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2002年7月

関西からの熱い挑戦

2002/07/30(火)

 ガンバ大阪や京都パープルサンガがJリーグの上位陣で頑張っている。大変喜ばしい事だ。
 こうした様々なチームの活躍が、日本のサッカーにとってサッカーファンの拡大につながるのだ。
 前述の2チームはJリーグの優勝を争った事はないが、今期の彼らの闘いぶりは関西地方のファンを再びスタジアムに引き戻しつつある。
 この原稿を書いている時点で、ガンバ大阪は勝ち点21で首位の横浜Fマリノスと5点差、ジュビロ磐田とは4点差の3位である。
 一方京都パープルサンガは勝ち点15で5位。4連敗後の6連勝中である。

 ドイツ人監督、ゲルト・エンゲルスに率いられたチームの状態は非常に素晴らしく、先週水曜日は1万8000人以上のサポーターで膨れ上がった西京極スタジアムで、あの強豪、鹿島アントラーズを2−1で破った。
 特に平日は、5000人の観衆を集める事さえ四苦八苦しているパープルサンガにとって、この数字は驚きの大観衆である。
 ワールドカップで一躍注目を集めた韓国代表の朴智星の存在は大きい。ワールドカップ後初の出場を見ようとサポーターがスタジアムに押し寄せているのだ。パープルサンガにとってはこの流れのままいきたい所だろう。

 一方のガンバは、これまでも常に多くの優秀な日本人選手を輩出してきた。そして現在は、おそらく日本人最高の監督であろう、西野朗がチームを率いている。
 好調ガンバの最大の理由は28才、192cm、84kgの大型ブラジル人フォワード、マグロンである。
 ワールドカップ開催前には、たった3得点しかあげていなかった元ヴェルディのフォワードが、その後エスパルス戦での4得点、グランパス戦での2得点、そして水曜日の広島戦でのPKで1得点と、併せて10得点あげている。
 先週、吹田市の万博スタジアムで行われたガンバ対名古屋の試合では、2万3000人収容のスタジアムにほぼ満員の2万1621人が押し寄せた。これは昨年7月に行われた稲本潤一のアーセナル移籍前最後の試合の観客数より多いのだ。
 これはガンバ史上5本指に入る大観衆で、1993年、1994年のJリーグのバブル時代を彷彿させるものだ。

 アントラーズやジュビロといった強豪チームのチーム運営手腕はたいしたものだと思う。しかし、ガンバやパープルサンガの活躍が、ワールドカップ後の日本のサッカーブームを少なからず支えているのだ。

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新チェアマン、前途洋々のスタート

2002/07/25(木)

 Jリーグの新チェアマン、鈴木昌氏の口からはとても力強い言葉がいくつも発せられた。火曜日の午後、東京で行われた就任後初めての記者会見でのことだ。
 あるスポーツ・ジャーナリストの質問に答えて、Jリーグは近い将来に延長戦を廃止する意向である、と鈴木氏は述べた。
 個人的には、これはJリーグにとって大きな前進であると思う。世界各国の主要なリーグで、リーグの試合に延長戦を導入しているところはどこにも見当たらないからだ。

 鹿島アントラーズの前の社長である鈴木氏は、ワールドカップによって日本のファンも引き分けが刺激的な結末になりうることをわかったようだ、と語り、日本が2-2でベルギーと引き分けた試合を引き合いに出した。
 私は、鈴木氏が2002年ワールドカップの引き分けだけを引き合いに出したのに驚いた。というのも、私が憶えている、日本代表にとってもっとも意味深い引き分けは、前回のワールドカップの予選でのものだからだ。
 もちろん、私が言っているのは1993年10月、ドーハの日本対イラク戦の2-2の引き分けだ。この結果により、翌年アメリカで開催された本大会に日本が出場するチャンスがついえたのである。
 今も憶えている。残りほんの数秒まで日本が2-1でリードしていて、そしてイラクが追いついた。6チームのグループで日本は1位から3位に落ち、サウジアラビアと韓国に出場権を奪われてしまった。

