小笠原の歓喜と名良橋の憂鬱
鹿島アントラーズのサポーター達は、フィリップ・トルシエが金曜日に発表した来年1月の代表チームのトレーニングキャンプに参加する40人のメンバーリストを複雑な思いで見た事だろう。
2000年、2001年の連続優勝の立役者である22歳の小笠原満男がミッドフィルダーの一人に選ばれたのを始め、他にもGK曽ヶ端準、DF秋田豊、代表チームでは左のDFの中田浩二、攻撃的MF本山雅志、FW鈴木隆行と柳沢敦の6人がアントラーズから選出された。
アントラーズのブラジル人監督トニーニョ・セレーゾをはじめ多くの人がJリーグ随一の右サイドプレーヤーであると考え、フランスワールドカップの時には岡田武史前代表監督のチームの要だった名良橋晃は今回もトルシエの目にとまる事はなかった。
来年のワールドカップに向けて俄然周囲が熱気を帯びてくるなか、名良橋は2001年のベストイレブンに選ばれた9人の日本人選手のなかでたった一人代表キャンプメンバーに選ばれなかったのだ。
多くの人にとって、トルシエが何故アグレッシブなタックラーであり、休むことなく勇猛果敢に右サイドをかけ続ける30歳の名良橋を無視し続けるのか不思議だろう。
1998年9月に代表チームの監督を引き継いで以来、トルシエは3−5−2システムを採用した。そしてそのシステムにとって、名良橋は最適な右サイドMFだと言うのが大勢の意見だと思う。
しかし、トルシエの目には指示を守らない、攻撃体制が崩れた時に見せるポジショニングのまずさ、そして自陣のゴールに近い時に見せる判断のまずさによって味方ディフェンスに不必要なプレッシャーを与える等としか映っていない。
Jリーグのリーグ戦ではそうした批判を受ける事のない名良橋だが、やはり代表レベルでは冷酷なまでに判断されてしまう。そしてトルシエも甘く見るつもりはない。
トルシエがいつも重要視するのはチームワークと規律であって、彼の戦術とフォーメーションの中では、名良橋を使うのは彼の長所を考えてもそれを上回るリスクがあると考えているに違いない。
しかし、トルシエのそれなりの理由も、常に全力でプレーする名良橋にとっては慰めにはならないだろうし、またサポーターにとっては残念な事に違いない。
一方、1999年にナイジェリアで行われたワールドユースの決勝でスペインと闘ったU−20代表チームでトルシエの目にとまった小笠原も、良い選手がひしめくミッドフィルダーの中では、昨年のシドニー五輪の代表メンバーの座を勝ち取る力はまだなかった。
しかし今季、彼はめざましい成長を遂げ、チームにヴェルディ川崎で2回そして、1997年の移籍以来アントラーズで3回のリーグ優勝を経験したベテランブラジル人選手ビスマルクの契約を更新しない事を決断させた。
小笠原をはじめ、彼のチームメイト達が来年のワールドカップでプレーする事を夢見ている一方、名良橋はどうしてこんな事になってしまったのか当惑している事だろう。
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