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2002年6月

ロナウド完全復活!

2002/06/29(土)

 皆さんにはワールドカップ準決勝、対トルコ戦でのロナウドの素晴らしい決勝ゴールシーンで何が起こったのか見えただろうか?
私には見えなかったし、きっとトルコ代表GKリュストゥ・レチベルにも何が起こったのか見えなかったに違いない。

 ロナウドがMFジウベルト・シウバからパスを受けた時、そのポジションからはシュートを打つのは難しいように見えた。
 彼はペナルティーエリアの外に居たし、彼の前にはトルコチームの半数のプレーヤーが居た。
 しかし、ディフェンス陣は彼に突破を図るのに充分なスペースを与え、4人のディフェンダー達が今にもタックルをしようとしていた。
 次の瞬間、突如ボールがどこからともなくゴールネットを揺らしたのだ。
 彼の右足はほとんど後ろに振り上げられることがないまま、つま先だけでファーサイドに向かってボールを突き刺したのは見事だった。
 キーパーはなんとかボールに触る事はできたが、ファーコーナーにボールが吸い込まれるのを防ぐ事はできなかった。

 それはディフェンダーをかわし、GKを1対1で破って決めるいつもの彼のようなシュートではなかった。
 どちらかと言えば、ここ2大会では代表に選ばれていないが、1994年のワールドカップでブラジルを優勝に導いたスター、「ペナルティーエリアの狩人」ロマーリオのようなシュートだった。
 しかし、これは代表監督ルイス・フェリペ・スコラーリの選択が正しかった事を証明した。
 ロナウド、リバウド、そしてイングランド戦での警告で準決勝には出られなかったロナウジーニョの3人がいればブラジルにはロマーリオは必要ない。

 トルコ戦での彼のゴールはまぎれもなく、ずば抜けた予測不能な技術で接戦をものにする事のできる真の天才のなせる技だった。
 それはまさしく独創的で、突飛でもあり、いやこれこそロナウドなのだ。

 ファーストラウンドを日本で観戦し、セカンドラウンド、準々決勝、準決勝と韓国で観戦した私にはこれが今大会ブラジルを見る初めての機会だった。
 魅力的ではあるが、ここ一番の決定力にやや欠けるトルコ戦での僅差での辛勝は、私にとっては少しも不満を抱かせるものではなかった。

 試合後のミックスゾーン(ロッカールームからバスへ向かう途中に設置されたインタビューエリア)でロナウドは自身のゴールを「ロマーリオ・スペシャル」と表現し、ようやく悪夢から解放されたと語った。
 その悪夢は1998年のワールドカップ・フランス大会で膝の故障に加え、引きつけの発作を起こしその後不調に陥った事に始まった。

「今じゃ全てのゴールが勝利さ」
「ピッチに入る事がこれほど光栄で喜ばしい事はないよ」彼は語った。

 今の彼に4年前のような、弾けた、爆発的でダイナミックな姿はないかもしれない。しかし25才になったこのスーパースター今大会でブラジルを優勝に導き、自身も得点王に輝く力を充分持っている。
 彼はすでにワールドカップで通算10ゴールをあげている。この数字はかの伝説のプレーヤー、ペレが1958年〜1970年にあげた12ゴールに2ゴール足りないだけである。
 ロナウドもまた伝説として語り継がれるプレーヤーになるのだろうか?
 もし日曜日に行われるドイツとの決勝戦で彼が2ゴールをあげ、ブラジルを優勝に導いた時、彼の名は間違いなくワールドカップの歴史にその名を刻む事になるだろう。

 彼にとってピッチに入る事は栄誉と喜びであるとしたら、我々にとってもピッチに入る彼を見る事は等しく栄誉であり喜びである。
 もちろんそれはドイツ人であったとしても等しく感じる事だろう。

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韓国選手が、ヨーロッパ・サッカーに新風を吹き込む?

2002/06/26(水)

 イングランドで活動する、あるサッカー代理人は、ワールドカップでの韓国の躍進が、ヨーロッパ・サッカーに新風を吹き込むことになると信じている。

 韓国が大会で勝ち進むにつれ、何人かの選手がヨーロッパのクラブの関心を集めている。
 たとえば、スター・ストライカーのアン・ジョンファンには、チェルシーとエバートンが注目していると言われているし、同じくフォワードのソル・ギヒョンにも、イングランドのプレミアリーグのスカウトが好印象を抱いたそうだ。
 韓国の3トップの右サイドでプレーした、パク・チソンも京都パープルサンガからイタリアに移籍するかもしれない。彼のことを、中田英寿のように強靱で、ダイナミックな選手だと評価する、セリエAのクラブがいくつかあるようだ。

 現在、ソル・ギヒョンはベルギーのアンデルレヒト所属である。
 昨年の夏に3年契約を結んだので、契約期間はまだ2年残っている。
 ただし、それだけでソルがアンデルレヒトに留まるということにはならない。1年目のシーズンのほとんどを、彼はベンチ要員として過ごしたからだ。

 ソル・ギヒョンのイギリス人の代理人、マイケル・ダーシーによれば、アンデルレヒトはワールドカップでのソルの力強いプレーに非常な衝撃を受けているようだ。
「アンデルレヒトは、感心しています。というのも、アンデルレヒトは彼の起用方を間違っていたからです」とダーシーは語る。
「アンデルレヒトは、ゴールに背中を向けてプレーする、トップ・ストライカーとしてソルを起用してきました。しかし、彼のプレー・スタイルは、左右に開き、足もとでボールを受けてディフェンダーと勝負するほうが合っている。このプレー・スタイルでやったから、彼はワールドカップで活躍できたのです」

 アンデルレヒトの上層部はソルが残留することを望んでいるが、次のシーズンで定期的にプレーできるという保証が得られなければ、ソルは移籍を要望することができるかもしれない。そうなれば、ベルギーのクラブは多額の移籍金を手にすることができる。もともとソル・ギヒョンは、ロイヤル・アントワープで1年プレーした後、ほとんどタダ同然で獲得した選手である。
 ソルはまだ23歳で、2000年の夏、大学を卒業して直接アントワープに入団した。

 韓国のレギュラー11人のうち60パーセントの選手はヨーロッパの最高のレベルでもやれる、とダーシーは信じている。
「韓国選手は、ヨーロッパ・サッカーにおける北欧系の選手のような存在になれると思っています」とダーシーは説明する。
「北欧の選手は、フィジカルがとても強くて、つねに100パーセントの働きをします。北欧の選手と契約したチームは、どれだけの働きをしてくれるのかを正確に把握できます。私は、同じことが韓国の選手にも言えるのではないかと思っています。
「韓国の選手、アジアの選手に能力があるのは、我々には前からわかっていました。今、世界中の他の人々もそれがわかるでしょう」

 ダーシーによれば、いちばん重要なファクターは適切なクラブを選ぶことだそうだ。アーセナルと契約するのは、あまり適切とは言えない。稲本潤一の例を見ればわかるように、レベルが高すぎるからだ。

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世界はアジア主催のワールドカップをどう評価するのか?

