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歴史を刻んだバロン

2002/01/03(木)

 元旦、東京国立競技場での白熱の決勝戦。延長の末セレッソ大阪を3−2で破った清水エスパルスにとっては、まさに天皇杯での3度目の正直だった。
 エスパルスは近年、決勝戦で2度の敗北を喫していた。3年前の横浜フリューゲルス戦と昨年の鹿島アントラーズ戦だ。最後の11分間にセレッソが2得点を挙げ、試合がVゴール方式の延長戦に入ったときには、2度あることは3度あるといった危惧を抱いたことだろう。

 しかし、エスパルスは立ち直り、延長前半の7分、ブラジル人ストライカー、バロンの決勝ゴールにより勝利をものにした。
 このゴールを演出したのは、エスパルスの左ウイングであり、2002年のワールドカップでプレーするチャンスを得るために日本国籍を取得したばかりの三都主(アレックス)だった。 1999年のJリーグMVPは左サイドを突破し、横山貴之とのワンツーから、ファー・ポストのバロンにクロス。最初のシュートはセレッソのキーパー、下川誠吾にブロックされたものの、バロンの2度目のシュートはゴールに。

 セレッソにとっては、非情なシーズンの幕切れとなった。リーグ戦を3試合残した時点で降格が決定してしまったセレッソは、失望から立ち直り、日本版FAカップとも言うべき天皇杯の決勝戦に進出してきたのだった。
 トロフィーを受け、日本サッカーにゆかりの深いスタジアムをほぼ満員にした46,728人の観客の前を一周したあと、ようやくエスパルスの選手達は新年を祝うことができたのである。

 「うん、どちらにも勝つチャンスはあった。ただ、幸運にも我々が延長でゴールすることができたということだ」とは、勝利の立役者バロン。
 「延長が始まる前、(ゼムノヴィッチ)監督に、同点にされたけどまだ勝てる、って言われた。うちのほうが良いチームなんだから、さっさと決めて来いって」

 エスパルスは素晴らしい立ち上がりを見せた。三都主が20分に、キャプテンの森岡隆三が68分に得点したときには、結果は明らかだと思えた。
 だが、セレッソはリーグ戦とは違い闘争心をあらわにした。79分には森島寛晃の近距離からのシュートで1点を返す。
 終了間際には、交替で入った大久保嘉人がペナルティー・エリア内でルーズボールを奪いに行き、エスパルスのキーパー黒河貴矢に倒される。韓国人ミッドフィルダー、尹晶煥(ユン・ジョンファン)が落ち着いてペナルティー・キックを決め、2対2に追いつき、ゲームは延長戦を迎えた。

 しかし、エスパルスにはもう最後のハードルにつまづくつもりはなかった。そして、かつてのジェフのストライカー、バロンはエスパルスでの最初のシーズンを見事なタイトルで締めくくったのである。

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