 引き分けはサッカーの重要な一部であるが、リーグ戦を90分で終了させるというJリーグの決定は、いますぐ実行するというわけにもいかないだろう。
 Jリーグでは、次のシーズンの開幕から引き分けが廃止されるように取り計らってもらいたい。
 1993年にリーグが発足したとき、Jリーグ関係者は、ファンはどの試合でも決着がつくのを望んでいるとして、延長戦とさらにPK戦を導入した。90分の勝利では勝ち点3が与えられ、延長戦のVゴールでの勝利には勝ち点2、PK戦での勝利には勝ち点1が与えられた。
 この制度はあまりに複雑だったので、幸いにもリーグは、1998年のシーズン以降、PK戦を廃止した。
 延長戦やVゴール、PK戦は、リーグの試合ではなく、ノックアウト・システムのカップ戦にとっておくべきものである。

 さらに私は、Jリーグに2シーズン制ではなく、1シーズン制で戦って欲しいと思っている。いちばん多く勝ち点を獲得したチームが、プレーオフなしでリーグのチャンピオンとなるのだ。プレーオフは、世界のサッカー界ではきわめて特殊なものである。
 もっとも、1シーズン制を近い将来に実現させるのは容易ではないだろう。2試合のチャンピオンシップは、テレビ放映権料やスポンサー料、観客収入など多額の収益をもたらしてくれているからだ。
 とはいえ、延長戦をやめることは、正しい決定であり、大きな前進である。

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次のキングは誰だ

2002/07/22(月)

 The king is dead! Long live the king!(キングは倒れた!キング万歳!)
 この英語のフレーズは現在の日本サッカー界をよく表している。
 これはリーダーがいなくなっても必ず誰かが次のリーダーとして皆の支持を得るという意味だ。
 だからJリーグファンは、鹿島アントラーズの鈴木隆行や横浜Fマリノスの中村俊輔が日本を離れた事をそれほど悲しむ必要はない。

 鈴木はベルギーリーグチャンピオンのゲンクに合流すべく、ベルギー入りしている。
 私は3月にロンメル対ゲンクの試合を見たのだが、早いボール回しとフィジカルなプレー、そしてロンメルのこじんまりとしたスタジアムの環境は素晴らしいものだった。
 ベルギーリーグは小規模ながらもイングランドのプレミアリーグに非常に似ている。フィジカルな試合を好む鈴木は、ことサッカーに関しては何ら戸惑いもなく上手く溶け込めるはずだ。

 埼玉での日本対ベルギー戦、2−2の引き分けでの鈴木のゴールはベルギー人にとって非常に印象に残っているに違いない。大きく強いベルギーのディフェンス陣相手に鈴木が自分の存在を認めさせるには、ワールドカップの時と同様の強い決意とスピリットを見せなければならない。
 ゲンクでは昨シーズンのベルギー一部リーグ得点王、エネルギーと積極性に満ちあふれたウェズレー・ソンクと肩を並べる事になる。
 この移籍は鈴木にとって非常に良い結果をもたらすだろう。時に物静かでセンターフォワードとしてはあまりにも控えめな印象があった性格も成長する事だろう。

 一方中村は昨シーズンセリエAに昇格したレッジーナに移籍する。
 レッジーナはペルージャとよく似ている。小さいながらも上位グループに生き残り、イタリアンカップであわよくば勝ち、そして翌シーズンのUEFAカップの出場権を得る事を第一の目標としているチームである。
 しかし中村は中田英寿ではない。中村がイタリアで活躍するには、プレーのペースアップを図らなければならない。もちろん彼はセリエAで充分通用するだけのスキル・テクニックを備えている。
 イタリアでもっとも熱狂的なサポーターを持つチームの一つであるレッジーナへの移籍は、中村にとってレアル・マドリードに行ってジダン、フィーゴ、そしてラウルに囲まれ出場機会のないまま過ごすよりずっと良い筈だ。

 話を元に戻そう。鹿島のキングとマリノスのキングはチームを去っていった。しかし若い選手達が必ず次のスターになるべく昇ってくる。

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エンゲルスのイチオシ、黒部光昭

2002/07/18(木)