2002/06/24(月)

 全ては韓国代表チームを準決勝へ進ませる為の陰謀なのか?
 それとも単に審判達の偶発的なミスジャッジがたまたま韓国の対戦相手に不利に働いたというのか?

 日曜の朝、正直なところ私は複雑な気持ちを胸に光州を後にした。
 アジアのチームが準決勝に進出を果たし、そして国中をあげてチームの勝利を祝う人々を見る事ができたという事はとても嬉しい事だ。
 しかし同時にスペイン代表チームに対しては主審やラインズマンのとんでもない誤審の犠牲になったと気の毒に思えた。

 最悪の事態は延長戦に入ってすぐに起こった。その日スペインの右ウイングとして素晴らしい働きをしていたホアキンがエンドゾーンすれすれから中へクロスを上げ、それに合わせたフェルナンド・モリエンテスが頭でボールを押し込んだ。
 しかしラインズマンはホアキンがクロスを上げる前にエンドゾーンを割っていたとジャッジした。テレビのビデオリプレイでは明らかにエンドゾーンを割っていなかった上に、ラインズマンにはそれがはっきり見えていた筈であった。一体何故彼は誤審したのだろうか。

 韓国は防戦中にも関わらず、ラインズマンが旗を挙げ、主審が笛を吹くやいなやゴールキーパーの李雲在を含め全員が動きを止めた。一方のモリエンテエスと言えば、もちろん笛は聞こえていたと思うが、それにかまわずヘッドでボールをゴールへ押し込んだ。
 これでスペイン、イタリア、そしてポルトガルが韓国の前に破れ去った。これまで5回の大会、14試合に一度も勝った事のない韓国にである。疑わしいって?

 囁かれている陰謀説とはこうである。

 韓国で行われる試合のチケットの売れ行きは韓国戦を除いて非常に悪い。これは渡航にかかる費用の高さと韓国が遠いという事なのだが、FIFAにとってはワールドカップ熱が冷めないように、そしてこの一大イベントのイメージの崩壊、そして韓国側のオーガナイザーにとっては大赤字を防ぐためにはどうしても韓国に勝ち進んでもらわなければならない。
 韓国が準決勝にすすんだ為、火曜日に行われる準決勝のドイツ戦のチケットは売り切れだ。もし韓国が負けたとしても3位決定戦は土曜日に大邱で行われる。
 仮に準決勝で韓国がドイツに勝ったところで決勝戦のチケットは問題なく売り切れるだろう。そして韓国の快進撃を妬んだ日本人は韓国人に闇でチケットを売って大儲けすると言うのだ。

 ヨーロッパの国々が韓国をトーナメントに残す為の陰謀だと主張しているが、実際には韓国戦のみならず、単に審判員のレベルが低いというのが妥当であろう。
 これはFIFAにとって由々しき問題である。
 日本を3−2でベルギー戦勝利に導いたはずの稲本潤一が完璧なゴールがファールでもないのにファールだったとして取り消した主審も居た。これはホスト国をなるべく残すという陰謀説には明らかに反する。

 史上初めてアジアのチームが準決勝に進出したというのは素晴らしい事だ。
 ただ願わくばこういった疑惑を招くような状況でなければよかったと思う。そうであったならばアジアのサッカーも、そしてアジアで初めて開催されたワールドカップ自体も世界から正当な評価をしてもらえたはずなのだ。

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アジア、ガウチに反撃

2002/06/23(日)

 アジア・サッカーのボス、ピーター・ヴェラパン(アジア・サッカー連盟・事務局長)の言う通りだ。ペルージャなんて、もういらない。

 ヴェラパンのコメントは、ワールドカップのセカンド・ラウンドでペルージャのプレーヤー、アン・ジョンファンがイタリアの脱落を決定づけるゴールを決めたあと、イタリア人のクラブ・オーナー、ルチアーノ・ガウチがした信じられないくらい無軌道な発言についてである。

 ガウチは、6月末で期限切れとなるアンの契約を更新するつもりはなく、ペルージャはアンを保有することには興味がない、と言明した。
「ペルージャに来たとき、彼は哀れな、迷える小羊のようで、サンドイッチを買う金もなかった」とガウチ。
「彼は特別たいした仕事もせずに金持ちになり、それから、ワールドカップでイタリアを破滅させたのである」

 ガウチのコメントに対して、ヴェラパンは激しく反論した。日本や韓国といったアジアの選手が今回のワールドカップでやったように、アジアがヨーロッパに対して立ち向かうのは、良いことだと思う。

 ペルージャがアジアの選手と契約したのは、レプリカ・シャツやテレビ放映権料、それにアジア企業のスポンサー料で金儲けをしたいがためにすぎない、というのがヴェラパンの言い分だ。
 この点に関してはヴェラパンの言う通りであり、アンがペルージャにこだわる理由なんてない。

 昨年10月、私はローマとのサタデーナイト・ゲームを見るためにペルージャを訪れた。
 次の日には、中田英寿が出場するピアチェンツァ戦を見るために、電車でパルマに向かった。

 ペルージャは美しい歴史都市で、ウンブリアの山々の眺めは息をのむほどであった。
 街の窪地にある、ペルージャ・フットボール・クラブは荒廃していた。スタジアムは古くて、オンボロで、選手やオフィシャル、VIP、メディアのための設備は、ひどい有り様だった。
 しかし、クラブは強運に恵まれていた。1998年のワールドカップの後、移籍金330万ドルでベルマーレ平塚から中田を獲得したのである。

