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最後まで不可解だった、トルシエ

2002/06/19(水)

 日本のワールドカップは、終わった。
 そして、なにかと物議を醸しながらも結果を残した代表監督、フィリップ・トルシエの職務も終わった。

 フランス人監督は選手起用でいつも人々を驚かせてきた。選手の取捨選択では、わざとエキセントリックに振る舞おうとしているのではないかと思えるときもあったくらいだ。
  この点においては、彼は以前と変わらず予測不可能であり、セカンド・ラウンドのトルコ戦での1−0の敗戦には、どうしても後悔の気持ちが残ってしまう。

 グループ・リーグの3試合では、トルシエは3−5−2のフォーメーションを採用し、鹿島アントラーズのコンビである、鈴木隆行と柳沢敦をトップに配していた。
 二人のストライカーは、初戦のベルギー戦での鈴木の同点弾1ゴールしか記録できなかったが、コンビとしての連携は良く、力強いランニングとボールから離れた位置での仕事ぶりにより、相手ディフェンダーに手を焼かせていた。

 それゆえに、トルコ戦でトルシエが二人を先発から外したときには奇妙な感じがしたものである。これは、自分のチームことを考えるより、相手のチームを警戒するほうに、トルシエの心が動いたからだろう。トルコはアントラーズ・コンビを徹底的に研究しているとトルシエは踏んだのに違いない。
 そして、トルシエは西沢明訓とブラジルから日本に帰化した、アレッサンドロ・“アレックス”・ドスサントスを先発に起用した。

 不可解であった。
 西沢はグループ・リーグの3試合ではまったく出場していなかったし、アレックスはトルシエの5人のミッドフィールダーのうちの1人として左サイドで起用されたことがあるだけで、日本代表のストライカーとしてプレーしたことはなかった。
 この選手起用を考えると、日本をセカンド・ラウンドに導いたやり方を貫く代わりに、トルシエはトルコの機先を制することを優先したのである。

 西沢は感情の起伏の激しい選手で、チーム・プレーを怠ったり、集中を欠くことがよくある。実際、彼は前の代表監督、岡田武史に代表候補合宿からの帰宅を命じられたこともある。やる気がないというのが、その理由だった。
 驚くことに、トルシエはおよそ彼らしくないくらい西沢に執着してきた。しかし、西沢は、スペインのエスパニョールに続き、イングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズでも散々な失敗をしてきた。鈴木と柳沢の2人のほうが信頼できるし、チームの一員としてうまく機能することができるだろう。

 アレックスは左足のフリーキックでボールをゴールの角にぶつけたし、西沢は後半の開始早々にシュートを2本打ち、1本はヘディング・シュートでキーパーの正面に飛び、もう1本はバーのはるか上を越えたが、日本はグループ・リーグを席巻してトップに立ったときのような勢いとリズムを失っていた。

 さらに、トルシエはどうして試合終了5分前まで、森島寛晃をベンチに置いていたのだろう?
 精力的に動き回る、小柄なストライカーは、チュニジア戦では日本の流れを変える働きをしたのに、またもベンチに座らされたままでは、かなりフラストレーションを感じていたに違いない。
 トルコ戦では、日本でのできが良くなかったのは残念だが、その原因がトルシエの変心にあるのは確かである。

 トルシエは日本代表の監督としてとても良くやってきた。しかし、実績があって、信頼もできるラインアップでゲームに臨んでいれば、トルコには勝てたのではないかという気持ちも残る。
 フランス人監督は、こんな形で代表監督の職務を終えるべきではなかった。

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