 日本代表が新ストライカーを探しているのなら、自分は一人知っている、と京都パープルサンガの監督、ゲルト・エンゲルスは思っていることだろう。ストライカーとは、黒部光昭のことだ。
 24歳のセンター・フォワードは、昨シーズン41試合に出場して30ゴールを挙げてJ2で旋風を巻き起こし、京都のJ1昇格に貢献した。
 黒部の勢いは依然続いており、今シーズンは7試合で6ゴールを挙げ、京都はJ1の6位に進出した。
 出場停止処分により8試合のうちの1試合を欠場したが、6ゴールは、ジュビロ磐田の藤田俊哉と並ぶ今シーズンのJ1での日本人選手最多ゴールである。
 得点王争いで黒部と藤田の上にいるのは、9ゴールのエメルソン(浦和レッズ)と7ゴールのマグロン(ガンバ大阪)という二人のブラジル人選手だけである。

 エンゲルスは、元福岡大学生はさらに進歩を続けることができると考えている。
 「うん。黒部は良いスタートを切れたね。ヴェルディ戦ではハットトリックもしたし」とドイツ人の監督。
 「ヒザのケガのせいで、黒部はシーズン前の準備がそれほどでもなかったんだけど、現在7試合で6ゴールとは、すばらしい得点記録だね。」
 「大学を卒業してからプロではまだ3年目なんだけど、彼はいつも学んでいる」

 エンゲルスによれば、黒部は器用さも急速に身につけているそうだ。
 「彼はもともとパワフルな選手で、いちばんの得意はヘディングだった。でも、現在では足技もずっとうまくなったし、緩急のつけかたも学んでいるところだ。」
 「動き方は、改善の余地がある。黒部の場合、ゴール前でボールを待ちすぎる傾向がある。彼はディフェンダーの周りでもっと動く必要がある。そうすれば、ディフェンダーから離れてプレーできるんだけどね」

 これまで見たかぎりでは、黒部は今後も学び続け、代表の座も獲得できるとエンゲルスは感じている。
 「チャンスがあると思わないかい?」とエンゲルス。
 「黒部は、フィジカルは強いし、スピードもパワーもある。テクニックも動き方もさらに向上させることはできるし、ゴール前での感覚も、経験とともに研ぎ澄まされるだろう」

 今シーズン、エンゲルスは黒部の目標として15ゴールを設定している。昨シーズンJ2で記録した数の半分という計算だ。
 「黒部は2試合に1度ゴールを決めてくれたら満足だ。今シーズン、黒部が最終的に15ゴールを挙げたら、私は嬉しいが、チームは良いプレーをして、黒部にチャンスを供給しなければならない。一人の選手のことより、そっちのほうがもっと大事なんだけどね」とドイツ人監督は付け加えた。

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マリノス−仙台戦に見るワールドカップ余熱

2002/07/17(水)

 先週土曜日、ワールドカップフィーバーを引き継ぐように、長かった休みをはさんでJリーグが再び始まった。
 いくつも好ゲームがあったのだが、私は横浜の三ツ沢スタジアムで行われたFマリノス対ベガルタ仙台を見に行った。
 そしてその試合は私の期待を裏切らない好ゲームであった。

 14,762人の観衆でスタジアムはほぼ満員で、そのうえスタジアム周辺のマンションのバルコニーからは、無料で観戦できる特等席だとばかりに住人たちが試合開始のかなり前からピッチを見下ろしていた。
 スタジアムはまるでヨーロッパでよく見られるサッカー風景のように、一方のゴール裏には黄色のシャツを身にまとったベガルタ仙台のサポーターの一団が、もう一方にはマリノスブルーの一団が陣取っていた。

 試合はと言うと、レッドカード1枚、イエロー3枚が出されたにもかかわらず、テンポの良いフェアな試合だった。
 ベガルタ仙台の森勇介は55分に1枚目のイエロー、そして試合終了6分前にはマリノスの俊足FW坂田大輔の足をひっかけ2枚目のイエローをもらい退場になった。
 とは言うものの、その時点で既にマリノスは奥大介とブラジル人DFナザのゴールにより2−0でリードしていた。
 レッジーナへの移籍が決まった中村俊輔が怪我で出場できなかった為、2トップ下中央で司令塔としてプレーしていた奥が58分に均衡を破るゴールを決め、続いてナザが30メートルの距離からFKをディフェンスの壁を突き破り右隅にゴールを決めた。
 しかし一方のベガルタも決して試合を諦めることなく、なんとか追いつくべく素晴らしいプレーをしていた。

 また主審の松村和彦氏の主審ぶりも素晴らしく、できるだけ試合の流れを断たないように、そして怪我を装いピッチに倒れ込む選手達にもすぐに立ち上がるよう指示していた。
 特に15分、ブラジル人FWマルコスが上野良治にファールされた時の主審は素晴らしかった。
 マリノスの主将、松田直樹がマルコスの手を引いて立たせようとしたのだが、マルコスは足をひどく痛めたフリをして見せ、松村氏は即座にイエローカードを提示した。マルコスはあくまで怪我をしているフリを続けるしか術がなく、30メートルほど足を引きずりながらサイドラインまで歩き、試合が続行されるなか治療を受けていた。
 この主審の毅然とした姿は素晴らしいものだった。こうしたことが、選手が無用にプレーを止めてファンの楽しみを奪うことを防ぐのだ。

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Jリーグのお手本、イングランドとアイルランド

2002/07/16(火)

 今シーズン、Jリーグのテーマの一つは、フェアプレーである。
 そして、選手たちに良きお手本を示すため、リーグの関係者たちはワールドカップのゲームを録画したビデオの編集を行なったのだが・・・、さて、どのチームがお手本になるのだろう?

 チャンピオンのブラジル? はずれ。
 準優勝のドイツ? はずれ。
 じゃあ、FIFAフェアプレー賞を受賞したベルギーはどうだろう?
 これも、違う。

 Jリーグがビデオで採り上げた2チームとは、じつはイングランドとアイルランド共和国であった。
 Jリーグの関係者は、これら2チームはあるべき精神、姿勢でゲームを戦ったと感じており、Jリーグの監督、選手にこのお手本を見習って欲しいと思っているのだ。
 主力選手であるリバウドのきわめて巧妙な、反則スレスレのプレーを見せられては、さすがにブラジルをお手本にはできないということなのだろう!

 Jリーグはビデオを全クラブに送り、クラブの会長から事務スタッフ、コーチ、選手に至るまで関係者全員に「ファアプレー」を要請した。
 このことは、1993年の発足以来未だ揺籃期にあるJリーグにとって、重要な出来事であった。
 Jリーグでもダイビングや負傷したふりをする選手は多くいるが、ファンが正直で、フェアな試合を楽しむことができるように、このような流れを早急に止めることは可能なのである。

 Jリーグが前述の2チームに注目するのは、まったく良いことだと思う。というのも、これらのチームの選手たちはすべてイングランドのプレミアリーグの出身であるからだ。
 プレミアリーグは、世界中で多くの愛好者を得ており、その数はイタリアやスペインをはるかに凌駕している。理由は、試合がハードで、フェアで、速いからだ。
 プレミアリーグでは、セリエAとは違い、レフリーはできる限りプレーを流そうとする。セリエAでは、ファールが激しく、素早いため、選手たちはゲームを進行させることより、倒れて、フリーキックをもらうことを好むのである。
 だから、Jリーグが再度注目を集めるときには、選手たちがプレーだけに意識を集中させ、リバウド・スタイルのトリックを真似ないように希望しようではないか。
 リバウドは偉大な選手ではあるが、彼はワールドカップを見た、世界中の数100万人の子供たちのお手本とはなっていないのである。

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チャンスだ、イナ

2002/07/15(月)

 ワールドカップは、日本の稲本潤一にとって最高の舞台となった。
 そして今、稲本は最高の移籍先を獲得した。イングランド・プレミアリーグのクラブ、フルハムである。
 アーセナルの監督、アーセン・ベンゲルは、稲本はガンナーズ(アーセナルの愛称)では実力不足だとはっきり感じとり、1シーズンで稲本を放出した。
 Jリーグからやって来た稲本のほうはロンドンを去るのを嫌がっていたので、今回のガンバ大阪からフルハムへの移籍は誰もが満足のゆくものであった。

