る資格があるのか?

2002/08/26(月)

 新しいアジアサッカー連盟会長、カタールのモハメッド・ビン・ハマム氏は早速ワールドカップ出場枠について彼の見解を述べた。
 彼は、2006年ドイツワールドカップにプレーオフを行う事なく、5カ国のアジア出場枠を希望している。

 今月始めにアジアサッカー連盟の会長に就任したハマム氏は2002年ワールドカップの成績を基にこうした要望をした。
「我々は世界にアジアがトップレベルで競い合える事を証明した」ハマム氏は言う。もちろん彼の言っている事は、ある意味正当だと言える。
「未だかつて開催国はファーストラウンドで敗退した事がない」という伝統を韓国、日本の両主催国ともに守った。
 日本はセカンドラウンドで敗退してしまったが、韓国は準決勝まで駒を進めた。ただ、準々決勝の韓国対スペイン戦は大いに物議を醸し、現在でも後味の悪いものとなっている。

 確かに韓国と日本は活躍したが、他のアジア代表の2カ国がどうだったのかという事も忘れてはならない。
 3大会連続出場のサウジアラビアはファーストラウンドの3戦を全敗、中でも札幌ドームで行われた対ドイツ戦にいたっては0−8の大敗である。
 また中国は、初出場でありしかも結果的には一番タフなグループだったとは言え、ブラジル、トルコ、コスタリカのグループでやはり3戦全敗である。

 2002年の大会以前はというと、アジアは1966年の北朝鮮と1994年のサウジアラビアのわずか2カ国しかセカンドラウンド進出を果たしていない。
 たしかに今大会でのホスト国2カ国の活躍で全体的なランキングは上がったかもしれないが、ここまでのアジアの対戦成績はと言うと、44戦してわずか4勝しかしていないというのが事実なのだ。

 2006年の大会では開催国のドイツのみが出場権を得ている。優勝国のブラジルでさえ出場権はまだ得ていないのだ。と言うことは、12月に行われるFIFA総会で残りの31カ国の出場枠を巡って話し合いが行われる事になる。
 ゼップ・ブラッター会長は事実上オセアニアに1カ国の枠を与えると約束している。そうなると、アジアに5カ国の枠を与える余裕はあるのだろうか?
 アジアの主張は、世界の人口の半分以上が中国、インド、インドネシアを主とするアジア地域に住んでいるという事、そしていくつかのFIFAのビジネスパートナーは日本をはじめとするアジア諸国だと言う事である。
 しかし、ワールドカップは純粋にピッチの上での結果が問われるべきで、どこかの密室での事は含まれるべきでない。

 個人的にはアジアは4カ国の出場枠で満足するべきだと私は思う。
 4ヶ国+プレイオフ出場枠1ヶ国を得られればラッキーとすべきであろう。
 アジアサッカー連盟会長とブラッターFIFA会長との親密な関係をしても、アジアが5ヶ国の出場枠を得るのは難しいだろう。

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アレックス成功のカギは、プレー・スタイルを変えること

2002/08/22(木)

 数年前、ドイツの偉大なストライカー、ユルゲン・クリンスマンがトットナム・ホットスパーに入団したとき、最初の記者会見でクリンスマンは次のような質問を投げかけ、駆けつけた記者団の虚を突いた。
「だれか、この近くでダイビング・スクール知らないかなあ?」

 イングランドでは、クリンスマンはダイバー(スイミング・プールではなく、サッカーのピッチでの話である)として評判が高かったが、この種の振る舞いはプレミアリーグの激しい戦いでは容認されてはいない。
 ドイツ人選手は自身の評判に気づいており、まずそのことをジョークの種にしようとしたのだろう。つまり、賢明なクリンスマンらしい賢明な行動であったわけで、クリンスマンは、フリーキックやペナルティー・キックを得るためのダイビング能力ではなく、ゴールをあげる能力によってイングランドでとても敬愛される選手となった。
 しかしクリンスマンも、そのプレー・スタイルを変えたのである。グラウンドに体を投げ出してばかりいては生き残っていけない、と悟ったのである。

