京都はエンゲルスの安住の地となるか?
ドイツ人監督、ゲルト・エンゲルスほどJリーグでの浮き沈みを経験してきたコーチはいないだろう。
彼が今何よりも望んでいるのは、J1への復帰を果たした京都パープルサンガがJ1に定着できる事、そして彼自身の身分が安定する事だろう。
パープルサンガは昨シーズンJ2で初優勝を果たし、3月2日のシーズン開幕とともに、華やかなJ1の舞台に再び戻ってくる。
シーズンの目標を問われたエンゲルスはこう答えた。「難しい質問だね。我々の目標は数年にわたって強いと言われるチームを作る事だからね」
「J1に定着できるチーム作りを目指したい。しかしその為には2、3年はチームの確固たる地盤作りをしなければならないだろうな。その上で、リーグのトップチームを目指さなければならないのだが、もちろんこれは一朝一夕でできる事じゃない」
エンゲルスはJリーグの発足した1993年、横浜フリューゲルスのコーチングスタッフとしてチームに在籍した。しかし、1998年、チームのメインスポンサーの撤退によってチームは解散を余儀なくされた。
他のフリューゲルスの選手同様、エンゲルスもチームの消滅という苦痛を味わった。しかし、チーム最後の試合となった1999年の天皇杯で優勝を果たし、サポーター達と感動的な惜別の涙を交わした。
フリューゲルスの選手達が、横浜マリノス等の他チームに移籍していったように、エンゲルスもジェフ市原に移籍したが、数ヶ月で解雇されてしまった。
その後、彼は京都パープルサンガにアシスタントコーチとして雇われ、そして監督を引き受けたのは、チーム力の低下によってJ1からの降格の危機に陥ったまさにその時であった。
2000年の彼はパープルサンガ同様辛抱の1年だったが、昨年チームを見事にJ2チャンピオンに導いた。
昨シーズン終了後、チームはベテランDFの大嶽直人を解雇、しかしエンゲルスはチームの得点源である黒部光昭を始め、チームにとって必要な人材は一人残らず確保したと語った。
黒部についてエンゲルスは、「プロ選手として2年目のシーズンにも関わらず、彼は30得点をあげチームに大きく貢献してくれた。彼はパープルサンガ入団1年目に多少なりともJ1の経験があるとは言うものの、J2とJ1の実力差はやはり大きいからね。チームの得点源として、当然他のチームは彼を警戒し、マークも厳しくなるだろうし、なによりJ1はディフェンス自体も厳しいからね」
リーグでの浮き沈みを誰よりも経験してきたエンゲルスにとって、2002年のチーム安定の鍵を握る黒部の得点に寄せる期待は大きい。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント