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2002年5月

小野はさらに大きくなる

2002/05/30(木)

 オランダ・リーグの歴戦の勇者、アーニー・スチュワートは、フェイエノールトのミッドフィールダー、小野伸二はロッテルダムのクラブで見事なデビュー・シーズンを送ったあとも、ヨーロッパでさらに大きくなれると信じている。

 33歳のアメリカ代表選手は、1994年と1998年の大会に続き、韓日共催の大会で3度目のワールドカップ出場である。
 そして、彼は小野のことを、これまで対戦してきたなかでもっとも才能に恵まれた選手の一人であると感じている。

 「試合中に、その実践テクニックのすごさに感心するような選手にはそうしょっちゅうは出会わないものさ」と言うスチュワートは、現在オランダ・リーグのNACブレダに在籍している。
 「たとえば、ボール扱いの巧さ。小野は、それを左足でも、右足でもできるんだぜ・・・見ていて楽しいと思うときもあるぐらいだよ。
 「小野はフェイエノールトで素晴らしいシーズンをおくった。UEFAカップで優勝したし、おそらく今シーズンのオランダ・リーグで活躍した選手の一人に数えられるだろう」

 22歳の小野は昨年の夏に浦和レッズからフェイエノールトに移籍し、自身2度目のワールドカップ出場である。
 もっとも、4年前のフランス大会は、日本代表の3戦目であり、最終戦であったジャマイカ戦に、小野は交替で登場し、最後の12分間プレーしただけであった。

 最終的には小野はスペインやイタリア、イングランドなどのヨーロッパのトップ・リーグに移ることができるだろうかと質問されたスチュワートは、こう答えた。
「小野は、間違いなくキャリア・アップできる選手だ」
 「今でもハイ・レベルのプレーヤーだけど、まちがいなく、もうワン・ランクは成長できる選手だよ」

 アメリカ代表で80試合に出場し、15ゴールをあげたスチュワートは、1988年7月、VVVフェンローでオランダ・リーグでのキャリアをスタートさせ、ブレダ入団前にはビーレムⅡチルブルグでもプレーした。

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最終調整、是が非でも勝ちたいトルシエ

2002/05/27(月)

 テスト期間は終わり代表メンバー選考も終わった。そしていよいよフィリップ・トルシエと日本代表チームにとって本腰を入れる時が来た。
 目標はズバリ試合に勝つ事だ。

 今週土曜夜には6月4日にさいたまスタジアムで行われるH組第一戦、対ベルギー戦を控えた最後の調整とも言えるスウェーデン戦が行われる。
 スウェーデンとの親善試合は5月17日に行われた代表チームメンバー発表以来初の試合となる。
 トルシエの事だからベストメンバーを先発させてくる筈だ。

 ゴールキーパーのポジションについては、最近では楢崎正剛が代表チームで良い働きをしている。しかしこうした大舞台の経験が豊富な川口能活が正キーパーのポジションを得るだろう。
 トルシエのフラット3ディフェンスには故障から戻った森岡隆三が必要となるはずだ。彼は今年にはいってからハムストリング・ストレインの為すべての試合に欠場していたが、トルシエは彼を対ベルギー戦の為に温存するか、それとも多少のリスクは覚悟して対スウェーデン戦に出場させるか決断しなくてはならないだろう。
 右サイドに松田直樹、左サイドに中田浩二を従えて森岡が出場する可能性は高いと思う。 ミッドフィールドの右サイドには市川大介、そして左サイドに小野伸二をトルシエは先発させるだろう。そして守備的ボランチには戸田和幸と稲本潤一がくるだろう。
 戸田と稲本が司令塔の中田英寿をサポートする事になる。
 現時点での日本代表チームの問題点はフォワード達の調子が今一つであるという事だ。 トルシエは信頼厚い鹿島アントラーズの柳沢敦と鈴木隆行のコンビを先発させるだろう。そして控えには残り数分といった場面で力を発揮する西沢明訓と中山雅史の二人だ。

 スウェーデン戦は厳しいものとなるだろう。しかしそれは日本代表にとっては対ベルギー戦の為の申し分のない調整となるはずだ。
 今月初めのヨーロッパ遠征で、レアル・マドリードの2軍相手に1−0で破れ、ノルウェーに3−0で叩きのめされた日本代表は一日でも早く自信を取り戻さなくてはならない。そしてその為にはとにかく勝つ事が必要だ。

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素晴らしい藤枝市のもてなし

2002/05/23(木)

 日曜日、静岡県の小さな町はワールドカップの熱気で溢れ、躍動していた。

 藤枝市は、セネガル代表の受け入れ先である。初めてのワールドカップを戦う韓国に渡るまで、セネガル代表はこの藤枝市で過ごすのだが、その風景は絵はがきのように美しい。
 小さなスタジアムは森とお茶の段々畑に囲まれており、車やタクシー、バスの駐車場からスタジアムへ行くのにも、かなりの坂を上らなければならない。

 スタジアム内部の雰囲気は友好的で、セネガルの「心優しきライオンたち」とJリーグの柏レイソルの練習試合であるのに、まるで夏のカーニバルのようであった。
 片方のゴールの裏では、セネガル人の小グループが、代表チームと同じ明るい緑、黄色、オレンジ色の衣装でアフリカン・ボンゴを叩き、90分間ひっきりなしにビートを刻んでいた。その回りには、地元のクラブである清水エスパルスのファンも駆けつけ、Jリーグのライバルと戦うライオンたちを応援していた。

 スタジアムのもう一方の側では、我らがチームを追いかけ千葉県からやって来た、黄色いシャツのレイソル・ファンが、いつもより控えめな態度で集まっていた。人数が少なかったし、会場の雰囲気ものんびりしていたからだろう。
 試合は両チームとも無得点で終わったが、8000人以上のファンは幸福な気分で、まもなく始まるワールドカップの祝祭に参加できたと感じながら、帰途についた。

 静岡駅に到着したときも、地元の人々の態度はとても礼儀正しく、暖かいもてなしぶりで藤枝行きの乗り換え電車まで外国からの訪問客をエスコートしていた。
 小さな駅のキオスクはどれもカラフルに飾り付けが施されており、たくさんのボランティアが待機して、タクシー乗り場やバス乗り場への道順を間違う人がいないように心配りをしていた。また、タクシーのドライバーもクリップ・ボードを持ち、海外から来たカスタマーにクリップ・ボードに書きつけられた英語のフレーズを読み上げる用意をしていた。セネガルの人々が話すのはフランス語だが、大切なのは、その心である!

 今後の数日間が本当に重要となる。ピッチの内外で物事を進めるのは、より大変になるし、情熱も必要となるだろう。
 しかし、日本は藤枝市を誇りにすればいい。セネガルの選手も、関係者も、サポーターも、ワールドカップで、とても暖かい歓迎を受けている。
 これからの5週間、このようなもてなしと規律正しさが提供されるなら、日本でのワールドカップは忘れることのできない経験となるだろう。

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トルシエが俊輔を代表から外した理由

2002/05/20(月)

 金曜日に行われた日本サッカー協会のワールドカップ代表発表で、秋田豊と小笠原満男の名前が読み上げられた瞬間、会場の記者達は思わず息を呑んだ。
 そして中山雅史の名前が4人のFWの一人として発表された時、会場には喝采が起こった。
 しかし、やがて中村俊輔が代表から漏れたという事実に気がつきはじめた。

 先月行われたキリンカップでの対スルバキア戦、ホンジュラス戦では横浜マリノスの23歳MFは代表監督フィリップ・トルシエに認めてもらうべく全力でプレーした。
 不本意だった昨シーズンから一転、彼は代表チームへの手応えを感じていたに違いない。
 しかし、フタを開けてみるとやはり肝心な場面で彼は取り残されてしまった。

 ハンサムであり、性格も穏やかで何より左足から放つ素晴らしいフリーキックに魅了された多くのファン、特に若い女性達はガッカリしたに違いない。
 しかし、トルシエにとってはそれだけでは物足りなかったのだ。

 中村や彼のサポーター達にとっての厳しい現実とは一体何だったのだろうか。

 トルシエは中村を左MFとしてしか使えないと見ていた。ただ、このポジションは攻撃のみならず守備に対しても積極的に関わるスタミナと当たり強さが必要とされる重要なポジションである。
 トルシエがこのポジションの第一候補に選んだのは小野伸二である。そして交代要員として、攻撃に転じる時は三都主アレサンドロ、守備を固める場合は服部年宏がいる。
 従って中村は第4候補という事になるのだが、GKを除いた20人のメンバーの中で一つのポジションに4人のプレーヤを選ぶ余裕が果たしてあるのか?
 答えは明らかに「ノー」だ。

 一方、横浜マリノス監督のセバスティアン・ラザロニはトルシエが中村の使い方を間違えていると考えている。
 中村は左サイドMFではなく、中央で司令塔をさせるべきだと考えている。
 しかし、そのポジションには中田英寿がいる上に、トルシエの信頼厚い森島寛晃がバックアップとして控えている。
 仮にトルシエが中村を司令塔として考えるなら(実際は彼の当たりの弱さゆえあり得ない事だが)3番候補となったのかもしれない。
 しかし、鹿島アントラーズの若き司令塔、小笠原満男が選ばれた。
 結局ここにも彼の居場所はなかったのだ。

 彼のフリーキックとコーナーキックが素晴らしいというのは間違いない。しかしそれをしても中田英寿、小野、三都主に次いでここでも彼は4番手なのだ。

 結局のところ、トルシエはメディア、世論、そしてスポンサーからの俊輔を推す圧力を拒んだ形となった。
 そしてトルシエのこの決断は彼に対する批判を噴出させる事になるだろう。しかしこれは間違いなく正しい決断なのだ。

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ベルデニックが求める名古屋のリーダー

2002/05/16(木)

 チームはアウェーの試合を5-1で勝利したが、監督であるズデンコ・ベルデニックは失望していた。

 「精神面の問題。うちの選手たちは自分を信じることができないのです」ベルデニクの愚痴は、土曜日の午後、駒場スタジアムで名古屋グランパスエイトが浦和レッズを一蹴したあとのことであった。
 最終的には、この日の勝ち点3を加えても、グランパスはナビスコ・カップの予選D組を突破して準々決勝に進出することはできなかった。鹿島アントラーズが、1-0でサンフレッチェ広島を破り、浦和に次ぐ予選2位での準々決勝進出を決めたからだ。

 「そうですね、結果にはとても満足しています。積極的な試合ができましたし。でも、うちのチームはまだ成熟していないのです。集中力も足りないし、経験もまだ充分とは言えません。方策も浮かびません。帰りたくなる気分になるときもあるくらいです」。
 そう、今はベルデニックにとって苦悩のときなのである。トヨタがサポートする名古屋のクラブがベルデニックに監督を依頼したのは、グランパスを「ジェフユナイテッド」にして欲しいからであった。つまり、ぱっとしなかったチームを、1部に残留させるだけではなく、優勝を争えるチームに変えて欲しかったのである。
 「ジェフユナイテッドを変えるのに8か月かかりました。しかし、グランパスではもう少し早くできるのではないかと思っています」とベルデニックは付け加えた。

 ベルデニックが直面している二つの問題は、彼の言葉を借りれば、大きな年齢差と指導する選手たちの資質である。二つ目の問題は、キャプテンとしての資質を有する者がいないということだ。
 「ウエズレイ(ブラジル人ストライカー)だけはなにか変ったことができますが、チーム・リーダーがいません」
 たしかに、ドラガン・ストイコビッチのような選手はいない。ストイコビッチは名古屋での7年間、カルト的な存在であったが、昨年の夏に引退し、ユーゴスラビア・サッカー協会の会長に就任した。

 グランパスは、クロアチア人のゲームメーカー、ロベルト・プロシネツキをイングランド1部リーグのポーツマスから獲得することを目指した。プロシネツキは当初は日本への移籍に同意したが、最終的には名古屋の申し出を拒否した。
 「かまいません。彼ももう33歳ですからね。でも、日本に来たら、2、3年はプレーできたでしょう。Jリーグのスピードはイングランドほどでもないし、相手のあたりもそれほど厳しくはありませんから」とグランパス監督。
 そのあと、グランパスはこれもクロアチアの選手で、フランス・ワールドカップの得点王、ダヴォール・シュケルに目をつけたが、シュケルはドイツのTSV 1860ミュンヘンと新たに契約を結んだ。
 結局、グランパスは、シュトゥルム・グラーツに8年間間在籍し、1998年のワールドカップでもプレーした、32歳のオーストリア人フォワード、イビカ・バスティッチの獲得を決定した。