 いま私は、プレミアリーグのクラブ、チャールトン・アスレティックが興味を示している、アレッサンドロ・ドス・サントスも同じだと感じている。
 アレックスは良い選手で、もちろんクリンスマンと同じレベルだとは言わないが、巧く、危険なフォワードである。
 しかし、アレックスもダイビングに関する評判が高い。ディフェンダーを抜き去る能力や、左足で巧妙なクロスを送る能力は認めるものの、私は彼を完全に評価しているわけではない。激しいタックルをもらった時も、軽いファールの時も、ひどいケガをしたふりをするからだ。

 清水エスパルスと鹿島アントラーズの試合ではいつも、試合とは別にもう一つの魅力的な戦いを見ることができる。アレックスとアントラーズの向こう見ずなライトバック、名良橋晃との間で繰り広げられる戦いだ。
 激しいタックルで有名な名良橋は、ウイングの魔術師の持ち味を消すためアレックスにぶつかっていくことを何よりも好む。しかし名良橋の問題は、時々アレックスがボールを持っていない時にもぶつかっていき、イエローカードの原因となってしまうことである。

 イングランドに移籍すれば、アレックスは名良橋に感謝するようになるだろう。イングランドでは、どのディフェンダーもアントラーズのライトバックのようなタックルをしてくるからだ。
 イギリス人にとっては、アレックスはもちろんブラジル人で、ワールドカップで有名な青と白の日本代表のユニフォームを着たと言っても、日本人ではない。
 イングランドの土壌で、イングランドのディフェンダーの前にブラジル人のウイングが現れれば、結果は見えている。トラブル、である。
 アレックスは相手チームの荒っぽい対応を覚悟しておいた方がいいだろう。勇気を持つ必要もあるだろう。彼がグラウンドに倒れても、レフリーはJリーグのように優しくはない。
 レフリーはプレー続行を促し、アレックスは自分で立ち上がり、プレーを続けなければならないだろう。
 あまりに頻繁に倒れるようであれば、ファンは手厳しく非難するだろう。プレミアリーグでは、欺瞞や不正を容認することはできないのだ。そのスピード、正直さ、激しさによって、プレミアリーグは世界中で人気を博しているのである。

 アレックスはクリンスマンから学ばなければならないだろうし、自身のスタイルをかの地のスタイルに合わせなければならないだろう。
 成功するだけの技術とスピードがアレックスにあることは疑いもないが、早急に頑健さを身につけなければならない。
 イングランドで数ヶ月プレーしたあとでは、名良橋のタックルも名波浩のタックルのように優しく思えることだろう。

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大観衆に湧くビッグスワン

2002/08/19(月)

 新潟のビッグスワンではJ2のアルビレックスのゲームに多くの観客が訪れる。
 例えば、先週末のJ2の首位争い、アルビレックス対セレッソ大阪の試合には42,211人ものファンが訪れた。これは鹿島アントラーズ対横浜Fマリノスという好カードよりも10,000人も多い。

 1999年にJ2の発足とともに参加したアルビレックスには2つのホームスタジアムがある。一つはワールドカップでも使用されたビッグスワン、そしてもう一つはやや小さいが、新潟市陸上競技場だ。
 今シーズンのアルビレックスの平均観客数はビッグスワンでは30,111人、そして新潟市陸上競技場では11,687人だ。
 一試合平均23,025人の観客数はJ1全16チームのうち、なんと12チームの平均観客数よりも多いのだ。
 アルビレックスよりも平均観客数が多いのは、浦和レッズの29,040人、横浜Fマリノスの27,192人、鹿島アントラーズの24,882人、そしてFC東京の24,307人だけである。

 「まったく驚異的な数字だと思います」Jリーグ事務局企画部のチーフスタッフ、佐野毅彦氏はそう言う。
 「J1のチームでさえ観客数を上げる事には苦労しています。20,000人の観客数は決して簡単な事ではないですよ」