 中田は、セリエA初戦のユベントス戦でいきなり2ゴールをあげるという衝撃的なデビューを果たした。最初は日本で、それからアジア各地で、ファンが中田の背番号7の付いたペルージャのユニフォームを先を争って買い求め、日本の観光客は、ローマから電車でわずかの距離にある、ペルージャに大挙押し寄せた。
 1シーズンと半分が過ぎたとき、ペルージャは中田をローマに1,600万ドルで売りに出した。シャツの販売やテレビなどの儲けを別にしても、ペルージャは1,200万ドル以上の利益を得たことになる。

 その後、ペルージャは2匹目のドジョウを狙い、中国では馬明宇と、韓国ではアンと契約を結んだ。
 どちらの契約も、完全移籍ではなく、レンタル移籍だった。大金を費やしたあげく、もしその選手が中田ほど良い選手でなく、売れない選手だとわかった場合にその全額を失うことを、ペルージャが望まなかったからである。

 もちろん、彼らは中田のようにピッチの内外で大ブームをおこすような選手ではなかった。
 アンはペルージャではほとんどの時間をベンチで過ごした。アンの完全移籍契約を結ぶために、ガウチがアンの所属する韓国のクラブ、プサン・アイコンズに400万ドルを支払う気があるとは、私にはどうしても思えない。

 イタリアの敗北は、ペルージャとガウチに宣伝のチャンスを与えた。
 しかし、その結果として、イタリアはまたも敗者になってしまったのである。

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次の日本代表監督は誰だ?

2002/06/21(金)

 日本代表監督としてのトルシエの時代は終わりを告げた。日本サッカー協会の次なる一手はどうなるのだろうか?
 既に巷では空席となる監督の座を巡って色々な名前が取り沙汰されている。

 1998年のワールドカップでフランス代表チームを優勝に導いたエメ・ジャケ氏、初出場のセネガルを率いて今大会で旋風を起こしたフランス人監督ブルーノ・メツ氏、過去5大会に連続してそれぞれ違う国を率いたボラ・ミルチノビッチ氏、そして今や韓国の英雄となったオランダ人監督フース・ヒディンク氏などがそうだ。

 トルシエは自身を評して、若いチームを育てる事に才があるとよく言う。
 この点についてはユースチーム、オリンピック代表チーム、そして日本代表チームを率いた彼の仕事ぶりからよく見てとれる。

 トルシエはユースチームから中田浩二、稲本潤一、小笠原満男、本山雅志、そして高原直泰を代表チームに抜擢し、彼らは将来の日本代表チームを支える強力な礎となるまで成長した。
 そして今、日本が必要としているのはチームを次のレベルに導いてくれる監督だ。

 前述した候補者の内、ヒディンク氏が最適のようにも思えるが、仮に日本サッカー協会が彼に監督就任を依頼したところで実現する可能性は殆どないだろう。
 それこそ、今大会の準備期間からコツコツと積み重ねてきた日韓両国の関係はアッという間に崩壊してしまうに違いない。ヒディンク氏の監督就任はないと言っていいだろう。

 ミルチノビッチ氏は今大会では中国代表チームをセカンドラウンドに導く事ができなかったが、彼は率いるチームをセカンドラウンドに導く術を知っている。日本は彼を高く評価するべきだろう。
 ジャケ氏はトルシエよりも年長で、さらに思慮深く、そして温厚であり日本サッカー協会が最も切望している一人である。トルシエが実績を挙げ、サポーター達の人気を得るまで何かと衝突を繰り返してきた日本サッカー協会にとってはジャケ氏はずっと扱いやすいだろう。
 メツ氏はアフリカ諸国の代表監督を務め、さすらい者、異端児と称される所などはトルシエとよく似ている。
 ただ、近年メツ氏はセネガル人女性と結婚し、アブドゥル・カリーム・メツと現地名まで持っている。彼にとって、今やアフリカが母国になってしまったのかもしれない。

 現時点ではジャケ氏が最有力であろう。
 しかし、誰が最適であるかと問われれば、それは間違いなくヒディンク氏だろう。

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最後まで不可解だった、トルシエ

2002/06/19(水)

 日本のワールドカップは、終わった。
 そして、なにかと物議を醸しながらも結果を残した代表監督、フィリップ・トルシエの職務も終わった。

 フランス人監督は選手起用でいつも人々を驚かせてきた。選手の取捨選択では、わざとエキセントリックに振る舞おうとしているのではないかと思えるときもあったくらいだ。
  この点においては、彼は以前と変わらず予測不可能であり、セカンド・ラウンドのトルコ戦での1−0の敗戦には、どうしても後悔の気持ちが残ってしまう。

 グループ・リーグの3試合では、トルシエは3−5−2のフォーメーションを採用し、鹿島アントラーズのコンビである、鈴木隆行と柳沢敦をトップに配していた。
 二人のストライカーは、初戦のベルギー戦での鈴木の同点弾1ゴールしか記録できなかったが、コンビとしての連携は良く、力強いランニングとボールから離れた位置での仕事ぶりにより、相手ディフェンダーに手を焼かせていた。

 それゆえに、トルコ戦でトルシエが二人を先発から外したときには奇妙な感じがしたものである。これは、自分のチームことを考えるより、相手のチームを警戒するほうに、トルシエの心が動いたからだろう。トルコはアントラーズ・コンビを徹底的に研究しているとトルシエは踏んだのに違いない。
 そして、トルシエは西沢明訓とブラジルから日本に帰化した、アレッサンドロ・“アレックス”・ドスサントスを先発に起用した。

 不可解であった。
 西沢はグループ・リーグの3試合ではまったく出場していなかったし、アレックスはトルシエの5人のミッドフィールダーのうちの1人として左サイドで起用されたことがあるだけで、日本代表のストライカーとしてプレーしたことはなかった。
 この選手起用を考えると、日本をセカンド・ラウンドに導いたやり方を貫く代わりに、トルシエはトルコの機先を制することを優先したのである。

