編集部より、連載終了のお知らせ

2010/04/01(木)

いつも「ジェレミー・ウォーカーの A View From a Brit」をご愛読頂き、ありがとうございます。

まことに残念ながら、
2001年12月より連載してしてまいりました本ブログは、本日4月1日をもって
終了させて頂くこととなりました。

今回の記事にもありますとおり、
筆者がことし中国で開催されるアジア競技大会の仕事に就くことになり
日本サッカーについての定期的な執筆活動が難しくなってしまったためです。

読者のみなさまには大変申し訳ございませんが、
どうぞご理解頂きますよう、お願い申し上げます。

なお、これまでのブログは当面公開を続ける予定でございます。
日本と日本サッカーを心から愛し、
独自の視点で見つめ続けた氏の記事の数々、引き続きお楽しみ下さい。

固定リンク | コメント (7)


旅の終わり

2010/04/01(木)

2010年3月30日、カザフスタン アルマトイより

この記事の日付欄がすべてを物語っている…。私はいま、仕事でアルマトイにいる。周囲に見えるのは雪を頂いた山々、気温は氷点の少し上で、日本サッカーは100マイル向こう…。
20数年前に初めて日本を訪れ、1997年から2009年にかけてこの地で仕事をしてきたが、残念ながら、私のJリーグの旅は終焉を迎えた。同じように、日本サッカーについて書いてきた連載コラムも。

Jリーグでは、発足から長年にわたって素晴らしい経験をさせてもらった。私は1993年の発足年に香港からたびたび日本を訪れるようになり、やがて1997年から東京でフルタイムの仕事をするようになったのだが、今回、アジア・スポーツに関する私のキャリアをさらに高めるために、中国に移る決心をし、この11月に広州で開催されるアジア大会の開催準備、ならびに大陸全体にわたっての広報活動の仕事を、アジア・オリンピック評議会のために行うことにした。

かつてのアジアクラブ選手権でかつての読売が、香港で最も人気のあるチーム、サウス・チャイナと香港スタジアムで戦うのを見たとき、私は日本に行ってみたいという衝動に駆られた。1990-91シーズンのことで、このときの記憶は、90分間ずっと中国のファンがたくさんのものを日本ベンチに投げつけていたこと、それからザンバラ髪の魔法使いラモス瑠偉の風貌によって、今も私の胸に残っている。

こうして私と日本サッカーとのかかわりが始まり、その後1995年の夏に代表チームがアンブロカップのためイングランドに遠征したとき、私は、いつか香港から日本に移り、このサッカー文化が急速に普及している国で何が起こるのかを目撃したい――という思いを強くした。
このような旅を後悔したことは、一瞬たりともない。旅の途上では、フランス日韓、ドイツという3つのワールドカップ(W杯)の取材もした。W杯期間中の日本代表の試合で私が観戦しそこなった唯一の試合が、2002年のトルコとのホームゲームである。大会第2ラウンドの取材で私は韓国にいたのだが、日本が0-1で敗れたとき、メディアセンター中の韓国人がみな歓声を上げ、祝っていたことは忘れられない。なんという協力関係だったことか!

週に2本のコラムを執筆するのは楽しみ以外の何物でもなかったし、一人の英国人――若いころはテラスで観戦し、ニューカッスル・ユナイテッドを追いかけて国中を移動しながらフーリガン全盛の時代を生き残り、その後イングランド北東部の朝刊紙でニューカッスル・ユナイテッドの記事を書くという若き日の夢を掴んだ英国人――の視点が少しでも日本のサッカー・ファンの話題に上ってほしいと願っていた。

私の寄稿と意見はしばらくの間、お休みしなければならない。先のことなんて、誰に分かるだろう? ニューカッスル・ユナイテッドはまた復興するし、それにジェフユナイテッドだってそうかもしなれないのだから、私がここへ戻ることだって、あるかもしれない…。
日本のサッカー、そして日本のサッカーをとても特別なものにしたファンの皆様に心からお礼を言いたい。グッドラック、ジャパン!