 グランパスには3人の外国人選手—ブラジル人のウェズレイとマルセロ、それからオランダ人のミッドフィルダー、タリク・ウリダ—がいるが、マルセロの立場がもっとも危ういようだ。
 理想を言えば、ベルデニックは同胞のスロベキア人選手、ゼリコ・ミリノビッチに市原から名古屋の自分のもとにやって来て欲しいのだろうが、クラブはあまり乗り気ではないそうだ。理由は、昨年末、物議を醸すような方法でベルデニックがジェフ市原を退団したことにある。
 ベルデニックは、最後に予定されていたジェフユナイテッドの役員との会見の2日前に、名古屋の申し出を受諾した—市原で5000万円であった年俸は倍になったと言われている。
 しかし、土曜日のベルデニックはそのことを後悔しているような話しぶりであった。

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小野と中田、日本の誇る2人のプレーヤー

2002/05/14(火)

 この1週間は日本のサッカー界にとって素晴らしい1週間であった。
 水曜日は小野伸二がフェイエノールトの一員としてUEFA杯優勝に貢献し、金曜日には中田英寿がパルマの一員としてイタリア杯の優勝に貢献した。
 彼らの各所属クラブでの活躍はワールドカップを3週間後に控えた日本人選手すべてに恩恵を与えることになるだろう。

 特に小野にとってこの勝利は感慨深いものに違いない。
 他の日本人選手達がいきなり強豪リーグへの進出を考えるのと違って、Jリーグ、浦和レッズで3年半プレーした後違ったプレースタイルに徐々に慣れることのできるよう中堅リーグへの強豪チームに移籍したのだ。
 オランダでは所謂強豪チームと他のチームとのレベル差が大きく、海外から移籍してくる選手達にとっても、強豪チームに移籍した方がリーグに慣れるのも容易なのだ。

 水曜の夜、12000人ものボルシア・ドルトムントのサポータが押し寄せ、熱気と興奮に包まれたデカイプスタジアムの観衆すべてに小野は自身の成長を見せつけたのだ。
 小野は強烈なタックル(時として激しすぎるきらいもあるが)を見舞い、またルーズボールを果敢に拾い、そして正確無比なパスで短期間のうちにチームの柱とでもいうべきMFに成長した。後半に入り、DFのユルゲン・コーラーを退場で失い10人になったボルシアが攻勢にでた時、小野の攻撃的センスが本領を発揮しはじめた。
 試合を決定づけた3点目のゴールを決めたヨン・ダル・トマソンへのスルーパスは小野の真髄であったと言える。
 85分で交代し、90分フルでプレーできなかったのは残念だったが、彼のプレーは間違いなく世界中に日本のサッカーというものを知らしめた事だろう。

 一方、シーズン当初絶不調に苦しみぬいた中田だがシーズン後半になって徐々に調子を取り戻し、イタリアンカップ決勝での対ユヴェントス戦ではチームの優勝に大いに貢献した。
 中田の対ユヴェントス戦緒戦のゴールは試合に負けはしたがチーム優勝の鍵となった。
 第2戦ではジュニオールのあげたゴールを守りきり1−0の勝利を得、中田が第1戦であげたアウェイでのゴールが功を奏しユヴェントスを破ってパルマのイタリアンカップ優勝を決めたのだ。

 先月ポーランドで中田は「シーズンをどう始めるかよりも、シーズンをどう締めくくるのか、それが大事です。ファンにもその方が印象に残りますからね」とそう話していた。
 ある意味、彼の言っていた事は正しい。珍しく27000人の観衆で満員になったタルディーニスタジアムの主役の一人はまさに中田だった。

 とにかく、日本の誇る2人のプレーヤーの活躍は日本のサッカー界にとってまさに喜ぶべきことなのである。

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まさに”Real”な時間の無駄

2002/05/09(木)