 佐野氏は、アルビレックスが浦和レッズや鹿島のようにファン獲得について急成長を遂げているのには、いくつかの理由があると考えている。
 「まず、新潟は札幌、仙台、そして福岡のように東京から離れた大都市であると言う事、そして市民がホームタウン意識を持っているという事です」
 「そして新潟にはプロ野球のチームもありませんので、市民がアルビレックスを“我がクラブ”、“我がチーム”と考え易いのではないでしょうか」

 また佐野氏はワールドカップが新潟に与えた影響も少なくないと見ている。「ワールドカップはこれまでサッカーにあまり興味のなかった年輩の人々にもサッカーに対する興味を持たせました」
 「これまでこうした人々は野球や、スキー、そしてスケートにはある程度興味を持っていたものの、サッカーについては興味の範疇外でした。しかしワールドカップがこれらの人々にサッカーというスポーツを強く印象付けたのです」

 佐野氏をはじめ、リーグ企画部のスタッフ達はクラブの運営組織にも満足している。1998年に横浜フリューゲルスが経営破綻して以来、Jリーグは常に各チームが経営難に陥らないように注意してきた。

 「1955年に現在のアルビレックスの基となるチームが作られて以来、長い年月をかけて彼らは堅固な組織を作ってきました」
 「彼らは決して焦る事なく、1999年にJリーグに参加、そして鹿島、浦和、そして清水のようなチームを常に参考にしてきました」
 「もちろんすべてが良いことばかりじゃあありません。アルビレックスはそれらの中からベストだと思われる事を吸収して、地域の中でしっかりとしたチーム作りを行ってきたのです」

 こうした多くの観衆を引きつけるチームを来期こそJ1で見たいと思うのは、何もアルビレックスファンだけではないと思う。

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タカがピッチに帰ってきた

2002/08/15(木)

 ワールドカップでの日本の戦いを振り返ることはあっても、代表チームから重要な選手が一人欠けた経緯については忘れられやすいものである。

 誤解しないで欲しいが、中村俊輔のことを言っているのではない。
 今回取り上げたいのは、ジュビロ磐田のストライカーであり、肺血栓でワールドカップ出場を断念しなければならなかった高原直泰のことである。

 現在、ありがたいことにタカは元気で、そして燃えている!

 彼は土曜日、ジュビロがホームでベガルタ仙台を4-0で破った試合で3度ゴールを決め、今シーズンの通算得点は12試合出場で12点となった。
 病に襲われる前、ワールドカップを見据えた時期に、高原は5試合に出場して2度ゴールを決めていた。つまり、シーズンが再開されてから高原は7試合で10ゴールを決めたことになるのである。驚異的な得点率というほかはない。

 まだ23歳のタカがもしワールドカップを絶好調で迎えていたなら、柳沢敦と並んでストライカーの一番手となっていたはずである。
 これはシドニー・オリンピックにおける、前の代表監督、フィリップ・トルシエのお気に入りのコンビであり、トルシエがワールドカップでもこのコンビを続けて起用することは確かなように見えた。

 高原は、ストライカーが成功するために必要な要素をすべて持っている。そのなかには、ワールドカップ出場経験のある歴戦のフォワード、中山雅史という最高の教師までも含まれている。
 今シーズンこれまで、ファースト・ステージ優勝を目指すジュビロにあって、中山は得点王争いでは高原に大きく水を開けられていた。34歳の「ゴン」は、13試合に出場して、5ゴールしか上げていなかった。
 しかし、ペナルティー・エリアに中山がいるだけで、もう一人のストライカーである高原のためのスペースが生まれ、若きストライカーは目の前に現れた自由なスペースで暴れ回ることができるのである。

 181センチで75キロの高原は長身で、細く、柳沢と同じようにボールから離れた位置で素晴らしい走りを見せる。
 ペナルティー・エリア内では神出鬼没で、すばしっこく、絶妙のファースト・タッチによってゴールのチャンスを高めることができる。
 この点が、高原と柳沢の違うところである。柳沢はファースト・タッチにまだ改善の余地があり、ゴール前で高原が見せるような、プレッシャーがかかった状況での冷静さにも欠ける。

 高原は自信ももっているし、得点することを楽しんでいる。
 ベガルタ仙台戦で3ゴールを上げたときの彼の反応を見れば、それは明らかである!

