« 次の日本代表監督は誰だ? | トップページ | 世界はアジア主催のワールドカップをどう評価するのか? »

アジア、ガウチに反撃

2002/06/23(日)

 アジア・サッカーのボス、ピーター・ヴェラパン(アジア・サッカー連盟・事務局長)の言う通りだ。ペルージャなんて、もういらない。

 ヴェラパンのコメントは、ワールドカップのセカンド・ラウンドでペルージャのプレーヤー、アン・ジョンファンがイタリアの脱落を決定づけるゴールを決めたあと、イタリア人のクラブ・オーナー、ルチアーノ・ガウチがした信じられないくらい無軌道な発言についてである。

 ガウチは、6月末で期限切れとなるアンの契約を更新するつもりはなく、ペルージャはアンを保有することには興味がない、と言明した。
「ペルージャに来たとき、彼は哀れな、迷える小羊のようで、サンドイッチを買う金もなかった」とガウチ。
「彼は特別たいした仕事もせずに金持ちになり、それから、ワールドカップでイタリアを破滅させたのである」

 ガウチのコメントに対して、ヴェラパンは激しく反論した。日本や韓国といったアジアの選手が今回のワールドカップでやったように、アジアがヨーロッパに対して立ち向かうのは、良いことだと思う。

 ペルージャがアジアの選手と契約したのは、レプリカ・シャツやテレビ放映権料、それにアジア企業のスポンサー料で金儲けをしたいがためにすぎない、というのがヴェラパンの言い分だ。
 この点に関してはヴェラパンの言う通りであり、アンがペルージャにこだわる理由なんてない。

 昨年10月、私はローマとのサタデーナイト・ゲームを見るためにペルージャを訪れた。
 次の日には、中田英寿が出場するピアチェンツァ戦を見るために、電車でパルマに向かった。

 ペルージャは美しい歴史都市で、ウンブリアの山々の眺めは息をのむほどであった。
 街の窪地にある、ペルージャ・フットボール・クラブは荒廃していた。スタジアムは古くて、オンボロで、選手やオフィシャル、VIP、メディアのための設備は、ひどい有り様だった。
 しかし、クラブは強運に恵まれていた。1998年のワールドカップの後、移籍金330万ドルでベルマーレ平塚から中田を獲得したのである。

 中田は、セリエA初戦のユベントス戦でいきなり2ゴールをあげるという衝撃的なデビューを果たした。最初は日本で、それからアジア各地で、ファンが中田の背番号7の付いたペルージャのユニフォームを先を争って買い求め、日本の観光客は、ローマから電車でわずかの距離にある、ペルージャに大挙押し寄せた。
 1シーズンと半分が過ぎたとき、ペルージャは中田をローマに1,600万ドルで売りに出した。シャツの販売やテレビなどの儲けを別にしても、ペルージャは1,200万ドル以上の利益を得たことになる。

 その後、ペルージャは2匹目のドジョウを狙い、中国では馬明宇と、韓国ではアンと契約を結んだ。
 どちらの契約も、完全移籍ではなく、レンタル移籍だった。大金を費やしたあげく、もしその選手が中田ほど良い選手でなく、売れない選手だとわかった場合にその全額を失うことを、ペルージャが望まなかったからである。

 もちろん、彼らは中田のようにピッチの内外で大ブームをおこすような選手ではなかった。
 アンはペルージャではほとんどの時間をベンチで過ごした。アンの完全移籍契約を結ぶために、ガウチがアンの所属する韓国のクラブ、プサン・アイコンズに400万ドルを支払う気があるとは、私にはどうしても思えない。

 イタリアの敗北は、ペルージャとガウチに宣伝のチャンスを与えた。
 しかし、その結果として、イタリアはまたも敗者になってしまったのである。

固定リンク | | コメント (0)

コメント

この記事へのコメントは終了しました。