固定リンク | コメント (40)


成長を続ける韓国のダイナモ、朴智星

2010/03/23(火)

クラブ、代表、そしてアジア・サッカーへの朴智星(パク・チソン)の功績は計り知れない。
日曜日、オールド・トラフォードでのマンチェスター・ユナイテッド対リバプール戦の生中継を観た人はきっと、この精力的に動き回る韓国人ミッドフィルダーがまたも見せた素晴らしい働きが印象に残ったことだろう。

最高の場面は、もちろん、ユナイテッドを2-1の勝利に導く決勝点となった、見事なダイビング・ヘッド。体を空中に投げ出して合わせたヘディング・シュートが有名なストレトフォード・エンド(オールド・トラフォードのホーム側ゴール裏スタンド)側のゴールに突き刺さったのである。朴本人だけでなく、彼の成長を助け、スターへの道のりを後押ししてきた人々にとっても、まちがいなく誇りに思える瞬間であった。
そうした人々のなかにはピム・ファーベークもいることだろう。つい最近、私は埼玉スタジアムでピムにインタビューし、朴について聞いてみた。このオランダ人が言うには、京都パープルサンガからPSVアイントホーフェンに移籍したばかりの朴は、大したことがないと思われていたそうだ。

洗練され、技術的にも長じたオランダの選手たちはもともと朴について、サッカー選手らしい走り方をしない、プロのサッカー選手に見えない、サッカー選手のようなプレーをしないという感想を抱いていたらしい。ただし、最終的には、朴の方がその真面目さ、練習熱心さ、ピッチ上でのエネルギー、チームのために自分を犠牲にして走り回る姿勢により彼らを上回るようになった。
実際、プレー自体もなかなかのものになっており、あるシーズンでは、チャンピオンズリーグ準決勝のACミラン戦でのパフォーマンスが、オールドトラフォードへの移籍を決める大きな要因となった。

ゴール前ではまだ少し粗いところがあり、不注意なパスを出したり、密集のなかに走りこみボールを奪われたりすることもある朴だが、フレッチャーキャリックと彼とのコンビネーションにより、ユナイテッドはリバプールとの試合の大半を支配することができたのである。
私が朴について本当に素晴らしいと思うのは、ボールと相手選手の間への体の入れ方で、背後から体を当てられたり、足首を削られたりすることを怖れないところだ。ボールをキープする際の体の使い方がとても上手く、いったんその体勢になってしまえば、相手選手がボールを奪うのはかなり難しくなる。そのため、彼は数多くのフリーキックをもらっている。相手選手が背後からボールに触れようとするとファウルになるからである。

ピムはこのインタビューにおいて、朴は技術的には中田や小野中村ほどではないが、その身体的なスタミナ、エネルギー、チームへの忠誠心では日本の才能豊かな3人をすでに上回っているとも述べた。日曜日の鮮やかな決勝ゴールにも、朴のこの特色がよく表れていた。

固定リンク | コメント (0)


ベッカムの負傷、さまざまな感情

2010/03/16(火)

2010年3月15日:日曜日、ACミランでプレーしていたデビッド・ベッカムが脚を負傷したとき、世界中のサッカーファンの嘆きとため息が聞こえてきそうだった。 一見してすぐに、負傷は深刻なものだと分かった。誰とも接触していなかったからだ。それに、ストレッチャーの上で苦悶する彼の姿がすべてを物語っていた。彼のワールドカップは開幕を待たずして終わってしまったのだ、と。

たくさんのベッカム・ファン――私もその一人だが――は、南アフリカで代表チームの一員としプレーすることなく、彼の国際的なキャリアがこんなふうに終わってしまうことを残念に思っている。もちろんそれは、驚異的な回復や、ありえないような復活劇がないという仮定の上での話だが。
ただし、ベッカムがスリーライオン(イングランド代表のエンブレム)を身に着けないことを多くのベッカム崇拝者が悲しく思っている反面、彼がワールドカップ代表の地位を獲得できなくなったことを喜ばしく思う人も多くいるだろう――ここで言っているのは、英国メディアの話である。
まさにそうなのだ、日本の読者のみなさん、私は冗談を言っているわけではない。このような発想は、自分たちのスター選手を崇拝し、良いときも悪いときも一貫して支えようとする日本のファンにはなじみがないのは分かっている。

