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ロナウドのもたらしたハッピーエンド

2002/07/02(火)

 ワールドカップ2002はこれ以上の終わり方はなかった。 
 決勝戦後半での25才のスーパースターによる2ゴールは、激しい追撃をしかけるドイツにとどめを刺し、ロナウドとブラジル代表チームは再び世界一の栄冠を手にした。
 ロナウドにとっては1998年から続いた悪夢と、そして近年繰り返していた膝の故障を断ち切る、まるでおとぎ話のエンディングのようであった。

 4年前の対フランス決勝戦の朝、ひきつけを起こしたロナウドは、その影響もあってか、試合ではとても本来の彼自身ではなかった。
 その後、事態は好転するどころか、かえって故障の連続でどんどん悪化していった。しかし彼は代表監督、ルイス・フェリペ・スコラーリの信頼を裏切る事なく、1970年ワールドカップメキシコ大会で西ドイツのゲルト・ミュラーが記録した10得点以来最多の8得点を記録した。
 ロナウドはこれで伝説のプレーヤー、ペレと同じく、ワールドカップ通算12得点をあげ、サッカーの神話にその名を刻んだ。
 アジアで初めて、共同開催として初めてという今大会は、これ以上はないという終わり方をしたのではないだろうか。

 5月31日から6月30日までの今大会で他に特筆すべき事をあげると、全国を赤一色に染めた韓国代表が準決勝へ進出した事、日本代表も国を青一色に染めたがセカンドラウンドでトルコに敢えなく敗退した事、そして優勝候補にまであげられたフランスやアルゼンチンがファーストラウンドで敗退した事だろう。

 それでは共同開催は果たして成功だったと言えるのだろうか?

 私個人の感想だが、苦い過去を抱えた韓国と日本両国が共同で開催したと言う事実と社会的見地から見ると、成功したと言い切って良いのではないだろうか。
 一つの事例をあげると、韓国代表がスペイン代表を破った後、青いシャツをまとった日本の若者達が赤いシャツをまとった韓国の若者に混じって韓国の勝利を祝っていた。
 すべては韓国の勝利の為にである。そして今度は突然韓国サポーターから「ニッポン!ニッポン!」の声があがった。

 サッカー、そして経済的な見地から言うと、私は20都市、20スタジアムでの開催は多すぎると感じている。
 個人的には以前のように1・2都市を基盤として開催される大会の方が好きだ。
 移動は少なくて済むし、各国代表や集まったサポーター達がもっと深い絆のようなもので結ばれる。
 1ヶ月の大会期間中、少なくとも1カ所で少なくとも6試合を行う事ができる、8〜10会場でワールドカップを行うのが経済的に見ても妥当だと思う。
 日本が10都市で大会を開催すると発表した後、自然と韓国も同様に決定したが、これらの会場のうち特に韓国では何箇所が、将来にサッカー会場として使われるのだろうか?
 殆どの会場がたった3試合をホストしただけでワールドカップは終わってしまった。特に鹿島などは6年もの準備期間をかけ、たった1週間で終わってしまったのだ。
 各地域の準備委員会にとって、巨額の費用を注ぎ込み、また多くのトラブルを味わい、果たしてワールドカップを誘致した事は良かったのかと思わせるような事は実にばかげていると思う。

 FIFA会長、セップ・ブラッター氏は2大会分の出費で1大会分の収益しかあがらないと語っていた。
 確かに二つのワールドカップが同時に開催されているようだった。日本に居ると韓国での大会の様子がなかなか伝わらないし、逆の場合もまた同じだ。
 セカンドラウンドの取材で韓国に滞在していた時などは韓国―ドイツ戦が決勝戦のように思えたし、日本で行われたブラジルートルコ戦などは韓国では誰も注目していなかったようであった。

 しかしFIFAが1996年に共同開催を決定してから、韓国と日本はアジアの名誉を賭けて最善を尽くしたと言って良いだろう。
 そもそも両国とも共同開催を望んでいたわけではなかったのだから。

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