アジア、ガウチに反撃
アジア・サッカーのボス、ピーター・ヴェラパン(アジア・サッカー連盟・事務局長)の言う通りだ。ペルージャなんて、もういらない。
ヴェラパンのコメントは、ワールドカップのセカンド・ラウンドでペルージャのプレーヤー、アン・ジョンファンがイタリアの脱落を決定づけるゴールを決めたあと、イタリア人のクラブ・オーナー、ルチアーノ・ガウチがした信じられないくらい無軌道な発言についてである。
ガウチは、6月末で期限切れとなるアンの契約を更新するつもりはなく、ペルージャはアンを保有することには興味がない、と言明した。
「ペルージャに来たとき、彼は哀れな、迷える小羊のようで、サンドイッチを買う金もなかった」とガウチ。
「彼は特別たいした仕事もせずに金持ちになり、それから、ワールドカップでイタリアを破滅させたのである」
ガウチのコメントに対して、ヴェラパンは激しく反論した。日本や韓国といったアジアの選手が今回のワールドカップでやったように、アジアがヨーロッパに対して立ち向かうのは、良いことだと思う。
ペルージャがアジアの選手と契約したのは、レプリカ・シャツやテレビ放映権料、それにアジア企業のスポンサー料で金儲けをしたいがためにすぎない、というのがヴェラパンの言い分だ。
この点に関してはヴェラパンの言う通りであり、アンがペルージャにこだわる理由なんてない。
昨年10月、私はローマとのサタデーナイト・ゲームを見るためにペルージャを訪れた。
次の日には、中田英寿が出場するピアチェンツァ戦を見るために、電車でパルマに向かった。
ペルージャは美しい歴史都市で、ウンブリアの山々の眺めは息をのむほどであった。
街の窪地にある、ペルージャ・フットボール・クラブは荒廃していた。スタジアムは古くて、オンボロで、選手やオフィシャル、VIP、メディアのための設備は、ひどい有り様だった。
しかし、クラブは強運に恵まれていた。1998年のワールドカップの後、移籍金330万ドルでベルマーレ平塚から中田を獲得したのである。
中田は、セリエA初戦のユベントス戦でいきなり2ゴールをあげるという衝撃的なデビューを果たした。最初は日本で、それからアジア各地で、ファンが中田の背番号7の付いたペルージャのユニフォームを先を争って買い求め、日本の観光客は、ローマから電車でわずかの距離にある、ペルージャに大挙押し寄せた。
1シーズンと半分が過ぎたとき、ペルージャは中田をローマに1,600万ドルで売りに出した。シャツの販売やテレビなどの儲けを別にしても、ペルージャは1,200万ドル以上の利益を得たことになる。
その後、ペルージャは2匹目のドジョウを狙い、中国では馬明宇と、韓国ではアンと契約を結んだ。
どちらの契約も、完全移籍ではなく、レンタル移籍だった。大金を費やしたあげく、もしその選手が中田ほど良い選手でなく、売れない選手だとわかった場合にその全額を失うことを、ペルージャが望まなかったからである。
もちろん、彼らは中田のようにピッチの内外で大ブームをおこすような選手ではなかった。
アンはペルージャではほとんどの時間をベンチで過ごした。アンの完全移籍契約を結ぶために、ガウチがアンの所属する韓国のクラブ、プサン・アイコンズに400万ドルを支払う気があるとは、私にはどうしても思えない。
イタリアの敗北は、ペルージャとガウチに宣伝のチャンスを与えた。
しかし、その結果として、イタリアはまたも敗者になってしまったのである。
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