 そう、ワールドカップで日本が高原を欠いたのは痛かった。トルシエのチームにはストライカーが一人欠けていて、その一人がタカであった。
 現在、ワールドカップで高原がどれだけできるかを見るためには、我々は2006年まで待たなければならないのである!

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再スタートが必要な柏レイソル

2002/08/13(火)

 監督ステファン・ペリマンの解雇は柏レイソルを変える事ができるだろうか?
 昨年夏の前任者、西野朗の解雇はチームに変化をもたらしただろうか?
 答えはいずれも「ノー」である。

 柏レイソルは過去数シーズンにわたって、最も安定したチームのひとつとして、常にJリーグの上位をキープしてきた。
 特に2000年のレイソルは、ファースト・ステージ、セカンド・ステージのいずれでも優勝できなかったとはいえ、まさに絶頂期を迎え明らかにJリーグの最強チームのひとつであった。
 ファースト・ステージでは4位、そしてセカンド・ステージ最終戦では優勝をかけてアントラーズと戦い、勝てば優勝というところを一歩及ばず0−0の引き分けに終わった。
 またその前年には、ナビスコ杯決勝でアントラーズを2−2の引き分け後のPKで破った。

 こうして見ると、やはりレイソルのピークは2000年であったと言わざるを得ない。
 その後のレイソルは降下の一途で、昨シーズン途中では西野監督の解雇、そして今再びペリマン監督の解雇である。
 しかし、今レイソルの経営陣が本当に見直さなければならないのは選手達だ。
 彼らはまだ「ハングリー」でいるのか?
 チーム内に競争意識はあるか?
 毎週の先発メンバーが固定してしまって、選手達には危機感がないのではないか?

 西野監督は才能あふれた魅力あるチームを作った。しかし、新監督はレイソルを再びJリーグのトップチームに戻すために一からやり直さなければならない。
 チームはブラジル人監督の獲得を望んでいる。そして、新監督の最初の使命は、レイソルを「2部降格ゾーン」から引き上げることである。
 ファースト・ステージ15試合のうち、13試合で勝ち点わずか11と苦戦している。8月31日に始まるセカンド・ステージでJ2降格争いを免れるためには、もっと勝ち点が必要だ。
 そこをクリアできたら、次はチームの再編である。新戦力を加え、現在の選手達に危機意識を持たせる。

 日立がメインスポーサーの柏レイソルは、Jリーグの中でも資金力に恵まれたチームである。新しく、若く優れたプレーヤを獲得する事に何ら問題はないはずだ。
 ベテラン、黄善洪は彼の年俸に見合う働きをしていると言えるだろうか?
 否である。
 確かに彼はリーグでもトップクラスの選手だ。しかし、それはピッチの上に立ってこそである。彼はあまりにも怪我が多すぎる。

 監督を解雇することは簡単である。
 しかし、柏レイソルにはまだまだ問題が残る。

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海外でプレーすべき選手、松田

2002/08/08(木)

 成功の度合いはさまざまだが、海外に渡った日本人選手に思いを巡らせるのは楽しいものである。
 ゴールキーパーは一人、川口能活だ。
 ミッドフィールダーは何人かいる。中田英寿、名波浩、小野伸二、稲本潤一に中村俊輔が新たに加わった。
 さらにフォワードも数人。1994年の三浦知良に始まり、城彰二、西沢明訓、高原直泰がいて、今回の鈴木隆行だ。
 日本がいまだ選手を輸出していないポジションは、ディフェンダーだけとなった。
 しかし、現在、日本にはJリーグを後にして、ヨーロッパでキャリアを積み重ねることのできるディフェンダーがいる、と私は信じている。その選手とは、松田直樹である。