 ワールドカップの期間ずっとツキに恵まれ、そのうえピッチが水浸しでプレー不可能な状態であれば、共催国の日本はなかなかのものだろう。

 それはさておき、火曜日の夜に行われた、サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアムでのレアル・マドリードとの親善試合は完全に時間の無駄であった。
 26分のコンゴのゴールによって日本が敗れ、昨年10月から7試合続いた不敗記録が途切れたから言うのではない。
 5月31日ソウルで開幕するワールドカップへのカウントダウンが続くさなか、代表監督であるフィリップ・トルシエにとってなにひとつ得るものがない試合だから言うのである。

 なぜ日本が無意味な試合の相手を務めることに同意しなければならなかったのかがどうしてもわからない。レアル・マドリードは、グラスゴーで行われるヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの決勝であるバイヤー・レバークーゼン戦を5月15日に控えており、二線級のチームで試合に臨んだ。
 マドリードの選手はやる気がなかったが、それはファンも同様であった。雨がやむことなく降り続き、有名なスタジアムの観客席は閑散としていた。

 スペイン・リーグの試合であったなら、レフェリーは90分間プレーさせることはなかっただろう。選手たちがドレッシング・ルームから水たまりだらけのフィールドに再登場する後半開始の時点で、試合は中止を宣告されていただろう。
 結果的に、今回の試合はお笑いとなってしまった。ボールは深い水たまりで止まってしまうか、ピッチの外に蹴り出されて試合が中断するかのどちらかであった。
 いわゆる創設100周年記念試合にマドリードが関心を抱くことができなかったという事実は、先発メンバーを見れば明らかであった。守備陣にはフェルナンド・イエロがいなく、中盤にはジネディーヌ・ジダンがいなく、前線にはラウルもいなかった。

 ロベルト・カルロスはキャプテンであったが、前半の最後までプレーすることもなかった。フィーゴも同様で、チャンピオンズ・リーグの決勝戦とワールドカップを間近に控え、明らかにケガだけは避けようとしているようであった。
 結局、日本はオフサイド戦術の失敗によって得点されてしまった。

 ロベルト・カルロスが左足で蹴ったフリーキックの低い弾道のボールがゴール・マウスを横切ったとき、日本の守備陣はわずかに陣形を押し上げ、レアルの選手からオフサイドを奪おうとした。
 しかし、ファーのポストにいた中田浩二がほんの少しラインから取り残されたため、中田と同じライン上にいたコンゴが方向を変えたボールは曽ヶ端準の手に触れることはなかった。
 非は中田にあるのではない。このような戦術は、ペナルティー・エリア内の紛らわしい、混乱した状況ではトラブルを引き起こすだけであるということだ。ロベルト・カルロスがフリーキックを蹴るような状況ではなおさらである。
 とはいえ、中田は日本チームでは最高のプレーをしていた。ピッチがまだプレー可能な状態であった前半には、完ぺきなタイミングのタックルもいくつかあった。

 トルシエにとってもう一つ良かったことは、ひどい状況で90分プレーした稲本潤一のプレーぶりであった。アーセナルでトレーニングとベンチだけのシーズンを過ごした稲本は、ワールドカップの開幕までに試合勘を取り戻さなければならないのである。

 総じて言えば、完全に時間の無駄であった。
 終了数秒前にキーパーにブロックされた服部のゴール前のボレーがゴールに入っていたとしても、なんの意味もなかっただろう。

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ワールドカップでアーセナルにアピールしたい稲本

2002/05/08(水)

 ほとんどの選手達はワールドカップ代表入りを賭けてそれぞれの所属チームで良いプレーを心がける。
 しかし、稲本潤一の場合は少し訳が違う。彼は所属チームのポジションを得る為にワールドカップで良いプレーをしようとしているのだ。
 これはイングランドプレミアリーグの古豪、アーセナルでデビューし不本意なシーズンを過ごしている稲本にとっても異常な状態だと言える。

 昨年7月にガンバ大阪から移籍した稲本だが、アーセン・ベンゲル指揮下の経験豊富で才能溢れたトップクラスMF達の中では後塵を拝するしかなかった。
 彼が得た出場機会と言えばプレミアリーグ戦やFA杯ではなく、チームとして重要度の低いUEFAチャンピオンリーグやイングリッシュリーグ杯での交代要員としてだった。
 プレミアリーグとFA杯の2冠を狙えるほどのアーセナルではそもそも稲本は必要とされていなかったのだ。
 そうした状況下では彼が日本に戻り代表チームのユニフォームに袖を通し、単にワールドカップでプレーする以上の事を望んでいるのも仕方のないことだ。