 西沢は感情の起伏の激しい選手で、チーム・プレーを怠ったり、集中を欠くことがよくある。実際、彼は前の代表監督、岡田武史に代表候補合宿からの帰宅を命じられたこともある。やる気がないというのが、その理由だった。
 驚くことに、トルシエはおよそ彼らしくないくらい西沢に執着してきた。しかし、西沢は、スペインのエスパニョールに続き、イングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズでも散々な失敗をしてきた。鈴木と柳沢の2人のほうが信頼できるし、チームの一員としてうまく機能することができるだろう。

 アレックスは左足のフリーキックでボールをゴールの角にぶつけたし、西沢は後半の開始早々にシュートを2本打ち、1本はヘディング・シュートでキーパーの正面に飛び、もう1本はバーのはるか上を越えたが、日本はグループ・リーグを席巻してトップに立ったときのような勢いとリズムを失っていた。

 さらに、トルシエはどうして試合終了5分前まで、森島寛晃をベンチに置いていたのだろう?
 精力的に動き回る、小柄なストライカーは、チュニジア戦では日本の流れを変える働きをしたのに、またもベンチに座らされたままでは、かなりフラストレーションを感じていたに違いない。
 トルコ戦では、日本でのできが良くなかったのは残念だが、その原因がトルシエの変心にあるのは確かである。

 トルシエは日本代表の監督としてとても良くやってきた。しかし、実績があって、信頼もできるラインアップでゲームに臨んでいれば、トルコには勝てたのではないかという気持ちも残る。
 フランス人監督は、こんな形で代表監督の職務を終えるべきではなかった。

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「ヒディンク症候群」に溢れる韓国

2002/06/17(月)

 日本ではトルシエ株が急上昇しているらしい。しかし、韓国でのフース・ヒディンクのそれには比べるまでもない。
 いまや韓国全土のあらゆる新聞、そしてテレビにこのオランダ人監督の現れない日はないとさえ思える。
 彼は韓国代表チームをワールドカップ史上初の勝利、そしてさらにはベスト16に導いた。そしてそれは、韓国の人々にとって単なるスポーツでの成功ではないのだ。
 彼らが過去のワールドカップで背負ってきたコンプレックスを吹き飛ばし、韓国に国家の威信と誇りを取り戻してくれたのだ。

 例えば、英字新聞の「Korean Times」日曜版の社説欄に目を通してみると、「世界の他の国の人々には、200万人以上もの人々が街に溢れ大スクリーンの前で心を一つにし、熱狂的に代表チームを応援している様子が想像できるだろうか」
「代表チームの偉業は単にサッカーでの勝利というだけでなく、我々の国際的威信と国民の自信と士気を世界に示すことなのだ」
 この力に溢れた言葉は、まぎれもなくこれまで5回のワールドカップに出場し引き分け4、敗戦10のあの韓国から発せられた言葉なのだ。
 まさに韓国は「ヒディンク症候群」で溢れている。

 国民の中には、韓国代表がポーランド代表相手に歴史的な勝利をおさめた6月4日を祭日にしようとする声もあり、またその会場だった釜山スタジアムを「釜山ヒディンクスタジアム」と改称するという報道もあった。
 いまや彼は韓国全土、全ての女性の憧れの男性となり、街には「ヒディンク人形」やTシャツがいたるところで売られている。

 思えば、ヒディンクが解雇の危機にさらされたのはそれほど昔の話ではない。
 今年初めにロサンゼルスで行われた北中米カリブ海サッカー連盟のゴールドカップで韓国代表は散々な成績だった。そして韓国メディアのほとんどが代表監督の解雇を叫んだのだ。そう、まるでトルシエが日本のメディアの総攻撃を受けた2002年春のように。

 しかし、この2人の監督は地道にしかし確固とした歩みでチームを率いてきた。
 選手達に自己表現力と自信を持ち、ポジティブであれと指導する以前にそれぞれの文化をも相手に戦わなければならなかった彼らの道は険しいものだっただろう。
 いまや、国民、選手のみならず、あれだけ批判を繰り広げていたメディアまでがヒディンンクやトルシエは間違っていなかったと言う。

 ワールドカップが白熱していく中、この二つの共催国がたとえ敗れ去ったとしてもこの極東の国々にとってはすべてが始まったばかりなのだ。

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日本の終わりなき物語

2002/06/16(日)

 ワールドカップでの日本の冒険は、グループHを見事勝ち抜き、いよいよ3週目に入る。
 青のユニフォームに身を包んだフィリップ・トルシエのチームは、金曜日に大阪で行われたチュニジア戦で引き分けてもベスト16進出が可能だったが、勝ちに行くだろうというのが大方の予想であった。
 そして日本は、先週の土曜日にロシアを破り、ワールドカップでの歴史的初勝利を果した試合に勝るとも劣らないパフォーマンスを発揮した。

 大阪の陽射しのなか、日本の選手たちはピッチを縦横に駆け回り、うだるような暑さの後半戦、アフリカのチームを粉砕したのである。
 次の試合は、火曜日の午後、仙台近郊の宮城スタジアムでのトルコ戦だが、わずか2回のワールドカップ出場で日本がさらに先のステージに進出することも充分考えられる。

 トルコは、グループCでの立ち上がりがあまりよくなく、まったく望みのない中国をなんとか3−0で破り、コスタリカを抜いてグループ2位の座を確保した。
 日本がトルコを怖れる理由はなにもない。トルコは、地区予選のグループでスウェーデンに次いで2位となり、ホーム・アンド・アウェイのヨーロッパのプレーオフで、弱体のオーストリアを破ってようやく本大会出場を決めたチームなのである。
 また日本戦では、トルコは、エムレアシクとエムレベロゾールの2人が出場できない。一方の日本は、ベスト・メンバーでゲームに臨むことが可能である。

 日本は5人の選手—稲本潤一、中田浩二、宮本恒靖、戸田和幸と控えのストライカー、中山雅史—が前の2試合でそれぞれ1枚ずつイエロー・カードをもらっており、チュニジア戦で2枚目のカードをもらえばセカンド・ラウンドの次の試合が出場停止になるところであった。
 しかし、だれもカードをもらわないようにプレーしたこと、とくにディフェンダーの中田と宮本、激しいタックルの中盤のコンビ、戸田と稲本がカードをもらわないようにプレーしたことに、日本チームの規律の高さが表れている。