 横浜F・マリノスの25歳のキャプテンは、つねに才能に恵まれた選手であった。
 しかしかつては、集中力の欠如や時折見せる日本人らしからぬ逆上ぶりによって、評価を落とすこともあった。
 前の日本代表監督・フィリップ・トルシエのもと、松田は大きく成長し、フランス人監督の在任期間最後の年には、日本代表でもっとも安定性のあるディフェンダーとなっていた。
 日曜日、京都で行われたマリノスの試合での松田を見れば、この選手がJリーグを凌駕しているのは明らかであった。
 つまり、松田はJリーグのレベルでは突出しており、その能力をさらに向上し続けるには、より高いレベルに移らなければならないのである。
 一般的には、25歳という年齢はセンターバックにとってはまだまだ若年であり、松田がそのポジションでのピークを迎えるまでには、少なくとも6年か7年の余裕があるだろう。

 ワールドカップ以前の西側世界の認識は、日本人選手は身体的に小さいので、とくにディフェンダーは、トップレベルのサッカーには対応できないだろうというものであった。
 しかし、日本代表チームを見渡せば、これが思い込みに過ぎないということがわかる。
 松田は、身長が1メートル83で、体重が78キロ。俊敏さもあるし、ゲームもよく読める。
さらに、相手のペナルティー・エリア内でフリーになれると見れば、リベロとしてしばしば前に攻め上がることもできる。
 日本代表で、松田は外国チームを相手に必要不可欠な判断力と気迫を見せてきたが、もし彼が海外でのプレーを望むなら、これは長所となるだろう。国際舞台でも、松田は臆することもないし、ためらうこともない。名波は臆し、ためらったがゆえに、イタリアで成功できなかったのである。

 Jリーグは松田にとっては簡単すぎる。ヨーロッパのクラブが日本選手を物色に来るのなら、攻撃的ミッドフィールダーやストライカーだけでなく、ディフェンダーを獲得することも考慮して欲しい、と私は思う。
 松田は、ヨーロッパのクラブの期待に応えられるだけの選手である。

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サッカーは冬のスポーツか、それとも夏のスポーツか?

2002/08/05(月)

 そもそもサッカーのシーズンとは誰の都合によって定められるべきなのだろうか?選手達だろうか?それともサポーター達だろうか?

 私の見たところ、日本ではどうやらJリーグはファンの意見が最も重要であると考えているように思える。だからこそJリーグのシーズンは、暑くてしかも湿気の高い夏を含む3月〜11月に設定してあるのだろう。
 スポーツを観戦する人々の立場で考えるなら、それこそ夏はベストシーズンだろう。夜でも気温が高く、よく冷えたビールでも飲みながら選手達のエネルギッシュなプレーを見るのは最高だと思う。しかし、一方の選手達の立場ではどうだろうか?

 私は以前から、サッカーは野球やクリケット、そしてテニスやゴルフといった夏のスポーツではなく、典型的な冬のスポーツだと考えていた。
 私自身、選手としては日曜日の朝に行なわれるイングランド北部のパブリーグの試合、ピッチが湿気で少し重いくらいで、空気がヒンヤリと感じる中でプレーするサッカーが好きだった。時には霧がかかったり、雨が降ったり、さらには雪がちらついたりしたものだが、降り注ぐ太陽の中、硬いピッチでサッカーをプレーすることなど、それこそシーズン序盤の8月や、シーズン終了間際の5月くらいだったものだ。

 Jリーグは、日本のファンは夏にこそサッカーを見たいのだと言う。しかし選手達は、プレーするには冬こそ最適だと思っているはずなのだ。
 日本のサッカーシーズンをヨーロッパのように8月末、もしくは9月初旬から5月末までと変更する事にはいくつかの利点がある。
 第一に、夏期の野球シーズンとバッティングすることがなく、ファンだけでなくテレビや新聞などのメディアにもきちんと扱ってもらえる。Jリーグが、プロ野球がオフの間に行なわれていれば、それこそメディアを独占でき、もっと多くの人々に注目してもらえるはずだ。
 第二に、選手の契約である。現状の毎年1月末までの契約でなく、ヨーロッパのように6月末までの契約になれば、選手達ももっと海外への移籍が楽になることだろう。
 そして最後に、選手達のコンディショニングである。夏の高温多湿は90分間、延長の場合はそれこそ2時間ピッチを走りまわる選手達の健康状態に良いはずがない。