 フルハムには潤沢な資金がある。エジプト出身のオーナー、アル・ファイド氏は、ロンドンの名門百貨店、ハロッズのオーナーでもあるからだ。
 とはいえ、同じくロンドンを本拠とする他のクラブ、アーセナルやトットナム、チェルシーに比べると、フルハムはまだスモール・クラブにすぎない。
 昨シーズンは、3番目の重要度しかないリーグ・カップやUEFAチャンピオンズ・リーグの試合の終盤に2、3回交替として起用されただけの稲本にとっては、1軍でプレーするチャンス、とくにプレミアリーグでのチャンスはずっと多くなるだろう。
 ポジション争いも激しくなるだろうが、毎週プレッシャーを感じながらプレーすることも、稲本のためになるだろう。
 もっとも、ベンゲルが築き上げたヨーロッパ最強の軍団、アーセナルに匹敵するような激しいポジション争いはどこにも存在しない。
 つまり、稲本も、多くいる日本人の稲本ファンも、彼がハイバリー(アーセナルの本拠地)で成功できなかったと言ってがっかりする必要はないのである。

 アーセナルの練習場とベンチでほとんどの時間を過ごしてきた稲本は、ワールドカップの期間、闘争心を全面に出し、自身の良い点をアピールしようとする若手選手のようなプレーを見せた。
 ベルギー戦とロシア戦では、見事なゴールを2つ決め、彼の自信と技術レベルは依然高いレベルにあることを示した。
 元ガンバ大阪のミッドフィールダーはまだ22歳で、ヨーロッパのクラブ・サッカーの最高レベルで実力を発揮する時間はたくさんある。

 稲本はプレミアリーグで成功するだけのフィジカル面の強さとパワーを備えている。しかし、レギュラーとしてプレーする場合、ゲーム展開の速さに対応できるようになるには時間がかかるかもしれない。
 試合勘が欠けていることは、ワールドカップの準備に日本に帰国したときに明らかであったが、新しいチームメートとうまくプレシーズンを過ごすことによって、チームに対応できるようになり、さらに新しいシーズンで先発レギュラーの座を獲得できるようになるかもしれない。
 稲本は、ガンナーズでの物足りない思いから多くを学んだかもしれない。かつてのフランス代表ミッドフィールダー、ジャン・ティガナが率いるフルハムでは、稲本は臆せず、ためらわず、ゲームを支配しようとしなければならない。

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名選手ジーコは果たして名監督になれるか?

2002/07/15(月)

 正直なところ、ジーコが新しい日本代表監督に就任すると聞いて驚いた。
 私はてっきり日本サッカー協会は、トルシエの後を引き継いで日本代表チームを次のレベルに引き上げてくれる、経験あるヨーロッパ人の監督を選ぶだろうと思っていた。
 今年の正月、トルシエがワールドカップ後に日本を去る事を正式に発表した直後、私はすぐにフース・ヒディンクこそ次の監督にふさわしいと思った。
 その当時、ヒディンクは韓国代表で結果を出せずに苦悩の日々を送っていたが、ワールドカップで準決勝まで進出するや一転、素晴らしいコーチであることを証明してみせた。
 今となってはもちろん、ヒディンクを雇う事など遅すぎるのだが、果たして彼に日本サッカー協会から代表監督の就任要請があったかどうか興味深いところだ。

 ジーコ監督の就任はどうやら一人の人物の一存によって決められたようだ。川淵三郎。岡野俊一郎の後継者として日本サッカー協会会長就任がほぼ決定している人物だ。
 ファン、メディアを通じて有名で、且つ日本のサッカー界をよく知っていること、それこそ川淵が徹頭徹尾望んでいたことだからだ。
 もちろん日本のサッカー界を知っていることは利点と言えよう。しかし、知名度や人気は、良い監督の条件だろうか?
 今の段階では答えは見つかるべくもない。