 日本とトルコは過去に1度だけ対戦をしている。1997年6月15日、毎年行われるキリンカップの大阪での試合で、日本は森島寛晃のゴールにより1−0でトルコを破っている。
 その時と同じ選手が、チュニジア戦の後半開始から交替で入り、48分に先取点をあげたわけである。先発メンバーには入れなくても、森島は現在もトルシエが好み、もっとも信頼する選手である。
 森島はつねに利発で、精力的で、守備をディフェンダー任せにはしない。ゴールを奪う感覚も持っており、自身の所属クラブであるセレッソ大阪のホーム・グラウンドで行われたチュニジア戦では、素早い反応で右足のきれいなシュートをゴールネットに叩き込んだ。

 どの試合でも、トルシエは、柳沢敦、鈴木隆行という2人のストライカーを起用し、中盤から中田英寿がサポートするという形をとってきたが、専門家の多くは、日本は1人のストライカーを2人のミッドフィールダーがサポートする形のほうが良いのではないかと感じている。
 この戦術は、チュニジア戦の後半ではものの見事に当たった。このときは、鈴木がいつもの位置にいて、中田と森島が下った位置から相手を攻めるというものであった。
 トルシエがストライカーを2人配した場合には、中盤で中田の仕事が多くなりすぎることがよくあったのだが、森島が入ると、中田の負担がかなり軽減されるのである。

  その中田はチュニジアに大きく立ちはだかり、後半では見事なヘディング・シュートを決め、MVPを受賞した。
 ゴールを決めた後、中田は、右からクロスのボールを出した市川大祐に左手で投げキッスを送った。
 84分に中田が交替でピッチから下がるとき、チームメートたちは次々と中田の手を握った。
 タッチラインのトルシエも同様で、ダッグアウトに向かう中田の背を親しげに叩いた。

 青の熱病は日本中に広まった。トルシエの言うように、ワールドカップの3試合で彼のチームは「ダイナミックな勢い」を得たのである。
 そして、火曜日にトルコを破るのに必要なのは、その勢いなのである。

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日本よ、気を抜くのは早い!

2002/06/14(金)

 日本は金曜日の午後、大阪長居スタジアムで行われるグループHの最終戦でチュニジアにたとえ負けたとしてもセカンドラウンドに進出できるチャンスが残っている。
 だからといってまだ気を抜くのは早すぎる。

 日曜日の対ロシア戦、歴史的な勝利の後、日本はヨーロッパ勢、北アフリカのライバル達を押しのけてグループの首位にたった。
 現在のグループHの状況はと言うと、日本は勝ち点4、得失点差は+1である。
 ロシアは勝ち点3、得失点差は+1だが総得点数で日本より1点少ない。
 ベルギーは勝ち点2,得失点差は0、そしてチュニジアは勝ち点1、得失点差は−2だ。

 数字的には日本にとっては非常に単純な事である。
 次戦でチュニジアを破れば勝ち点7でセカンドラウンド進出である。
 仮に引き分けであっても勝ち点5でやはりセカンドラウンド進出だ。
 さらに0−1で破れたとしても、静岡で行われるベルギー対ロシア戦の結果如何に関わらずセカンドラウンドの進出が決まる。なぜなら、チュニジアと勝ち点4同士で並んだとしても得失点差でチュニジアの成績を上回るからだ。

 それでは日本は次戦をいかに闘うべきか?
 慎重に引き分け狙いでいくのか、それともあくまで勝ちを狙っていくのか?

 諸条件を検討するとどうやら勝ちを狙っていく事になるだろう。日本としてはグループ首位になる事によってセカンドラウンド初戦でグループC首位が決定しているブラジルと対戦する事を避けたいからだ。

 日本代表のレプリカユニフォームがアディダスから発売されているが、当初の販売目標である70万着の半数近くの30万着がここ2週間で飛ぶように売れたらしい。それほど今やサポーター達がフィリップ・トルシエ率いる日本代表チームに夢中になっていると言う事だ。
 まさに対ロシア戦、1−0の勝利の後はニッポンフィーバーが列島を席巻している。
 日本中が勝利に浮かれ、金曜日のチュニジア戦を待ちきれないといった様子である。

 日本はチームキャプテンであり、ディフェンスの要、森岡隆三を怪我の為に欠いていたにもかかわらずロシアを破った。
 鼻骨骨折の為バットマンのマスクのようなプロテクターを付けた宮本恒靖が、タイミングの良いタックルとパスカットで森岡の穴を見事に埋めた。
 チュニジア戦では森岡が怪我から回復したとしてもトルシエは自信をつけた宮本を先発させる事になるだろう。
 宮本はスピードの無さを補って余りある頭脳を持っている。

 しかし仮にトルシエが先発メンバーの変更をするとすれば、それは小野伸二の代わりに三都主アレサンドロ(アレックス)を起用する事だろう。
 アレックスはスピードに溢れる左サイドウィングで、トルシエにとって彼のスピードとドリブルでの突破力はチュニジアのディフェンスを崩すのに非常に有効であると感じているだろう。一方の小野は長いヨーロッパでのシーズンを終え疲れ切っているようだ。

 日本中の熱い応援とここまでの彼らの活躍を目の当たりにした世界中の人々の期待を背に日本代表チームはきっと最後のハードルも超える事ができると私は確信している。

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日本が本当に認められた日

2002/06/11(火)

日本サッカー最高の夜!
 ロシアを見事1-0で破った試合の戦術やスタイルの見事さだけを言っているのではない。横浜国際競技場のファンタスティックな雰囲気だけを言っているのでもない。日本人のファンが夜遅くまで勝利を祝ったことを言っているのである。