 確かに、コンサドーレ札幌やアルビレックス新潟などは冬のゲームの開催が難しい場合もあるかもしれない。しかしコンサドーレには札幌ドームがあるし、アルビレックスはホームゲームの何試合かを仙台で行っても良いのではないだろうか。
 しかしこのことについて、多数のチームがヨーロッパシーズンの導入に積極的ななか、この2チームの状況が変わる事を黙って待っているわけにはいかないという三浦知良の意見には、私は大賛成だ。
 テレビ放送の契約上、2006年までは現状のままだが、それ以降には遂に日本にも冬のスポーツが誕生するかもしれない。

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和多田充寿的責任の取り方

2002/08/01(木)

 日本各地でゴールが量産されたこの週末、和多田充寿がとった行動について考えて欲しい。
 ジェフユナイテッド市原所属の26歳のストライカーは散々な思いをした。ホームでジュビロ磐田と2-2で引き分けた試合で、和多田はペナルティー・キックを2度外したのである。
 問題なのは、彼がペナルティー・キックを外して監督であるジョゼフ・ベングロシュの不興を買ったことではなく、試合の序盤に一度ペナルティー・キックを外した後に、チームの規律を破って2度目を蹴ったことである。
「プロには、絶対に破ってはいけないルールがある」ゲームの後、ベングロシュが説明した。
「それは、一度ペナルティー・キックを外したら、同じ試合でもう一度蹴ってはいけないということだ。自信を失っているんだからね」

 その試合では、ジェフに3回、ジュビロに2回、合計で5回のペナルティー・キックが宣告された。
 ジェフの最初のペナルティー・キックを蹴ったのは和多田。ベングロシュによれば、最初からそう決められていたそうだが、和多田はボールを噴かしてしまい、ゴールを大きく外す。
 後半の序盤、ジェフが2度目のペナルティー・キックを獲得したときにも、和多田は自分が蹴るつもりでボールを手に持っていた。
 しかし、阿部勇樹に蹴らせろ、とベングロシュが指示を出した。和多田はしぶしぶボールを阿部に手渡した。阿部は難なくゴールを決め、スコアは1-1となった。

 数分後、ジェフが3つ目のペナルティー・キックを得た。ベンチから、これも阿部が蹴るようにベングロシュが指示を出した。阿部は一度ゴールを決めていて、ジュビロのゴールキーパー、アルノ・ヴァンズワムに対しても明らかに心理的に優位に立っているからだ。
 しかし、和多田がすでにボールを拾い上げていた。和多田はペナルティー・スポットにボールを置き、助走のため後ろに下る。そして、シュート。しかし、ヴァンズワムが左にダイブして、ボールをセーブ。
 ベングロシュは怒り狂い、ファンも怒り狂った。和多田はその後すぐに交替を命じられ、ブーイングとヤジを浴びながらピッチを去った。
 和多田は最善を尽くそうとしただけだが、彼はまずチームのことを第一に考えるべきで、自己満足のためだけに失敗を埋め合わせようとすべきではなかったと、ベングロシュはきわめて正確に指摘した。
 腹は立てていても、監督が和多田にしようとしていたのは、建設的批判であった。

 普通、一度ペナルティー・キックを外した選手は、2度目は蹴りたがらないものである。失敗が本当に影響を及ぼした場合、その試合で2度とペナルティー・キックは蹴りたくないという選手だけでなく、そのシーズンで2度と蹴りたくないという選手もいるし、残りの選手生活で2度と蹴りたくないという選手だっている。
 つまり、ある意味においては、和多田の勇気と決断力は非難されるべきものではない。最初に失敗した後も、彼は責任を受け入れる心構えをしていたからだ。
 今後のシーズン、重要な試合でジェフがペナルティー・キックを得るときが来るかもしれない。その時には、積極的にキッカーの役目を買って出るような勇敢な選手が必要となるだろう。
 ベングロシュは、そんな挑戦の意欲を持った選手が自分のチームに少なくとも一人はいることを知っている。和多田充寿だ。
 しかし、和多田がシュートを決めるかどうかは、誰にもわからない。

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