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トルシエの決断

2002/01/06(日)

今年のワールドカップ後にトルシエが日本を離れる事はもう間違いないと言って良いようだ。
 いや、それよりも未だに彼が日本に居る事の方が大きな驚きかもしれない。今年の夏に彼の契約は切れるが、1998年9月に就任して以来、4年にわたって日本に居る事になる。
 日本代表監督に就任する前のトルシエはアフリカの数カ国で10年間のコーチング歴を持ち、数々の好成績を挙げ、白い魔術師と呼ばれる気性の激しいコーチであるといった以外あまり知名度はなかった。
 東京で行われた彼の最初の記者会見でトルシエは、彼の2年契約について満足していると述べていた。すなわちそれは、長期の契約を望んでいなかったに他ならない。

 彼は代表チームの建て直しを図るにあたって、ユースチームとオリンピック代表チームの強化をまず始めた。
 1999年までの結果はおおむね良好で、数人のプレーヤーは順調に成長し、日本代表チームに入るまでの成長を見せた。しかし、代表レベルでは結果を残す事がまったくできなかった。その年に行われた7試合の国際マッチに1勝もする事ができなかったのだ。
 その間、トルシエはよく日本サッカー協会の柔軟性を欠く姿勢や、洞察力のなさを批判していた。一方、周囲が彼を批判し続ける中で、会長の岡野俊一郎のみがトルシエを擁護し続けていた。

 2000年に入ると、ようやくトルシエの指導が代表レベルで結果を出すようになって来た。10月にはアジアカップで優勝し、昨年の6月にはコンフェデレーションカップでの準優勝を果たした。
 レバノンで行われたアジアカップでトルシエは、日本がレベルアップする為に新しいコーチが必要になるだろうと話していた。トルシエには自分自身が若いチームの将来を見据え育てる事が一番適しているとわかっていたのだ。

 そういった意味では、一時は世界でもトップレベルだったにも関わらず、今回のワールドカップ出場権を逃したスコットランド代表チームがトルシエを熱心に監督として迎えようとしている事は当然の事だろう。
 同時に、スコットランド代表監督の地位はトルシエにとっても魅力的だ。なぜなら、トルシエがよく口にする日本に欠けているもの、すなわちサッカーの文化と伝統、そしてサッカーのレベルの高さを持つヨーロッパで彼の手腕を発揮する事ができるからだ。

 5ヶ月後、トルシエは日本から去る。そして、彼が去った後の日本サッカー界はまったく違ったものになるだろう。

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