全てはゲームのため
 勝たなければセカンドラウンド進出が難しくなる日本は、過去4年間フィリップ・トルシエが育んできた結束力を見せ、強敵ロシアを破った。

稲本潤一、またも殊勲のゴール
 2-2で引き分けたベルギー戦では、稲本は強引な走りでベルギー・ディフェンスを突破し、左足の強烈なシュートをゴールネットに叩き込んだ。
 今回の試合の51分、稲本は長い距離を走り前線に辿り着いた。中田浩二が左サイドからペナルティー・エリアに供給したボールに対して、柳沢が絶妙のタッチで稲本にボールを流す。
 オフサイドの疑いもあったが、稲本が右足で冷静にシュートしたボールは、ロシアのゴールーキーパー、ルスラン・ニグマトゥリンの横をすり抜けた。
 過去1年間をアーセナルの練習場で過ごし、時折ベンチに入るだけで、アーセン・ベンゲルからプレミア・リーグでプレーするチャンスを与えられなかった稲本は、自分をアピールしたい若手選手のようなプレーを見せた。

ついに、サッカーの虜
 ワールドカップでの日本の初勝利は、実際にはチームワークの勝利であった。
 4年前のフランスでは、日本は3戦全敗を喫し、今回の緒戦はベルギーとドロー。
 いわば、勝利は論理的帰結であったわけだが、現在、日本はセカンドラウンドに進出する公算が高い。ファーストラウンドで残っているのは、金曜日大阪で行われる、チュニジア戦のみ。チュニジアはグループHの4チームのなかでいちばん弱いと見られている。

 スタジアムの雰囲気は信じられないくらいであった。6万6千人以上のファンがほとんど全て、青を着ていたのである。
 試合後、スタジアムから新横浜駅までの道筋では思いがけない光景が展開されていた。
 羽目を外さないことで知られる日本人が、感情をほとばしらせ、南米でよく見られるような国民的自尊心をあらわにしていたのである。
 自動車のドライバーがクラクションを鳴らしながら、日の丸を窓から出して振っている。サポーターのグループが路上で応援歌を歌い、ビールをまき散らしている。知らないもの同士が抱きあい、ハイタッチをしている。

 私は道路沿いのバーで、数人の同僚とともにこの光景を間近に見ていた。我々がイギリス人だとわかると、日本のサポーターたちは、「ベッカム! ベッカム!」と連呼し始めた。
 我々は、「イナモト! イナモト!」と応えた。

ワールドカップ・パーティーへようこそ、日本
 やって来たのは遅かったけど、今日から君たちも大切なゲストだ。

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イングランド・ファンも変らなきゃ

2002/06/10(月)

 今回のワールドカップでは、ドキッとすることやビックリすることがいくつかある。
 おそらく、そのなかでも最大のものは、イングランド・サポーターの振る舞いだろう。
 彼らは見事である。数の多さでも、醸し出す雰囲気でも、全来訪国のなかで最高である。

 12月1日のプサンでワールドカップの抽選会が行われ、イングランドが日本でプレーすることが決まってからというもの、日本のメディアはフーリガンの話題でもちきりだった。
 大げさに煽り立てるばかりで、そこに内包される問題を理解しようともしない日本のメディアは、普通の日本人を心底怖れさせてくれた。
 そのような観点から見れば、メディアはがっかりし、人々は困惑し、同時に喜びもした。

 金曜日の夜、札幌ドームでのイングランド・アルゼンチン戦のあと、私は2時間ほど繁華街を散歩してみた。
 その光景は、信じられなかった。
 バス停からホテルに向かって歩いていると、遠くの方から大騒ぎの声が聞こえてきた。
「やれやれ」と私は思った。「イングランドのファンが集まって、騒いでいるんだ」
 飛び跳ねて騒いでいる群衆に近づいてみると、ほとんどが日本人であったので、私はほっとした。

 札幌ドームでは、3万5千人の観客のうちの1万人がイングランドのファンで、応援のすこしずつ熱気を帯びていった。
 しかし、ベッカムやオーウェンのユニフォームを着た日本人のファンも1万人くらいいて、イングランドの応援歌に合わせて、礼儀正しく手を叩いていた。
 件の繁華街で、大声を出しているのは日本人の若者たちである。
 若者たちはあちこちで飛び跳ね、歌を歌い、楽しんでいた。イングランドのファンはちょうど彼らの輪の中にいる。イングランドのファンが日本人と一緒に歌い、声援は「イングランド」から「ニッポン」に変った。
 すでに午前3時であったが、街路はファンと、勝利を祝う様子を見物する地元の人たちで一杯になっていた。

 心配そうにしているのは、地元の警察だけであった。警察の挑戦的な態度には、まさに寛容さと忍耐が必要であった。
 警察はファンのグループを取り囲み、懐中電灯を高く振りかざして、盛り上がっている人々を狭いエリアに閉じこめようとしていた。彼らがパニックに陥っているのは、目を見ればわかった。
 つまり、自国の若者たちがその感情をほとばしらせ、彼らにとっては脅威でしかないイングランドのファンと一緒に勝利を祝っているのを見るのは、警察にとっては、相当なワールドカップ・ショックであったわけだ。

 日本への旅費と付随する滞在費、それに英国政府が犯罪歴のあるトラブル・メーカー1000人以上に対して、ワールドカップ期間中の出国を許さないという対策をとったことが、それぞれフーリガンを遠ざける効果をもたらした。
 同時に、イングランドのファンも自主的なルールを作り、パーティーを台なしにするような連中は相手にしないようにしている。

 今後の3週間、ピッチではなにが起きるかわからないが、札幌での光景は、いつまでも素敵な思い出となって残るだろう。イングランドが国外でプレーするときはいつもこうであって欲しいし、これが新しい、脱フーリガン時代の幕開けとなればいいと思う。

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白熱してきたワールドカップ

2002/06/10(月)

 大会前から今回のワールドカップは複数の優勝候補が挙げられていた。
 メディアも観衆も次に何が起こるかわからない、まさに大会前の評判通りになってきた。

 前大会覇者のフランスは開幕戦でセネガルに1−0で破れ、ウルグアイ引き分けに終わり、今やセカンドラウンドに進出できないかもしれないというピンチにたたされている。

 アルゼンチンはさい先良く初戦のナイジェリアを1−0で下したものの、次戦は65%ものボールキープ率を上げたにもかかわらず、試合は0−1でイングランドに破れた。

 イタリアも初戦はクリスチャン・ビエリの2ゴールで快勝した。そして次戦、対クロアチア戦の後半でビエリの今大会3得点目のゴールが決まった時は誰の目にもイタリアが連勝する事は間違いないように見えた。
 しかし、クロアチアは素晴らしい粘りを見せ、3分の間に2ゴールを決め2−1の逆転で勝利を得た。何千人ものアズーリブルーを身にまとい、セリエAのスーパースター達を見に来た日本人達は試合に負けたイタリアの選手以上に呆然とし、あるいは当惑しながらスタジアムを後にした。