 事実、ジーコは監督としての経験はないに等しい。
 1994年の現役引退以来、鹿島アントラーズのテクニカルディレクターを数シーズン務めてきた彼だが、実際の指揮はあくまで監督代理として12試合にすぎない。
 1999年のセカンドステージは11試合中8勝をあげ、2000年トニーニョ・セレーゾが監督に就任する前、彼の最後の1試合は負け試合だった。

 ブラジルの伝説的なプレーヤーと並び、現役時代は名選手として活躍したジーコだが、トルシエがしっかりとした基盤を作った日本代表を次のレベルに引き上げるための戦術的な知識や、代表選手達とのコミュニケーション能力はあるのだろうか?
 選手達がヨーロッパ的なサッカーを身につけてしまった今、日本サッカー協会がジーコを代表監督に就任させるのは、ある意味とてつもなく大きな賭けだと思う。
 もしかすると、私はあまりにも悲観的なのかもしれない。しかし私にはやはり経験あるヨーロッパ人の監督が最適だったように思えてならない。
 今はただ黙って見守っていくしかないだろう。

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完ぺきだったカーン、そうでなかったリバウド

2002/07/03(水)

 2002年ワールドカップの最高の選手に贈られる、ゴールデン・ボール賞の候補者10人のうち4人は、ブラジルの選手である。
 しかし、日曜日の投票では、私はドイツの選手を選ぶつもりだ。
 私にとっての最高の選手は、ドイツのキャプテンにして、ゴールキーパーのオリバー・カーンである。

 カーンはこれまで6試合で1ゴールしか許しておらず、ドイツの決勝進出の最大の功労者であった。
 私はドイツの全6試合のうち5試合を現場で見ており、サウジアラビアに8-0で圧勝した試合だけは、ソウルから成田に戻った後のテレビ観戦であった。
 どのゲームでも、カーンは少なくとも1点、ほとんどの場合は2点か3点、確実に失点となるピンチを、その勇気と機敏さ、予測能力で防いできた。
 欠点もなかった。あえて言えば、ボールをキャッチせずにパンチングで処理したことが多すぎたくらいだろうか。
 しかし、これは新しい試合球である、アディダス社のフィーバーノヴァが原因かもしれない。
 大会が始まって間もない頃、アイルランドのゴールキーパー、シェイ・ギブンが言っていたのだが、フィーバーノヴァをキャッチするのは濡れた石鹸の塊をキャッチしようとするようなもので、彼もボールをパンチングでクリアしなければならない場合が普段より多くあったそうだ。

 念のため残りの9名の候補者を紹介すると、ミヒャエル・バラック(ドイツ)、ロベルト・カルロス、リバウド、ロナウド、ロナウジーニョ(いずれもブラジル)、エルハジ・ディウフ(セネガル)、フェルナンド・イエロ(スペイン)、ホン・ミョンボ(韓国)、ハッサン・シャシュ(トルコ)がFIFAのテクニカル・スタディー・グループによりノミネートされている。
 カーンが受賞すると思うが、ブラジル選手の可能性もある。
 ロナウドかロナウジーニョが受賞するのなら構わない。ロナウジーニョは、準々決勝のイングランド戦で退場の憂き目に遭っているからなおさらだ。
 もしリバウドが最優秀選手に選出されるなら、私はその決定はばかげたものだと思う。

 今回のワールドカップの開幕前から、よく見られる2種類の反則行為はレフリーが厳しく取り締まることになっていると、FIFAは述べてきた。その反則行為とは、シャツを引っ張ることと負傷したように見せかけ、相手チームを不利な状況に陥れることであった。
 ブラジルの初戦のトルコ戦でリバウドがしたことは、ゲームを冒涜する行為であったし、イングランド戦でも負傷したふりをして、時間稼ぎを2、3回続けた。
 トルコ戦では、リバウドはボールが顔に当たったように見せかけて負傷を装い、トルコ選手が退場処分を受けた。実際には、ボールは大腿に当たっていたのである。
 これこそが、世界中の青少年への悪影響を考慮し、まさにFIFAが撲滅しようとしているものであった。
 もし子供たちにリバウドのこのような振る舞いを見せて、しかも彼をワールドカップの最優秀選手に選定するのなら、教訓はいったいどこにあるのだろう?