私は、2006年のワールドカップ・ドイツ大会おいてイングランドの試合を4試合観戦したが、一部のイングランド・メディアによるアンチ・ベッカムのコメントには驚かされた。連中はベッカムに対する嫌悪と軽蔑を隠そうともせず、ベッカムはもともとインチキのイングランド代表であり、他の代表選手と同じフィールドでプレーする資格がないという論陣を張っていた。
イングランドの新聞記者二人が殴り合いをしそうになったこともあった。一人がベッカムに襲いかかろうとし、もう一人がベッカムを守ろうとしていたのだ。私はそのときに、ベッカムが南アフリカ大会代表になった4年後が思いやられる、と暗鬱な気分になった。

もっとも、今ではそのような心配も無用となり、メディアがベッカムにまつわる騒動ではなく、サッカーそのものに集中できるようになったのは、ある意味では救いでもあるかもしれない。でも、連中のことだから、他のもっとばからしいネタを発見して、そちらに注意を向けるようになるのだろう、と私自身は思っているが。

私の場合、クラブと代表への貢献により、ベッカムがサッカーの巨人であることに変わりはない。1998年、私はサンテチエンヌでのアルゼンチン戦で彼が退場処分を受けたシーン――愚かで無分別であったのは認めるが、レッドカードを出されるような行為では決してなかったというゲリー・リネカーの意見を私は支持する――を目撃したし、その4年後の札幌ドームでは、アルゼンチン戦の決勝点となる、彼の炎のPKも見た。

これから、ベッカムの苦境を嘲笑い、彼の負傷を祝い、そうなって当然だと語る人々が登場するだろうが、そうしたこと自体が、メディアと一般の人々の考えがいかに乖離しているかを示しているのである。それは、先週、ミランのメンバーとして彼が戻ったときのオールド・トラフォードの反応、それから日曜日、彼の負傷に対するクラブ上層部の反応を見れば明らかだろう。
ホントを言えば、彼のタトゥーだけは好きになれなかったけれど……。

固定リンク | コメント (9)


本田から生まれた数多くの選択肢

2010/03/09(火)

2010年3月8日:本田圭佑がフォワードだって?
日本がバーレーンと戦った先日の夜、この起用法には正直言って驚いたが、少なくとも岡田武史監督がチームを活性化する方法を真剣に模索しているのだということはわかった。
試合の2日前、私は、日本サッカーの観察者である同僚の外国人と本田について話をしていた。日本代表の中盤中央の理想的な組み合わせは稲本と本田だろう、とその同僚は話した。日本代表が中盤やペナルティエリアの外側で何の成果もない小さなパスを繰り返すのを見るのはもう飽きた、とも彼は、言っていた。

さらに、稲本と本田の両選手は試合をしっかりとコントロールして、何かを起こしそうな雰囲気があったし、気迫を込めたプレーで試合の主導権を奪う準備ができている状態になっており、とくに本田からは、距離に関係なくいつでもゴールを狙ってやろうという思いが見てとれたそうだ。
「でも、長谷部と遠藤のコンビはどうだい?」と私は反論した。「岡田監督はこの2人をエンジンルームに起用するのが大好きなのだが」
このコンビなら、俊輔と憲剛、松井と大久保に合わせれば、中盤を幅広く使えるだろうね、と同僚は述べた。つまり、彼は中盤にパワーと冒険心が欲しいと思っていて、稲本と本田なら守備面でも、攻撃面でもそれを提供してくれると考えているのだ。

岡田監督も同じようなことを考えていたに違い。バーレーン戦で本田をフォワードに起用したのはまさに上記のような理由があったからだし、彼を積極的に攻撃に参加させることで、攻撃を活性化し、試合を有利に進めたいと考えたのだろう。
最初に書いたように、この起用法にはびっくりした。本田はサイドでプレーする選手で、利き足を活かせる左サイドでは堅実な左バックの前でプレーするオーソドックスなウィングとして機能し、右サイドではサイドから中央に切れ込んで、驚異的な左足で鮮やかゴールを奪うのが持ち味だとずっと思っていたからだ。

どの位置でプレーするにしても、本田にはこのような冒険心を持ち続け、試合の主導権を奪うのだという自信をなくさないようにして欲しい。
長谷部に遠藤、それから俊輔にも豊富な経験が備わっているが、試合の流れをしっかりつかみ、試合を支配する能力がまだ欠けていると私には思えるし、チームがステップアップするため、さらにチームが緊急事態に陥ったときにチームメイトを鼓舞するためにはこのような能力が不可欠なのである。

