小笠原のチャンス
小笠原が待ちに待ったワールドカップ出場へのチャンスがついに来た。
トルシエ監督は、鹿島アントラーズの若き司令塔を3月21日の対ウクライナ、3月27日の対ポーランドの親善試合日本代表メンバー、22人の1人として選出した。
トルシエ監督が小笠原に代表候補のイスを与えたと言うことは、単に彼の2シーズンに渡る活躍を認めたと言うだけでなく、日本代表が使う3−5−2システムで2トップ下の攻撃的MFのポジション争いをめぐって中田英寿に大きなプレッシャーを与える事になる。
2000年、2001年と鹿島アントラーズでの安定したパフォーマンスでチームの勝利に貢献してきた彼を見てきた人々にとって、小笠原の代表候補入りは遅すぎたと言っても良い。
彼はビスマルクからMFの役割を学んだ。そしてついには、チームにビスマルクの解雇を決断させる程小笠原は大きな成長を見せた。
彼の持って生まれた才能は早くから認められていた。1999年にナイジェリアで行われた世界ユース大会で日本がスペインについで準優勝を遂げたのは、この物静かな青年の力によるところが大きい。
主将の小野伸二、ウィングの本山雅志、そしてストライカー高原直泰と注目を集めた選手達の中で、小笠原は司令塔として淡々と、しかし大きな成果を出した。
彼のように個人プレーよりチームプレーを大事にするタイプの選手は、コーチング哲学としてチームプレーと個人犠牲を掲げるトルシエにとって魅力的なはずだ。
小笠原は、元々競争の激しい攻撃的MFのポジションでなかなかチャンスをつかめず、シドニーオリンピックの18人の代表メンバーにも選ばれなかった。
調子が悪いとは言え、セリエA、パルマの中田英がそのポジションの第一候補であることは間違いない。その他にも、森島寛晃、小野伸二と候補がひしめく中、小笠原はチャンスを待つしかなかった。
トルシエ監督は小笠原の抜擢は、今こそがベストタイミングだと確信している。もし、小笠原がウクライナ戦、ポーランド戦で良い結果を出すようなら、不動のように見えた中田英のワールドカップでの先発出場も危うくなるかもしれない。
高校時代からのガールフレンドを若くして人生の伴侶として迎えた小笠原だが、日本代表の座というサッカー人生の伴侶を迎えようとしている今、その関係が末永く続く事を願っている。
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