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ロナウドのもたらしたハッピーエンド

2002/07/02(火)

 ワールドカップ2002はこれ以上の終わり方はなかった。 
 決勝戦後半での25才のスーパースターによる2ゴールは、激しい追撃をしかけるドイツにとどめを刺し、ロナウドとブラジル代表チームは再び世界一の栄冠を手にした。
 ロナウドにとっては1998年から続いた悪夢と、そして近年繰り返していた膝の故障を断ち切る、まるでおとぎ話のエンディングのようであった。

 4年前の対フランス決勝戦の朝、ひきつけを起こしたロナウドは、その影響もあってか、試合ではとても本来の彼自身ではなかった。
 その後、事態は好転するどころか、かえって故障の連続でどんどん悪化していった。しかし彼は代表監督、ルイス・フェリペ・スコラーリの信頼を裏切る事なく、1970年ワールドカップメキシコ大会で西ドイツのゲルト・ミュラーが記録した10得点以来最多の8得点を記録した。
 ロナウドはこれで伝説のプレーヤー、ペレと同じく、ワールドカップ通算12得点をあげ、サッカーの神話にその名を刻んだ。
 アジアで初めて、共同開催として初めてという今大会は、これ以上はないという終わり方をしたのではないだろうか。

 5月31日から6月30日までの今大会で他に特筆すべき事をあげると、全国を赤一色に染めた韓国代表が準決勝へ進出した事、日本代表も国を青一色に染めたがセカンドラウンドでトルコに敢えなく敗退した事、そして優勝候補にまであげられたフランスやアルゼンチンがファーストラウンドで敗退した事だろう。

 それでは共同開催は果たして成功だったと言えるのだろうか?

 私個人の感想だが、苦い過去を抱えた韓国と日本両国が共同で開催したと言う事実と社会的見地から見ると、成功したと言い切って良いのではないだろうか。
 一つの事例をあげると、韓国代表がスペイン代表を破った後、青いシャツをまとった日本の若者達が赤いシャツをまとった韓国の若者に混じって韓国の勝利を祝っていた。
 すべては韓国の勝利の為にである。そして今度は突然韓国サポーターから「ニッポン!ニッポン!」の声があがった。

 サッカー、そして経済的な見地から言うと、私は20都市、20スタジアムでの開催は多すぎると感じている。
 個人的には以前のように1・2都市を基盤として開催される大会の方が好きだ。
 移動は少なくて済むし、各国代表や集まったサポーター達がもっと深い絆のようなもので結ばれる。
 1ヶ月の大会期間中、少なくとも1カ所で少なくとも6試合を行う事ができる、8〜10会場でワールドカップを行うのが経済的に見ても妥当だと思う。
 日本が10都市で大会を開催すると発表した後、自然と韓国も同様に決定したが、これらの会場のうち特に韓国では何箇所が、将来にサッカー会場として使われるのだろうか?
 殆どの会場がたった3試合をホストしただけでワールドカップは終わってしまった。特に鹿島などは6年もの準備期間をかけ、たった1週間で終わってしまったのだ。
 各地域の準備委員会にとって、巨額の費用を注ぎ込み、また多くのトラブルを味わい、果たしてワールドカップを誘致した事は良かったのかと思わせるような事は実にばかげていると思う。

 FIFA会長、セップ・ブラッター氏は2大会分の出費で1大会分の収益しかあがらないと語っていた。
 確かに二つのワールドカップが同時に開催されているようだった。日本に居ると韓国での大会の様子がなかなか伝わらないし、逆の場合もまた同じだ。
 セカンドラウンドの取材で韓国に滞在していた時などは韓国―ドイツ戦が決勝戦のように思えたし、日本で行われたブラジルートルコ戦などは韓国では誰も注目していなかったようであった。

 しかしFIFAが1996年に共同開催を決定してから、韓国と日本はアジアの名誉を賭けて最善を尽くしたと言って良いだろう。
 そもそも両国とも共同開催を望んでいたわけではなかったのだから。

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