 いわゆるサッカー大国の中では予選で18試合でたった6試合しか勝てなかった程の絶不調だったブラジルだけがトルコ、中国相手に唯一2戦全勝である。この2勝が彼らに与えた自信は一躍彼らを優勝候補筆頭にあげた。

 同じ事がスペインにも言える。パラグアイに3−1で逆転勝ちを納めた彼らも2勝全勝である。ようやく彼らにもワールドカップを制する時が来たのだろうか。

 ダークホース的に見られていたポルトガルはアメリカに2−3で破れてしまった。

 サッカー大国がひしめくヨーロッパや南アメリカから遠く離れた極東の地が開催国である事、そして暑さと湿気は各チーム間の実力差をぐんと縮め、まさにそれらが白熱したワールドカップを演出しているようだ。

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アメリカの勝利は番狂わせなのか?

2002/06/08(土)

 アメリカがポルトガル戦に3−2のスコアで勝利を得た事には確かに驚いた。
 しかしそれがワールドカップ史上に残るほどの大番狂わせだったとは私には思えない。
 多くのメディアがアメリカの勝利をワールドカップ開幕戦、セネガルがフランスを下した大番狂わせに匹敵するかのような報道をしている。
 しかし私はどうしてもそう思う事ができない。
 理由はいくつかある。

 最初にセネガルのフランス戦1−0の勝利はもちろんワールドカップ史上に残る大番狂わせだ。なぜなら、セネガルにとっては初出場、初試合だったし、一方フランスは前大会の覇者だからだ。
 この一事だけでワールドカップ史上に刻まれる大番狂わせに値する。セネガルがフランスの植民地であった事、また彼らの監督はフランス人だという事実がまた興を誘う。

 さて、一方のアメリカ対ポルトガル戦に目を向けてみよう。
 アメリカはこれまで6回のワールドカップに出場し、1930年には準決勝進出を果たし、1950年には1−0であのイングランドに勝っている(この試合は1966年に北朝鮮がイタリアを破った試合に継ぐ大番狂わせとされている)。
 しかも1990年のイタリア大会から4大会連続でワールドカップに出場しているのだ。
 したがって、アメリカは多くの人が考えているほどワールドカップ新参者ではない。しかも彼らの中心選手の多くは長年にわたってヨーロッパでプレーしているのだ。

 一方ポルトガルと言えば、我々はもちろん個々の有名な選手、ルイス・フィーゴ、ルイ・コスタ、そしてフェルナンド・コートなどはよく知っている。
 しかしチームとしてのワールドカップでの成績はどうだろう。
 今回はたかだか3回目の出場で、しかも1986年以来の出場なのだ。
 すなわち、ポルトガルが出場できないでいた過去3大会でアメリカは勝てないまでも貴重な経験を積んできたのだ。

 前半終了時点でアメリカが3−0と大きくリードしている事は確かにショッキングであったし、実際3−2と勝利を得た事は驚きであった。
 しかし、ポルトガルの有名主力選手達の存在がチーム力を実際以上に見せ、結果としてそれが敗戦を大げさに見せているだけだろう。
 ユーロ2000大会では準決勝でフランスに延長戦の末サドンデスPKで破れたのだが、考えてみると彼らはチームのピークを早く迎えすぎたのかもしれない。

 ただ、次回、いや次々回のワールドカップではアメリカ3、ポルトガル2の試合結果は今大会のセネガルの大番狂わせほどではないにしても、番狂わせだと見られるのかもしれない。

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クロアチアの凋落

2002/06/06(木)

 4年前のフランス、ワールドカップ初出場のクロアチアが3位になったときには、だれもが驚いた。
 しかし、月曜日の午後、新潟でのメキシコ戦に1−0で敗れたときには、だれもまったく驚きはしなかった。

 ロベルト・プロシネチキ、ダボル・シュケル、アレン・ボクシッチと、クロアチア代表にはおなじみの名前が揃っていたが、さて、これらスター・アタッカーたちの生年月日はご存知だろうか。

 ワールドカップ・フランス大会で6点をあげ、得点王となったシュケルは、日本に苦杯を舐めさせた選手でもあるのだが、現在は34歳で、チームのキャプテンである。
 月曜日、シュケルは試合の開始早々に積極的に左足でボレー・シュートを打ったが、見せ場はそれだけで、64分には交替させられてしまった。
 プロシネチキは33歳。柔らかいボールタッチから生まれる技術は健在だが、中盤での動きが緩慢で、何本かのコーナーキックとフリーキックを無駄にしてしまった。プロシネチキはハーフタイムで交替。
 前回のワールドカップを故障で棒にふったボクシッチは、32歳にして攻撃陣の「最年少」であったが、まったく見せ場はなく、67分に交替した。

 メキシコが自分たちに敬意を払うとクロアチアが思っていたのなら、それは勘違いというものだ。
 クロアチアがボールを持つたびにメキシコのファンはひっきりなしに口笛を鳴らし、プレーが上手くいかなくなるたびに騒々しいヤジを飛ばした。

 初夏の美しい陽光のなかにいる、約6千人のメキシコのファンの姿は、新潟のビッグスワン・スタジアムでは素敵に目立っていた。
 彼らは早朝から東京発の新幹線に次々と乗り込み、巨大なソンブレロ、太鼓、笛、オモチャの木の楽器と歌とテキーラで車内を占領していた。90分間、彼らの素晴らしい声援は途切れることがなかった。
 「オーレ! オーレ!」メキシコが自在にボールを回し始めると、この声援が続いた。まだ試合開始から5分しか経っていないのに!