 「ロンドンもアーセナルも気にいってます。なんとか残りたいです」と彼は言う。
 「もしワールドカップで日本の為に良いプレーをする事ができれば、アーセナルに僕が充分チームの一員としての力を持っていると納得させられるんじゃないかと期待しているんです」

 木曜日に神戸で行われたホンジュラスとの3−3の混戦での日本代表チームの収穫の一つは稲本のプレーだった。
 彼は好調だった頃のように走り、タックルし、そしてフォワード達にプレッシャーをかけていた。3日前の1−0で勝ったスロバキア戦では見せられなかった彼のプレーに対する飢え、決心、これこそ日本代表監督、フィリップ・トルシエの求めていたものだった。

 イングランドでわずかなプレー時間しか得られなかった稲本にとってフィジカルコンディショニング以上に試合勘が欠如しているというのは当たり前の事だ。そしてそれはホンジュラス戦前の「ワールドカップが始まるまでにまだ4試合あります。その全部の試合に90分間フルに出場したいです。そうすればワールドカップに向けて万全のコンディションに持っていけると思います」という彼のコメントにも現れている。

 日本がグループHの中で、ベルギー、ロシア、そしてチュニジアに競り勝っていく為には稲本が万全の状態でいる事が必要なのだ。
 アーセナルがそれでも彼を必要としているかは別問題として…。

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柳沢のウイング起用

2002/05/02(木)

フィリップ・トルシエの筋書きが狂ってしまったのか?

柳沢敦は自信だけではなく、スピリットまで失ってしまったのか?

 フランス人監督が、月曜日東京国立競技場でのキリンカップ、スロバキア戦で鹿島アントラーズのストライカーを中盤の右サイドに起用するという奇抜な策に出たあとでは、上記の2つの疑問も当然であろう。

 試合前日、トルシエはびっくりするようなメンバー構成を予告し、まさにそれを前面に押し出した。

 西沢明訓をワントップにした3-4-2-1というフォーメーションを採用しただけでなく、トルシエは柳沢を中盤4人の右サイドに起用したのである。

 柳沢はスピードとパワーを併せ持っており、チャンスをモノにするよりはチャンスを作るタイプであると自分自身を表現してはいるものの、ウイング・バックの選手ではない。守備力が無いも同然であるからだ。

 このことが赤裸々にされたことが前半に1度あったが、それでも柳沢は失敗には懲りず、右サイドで与えられた仕事を遂行しようとしていた。

 後半の早々にはシュートも放ったが、キーバーに楽々とセーブされ、56分には監督から交代を命じられた。

 柳沢は明らかに不満そうであったが、トルシエは物事が計画通りに運んでいないときのスケープゴートとして柳沢を巧妙に利用したのかもしれない。

 はっきり言えば、より論理的な選択は西沢を外して柳沢をフォワードに移し、ベンチにいる2人の中盤右サイドのスペシャリスト、市川大祐と波戸康広のうち1人を起用することであったはずだ。

 実際には波戸が入ったものの、柳沢との単純な交代であり、カヤの外であった西沢はそのまま前線に残った。

 セレッソ大阪のフォワードは38分に日本の勝利を決定づけるゴールをあげたと言っても、それは公式記録がきわめて寛大であったということに過ぎない。西沢は右サイドから低いクロスを上げただけなのだが、ゴール前で混戦となり、ボールがゆっくり転がってゴールラインを割ったのである。

 一見したところ、2人いたスロバキア・ディフェンダーのうち1人のオウンゴールであったし、ゴールを西沢に与えるか、スロバキア人ディフェンダーにサンドイッチされていた森島寛晃に与えるかでマッチ・オフィシャルの意見が分かれるようなケースであったとも思える。

 しかし、だれがゴールをあげたのかということ以上に気になったのは、ワールドカップまで5週間しかない時点での柳沢の心理状態である。

 昨年末、柳沢は疑いなく日本のナンバーワン・ストライカーであった。だが、今の彼はチームでの役割を模索して混乱し、自信を失っているにちがいない。

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