 暑さと湿度のなか、クロアチアは年老いて、疲労しているように見えた。前のワールドカップでの見事なプレーは見る影もなかった。
 クロアチアの次の相手はイタリアである。そして、2度負けてしまえばセカンドラウンド進出は事実上不可能となる。
 今回、クロアチアが早々と帰国することになっても驚く人はいないだろう。

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日本中が待ち焦がれた日

2002/06/04(火)

 さいたまスタジアムでベルギーと対戦する火曜日の夜、日本中が味わってきた鬱憤がようやくとける。
 1998年、日本代表は史上初めてワールドカップ出場を果たしたものの、楽勝かと思われたジャマイカ戦を含めて3戦に全敗し失意のうちにフランスより帰国した。
 ワールドカップ出場の経験もないサッカー後進国としては多大過ぎる程の期待を持っていた日本人にとっては受け入れがたい現実であった。

 日本代表監督フィリップ・トルシエと代表チームは、トルシエが作戦面、技術面そして戦略面での準備は完了したと語った昨年末から来るべきワールドカップ初戦に備えて来た。
 そしてその時点で23人の代表候補のうち欠けていた1〜2つのポジションについても既に決まった。

  日本代表キャンプは非常に明るく選手達も火曜日の夜に満員のさいたまスタジアムのピッチに出るのが待ちきれないといった様子だ。
 チームは調子も雰囲気も申し分ない。そして中田英寿をはじめチームの柱となるべきMF達も好調である。
 パルマでの不調を乗り越え中田は今や彼のキャリアの絶頂期を迎えようとしている。そしてチームの攻撃力の柱という重責を果たそうとしている。

 小野伸二はフェイエノールトで素晴らしいルーキーシーズンを過ごしてきたし、一方稲本潤一もベンチに居ながらも大きな成長を見せてきた。
 特に稲本はガンナーズではほとんど試合に出る機会がなかったとは言え、トップクラスの選手達との練習で多くの事を学んだ筈で、アーセナルでの将来を確固としたものにする為にもワールドカップでは張り切ってプレーする事だろう。

 怪我で大幅な戦力ダウンを余儀なくされているベルギーに日本は勝つこともできるだろう。
 ただ、ベルギーは6大会連続でワールドカップ出場を果たしているし、1986年には準決勝進出も果たしている。そう楽観できる事ではないと言う事は選手達もよくわかっているはずだ。
 初戦に勝つ事ができればそれこそ国中が熱狂の渦になるが、それ以上に重要な事は負けないと言う事だ。負けると6月9日のロシア戦で大きなプレッシャーを受ける事になってしまう。
 引き分けで良しとする事を選手達もファンも覚えておく事が重要だ。ファーストラウンドの3試合の初戦で統制と冷静さを失うわけにいかないのだ。

 この試合についてはテレビの瞬間最大視聴率の記録を作るだろうと言われている。最大で70%とそれこそ国中の殆どの人がテレビを見る事になるのではないか。
ニッポンフィーバーが列島を揺らす事になるだろう。

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お祭り気分のサッカー界と世界の現実

2002/06/03(月)

 ワールドカップでの楽しみの一つはサッカーのみならず、会場に集まる有名人が多い事だ。
特に我々サッカーレポーターにとっては、お菓子屋で子供が次に何を買おうかと迷っている状態そのものだ。

 先日行われたFIFA総会でも懐かしい顔を見る事ができた。ユーゴスラビア代表として2回のワールドカップ出場歴を持ち、37歳にして現ユーゴスラビアサッカー協会会長、ドラガン・ストイコビッチである。

「現役時代は選手としてサッカーを考え、プレーする事が僕の仕事だったんだ」FIFA会長選挙についてストイコビッチは「でも今は政治をやってるみたいでどうも勝手が違う」と語った。

 選手の頃も一旦ピッチを出ると人なつっこく愉快であったが今もそれは変わらず、どこの国が優勝するかと尋ねられた彼は「周りではナンバーワンだとかチャンピオンだとか言ってフランスが優勝候補だと言っているけれど、誰もブラジルには注目していないみたいだね」「でもねこれだけは言っておきたいんだけど、ブラジルは素晴らしいチームだよ。きっとチャンスだと思うよ」と語った。

 また5月中旬にモスクワで行われたトーナメントでユーゴスラビアと対戦したロシアを見て、日本は十分にセカンドラウンドに進出できるはずだと語った。
「ロシアはあまり状態が良くない。たしかに良いチームではあるけど強いという程ではないね。だから日本はきっとセカンドラウンドに進めると思うよ」
 また日本のキープレヤーは中田英寿、小野伸二、そして鈴木隆行だと語った。
「特に鈴木が良いね」と多少のお世辞も込めてそう言った。

 翌日は、かの皇帝フランツ・ベッケンバウアーが主賓として来るというのでマクドナルド主催の式典に出かけてみた。
彼のスマートで均整のとれた身体にはジャンクフードは似つかわしくないが、それはともかくとしてベッケンバウアーには不満に思っていることがあるようだ。

 それはもちろんビッグマックについてではなく、試合数の多さについてである。
「ジダンやフィーゴの所属するレアル・マドリードなどはシーズンに70〜80試合もするのです」かつてのドイツの英雄はそう語った。
「どう考えても多すぎるし、彼らも疲れているはずです。疲労が蓄積していけばそれだけ怪我をするリスクも大きくなりますし、それは非常に問題だと思います。試合数は減らさなければなりません。単純な事なのです」

 その後、ユニセフとFIFAが共同で開いた記者会見にはイギリス人の俳優ロジャー・ムーア(ある年代以上の人にはジェームス・ボンドと言った方がわかりやすいだろう。
また彼のスウェーデン人の奥方はイングランド代表監督のスヴェン・ゴラン・エリクソン監督と同郷らしい)が参加していた。
ムーアはユニセフ大使としてワールドカップに関わる数字にちなんでこう語った。

「皆さん、ワールドカップが開催されている30日間という間には100万人の子供達が戦争、飢饉、そして伝染病で死んでいくのです。そして90分間では540人がHIVに感染し85人がエイズで亡くなります。また400人の子供達が親を失うのです」

 ワールドカップのお祭り気分でビッグマックを頬張り、バドワイザーを流し込んでいた我々には衝撃的な話ではあった。
 レッドカードをくらったとか左足を骨折すといった事に我々は一喜一憂していたがそれは悲劇というにはほど遠いものだったようだ。

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