固定リンク | コメント (2)


松井と森本にはW杯代表がかかった試合

2010/03/02(火)

2010年3月1日:両チームとも来年1月にドーハで行なわれるアジアカップ本大会への出場資格を得ているものの、水曜日の日本対バーレーン戦は、ヨーロッパから帰ってくる、少なくとも2人の選手にとっては依然として重要な意味を持つ試合になるのかもしれない。
私の言う「2人」とは松井大輔森本貴幸のことで、両選手とも南アフリカ行きの代表最終選考に残れるかどうかはまったく不確かな状況だ。

カターニャで見せている潜在能力の高さから、森本がチームの救世主になるかもしれない、と多くのファンが信じている――あるいは「願っている」が適切な表現かもしれない――としても、代表でのキャリアという冷酷で、厳粛な事実がその思いに水を差す。森本がこれまで日本代表でプレーしたのは、途中交代で出場したスコットランド戦と先発出場したトーゴ戦の2試合だけなのである。
トーゴ戦では鮮やかなゴールを決めたが、相手の質が期待していたのとは程遠い状態だったし、5-0といスコアは日本代表のこれまでの試合で最大の点差の一つだった。

森本に期待が集まるのは、もちろん、日本代表に頼れるストライカーがいないせいなのだが、彼がワールドカップ(W杯)代表の座を確固たるものにするためには、今後も日本代表で存在感をアピールする必要がある。バーレーン戦では、確かなパフォーマンスと力強さ、前線を率いる存在感が岡田監督の求めるものとなるのだろうが、森本がゴールを一つか2つ決めることができれば、まさに岡田監督の要求への満額回答となるだろう。

松井については、代表チームでの評価がいまだ定まっておらず、真価を発揮できないときも岡田監督は我慢強く見続けてきた。この点は、大久保への対応と本当に類似している。
松井はいつも彼らしいプレー――柔らかなボールタッチと動きの良さがあり、危険で精力的――をしているのだが、結果が伴わないことが多い。派手な技巧を減らし、もっと確実なプレーをすべきであると私は今でも感じており、バーレーンとの今回の真剣勝負は彼がそのようなプレーをする格好の機会となるだろう。

ヨーロッパから招集される選手のなかでは、長谷部本田が南アフリカ行きの切符をほぼ手中にしており、松井や森本のようなプレッシャーを感じることはないだろう。
両チームとも予選突破という課題は達成しているものの、今回の試合はまだ重要な意味を持っているのである。

固定リンク | コメント (4)


俊輔の復帰が日本を盛り上げるかも

2010/02/23(火)

2010年2月22日:現在、日本のサッカーには盛り上がりが必要であり、中村俊輔がそれを提供してくれそうな雰囲気だ。ファン、メディア、それからひょっとすると選手たち自身も東アジアサッカー選手権での代表チームの低迷ぶりに意気消沈し、何か明るい材料、自尊心と自信を高めてくれるようなものを必要としている。
だから、スペインで期待に応えられなかったからという理由であっても、俊輔の帰国を歓迎するムードには変わりはなく、彼は帰ってきたヒーローなのである。

中村俊輔がセルティックを去る決意をした昨夏に彼の獲得に失敗したマリノスは、今度は同じ失敗を繰り返したくないだろうし、年俸や契約期間、契約金の交渉になれば中村サイドに席を蹴られないよう万全の体制を敷くだろう。契約はまだ成立していないが、両者が速やかな契約合意を望んでいるようなので、中村は余裕を持ってJリーグに帰り、試合に向けて体調を整えることができる。
それから、注意をワールドカップに向ければいいし、岡田武史監督とっては、俊輔をエスパニョールのベンチに座らせているより日本に戻す方が安心だろう。

スペインではうまくいかなかったが、かの地に移り、子供時代からの夢を叶えようとした中村を、誰も批判することはできない。私自身も、お金が一番の理由だったとは考えてもいない。31歳になった彼が大好きだったリーグでプレーするチャンスを受け入れようとしただけで、そのチャンスを見過ごしたなら彼は選手生活の残りの期間、ずっと後悔していたことだろう。

スコットランド――ヨーロッパの低レベルのリーグで、そこの2大クラブの一つでプレーしていた――から、スピードがはるかに速くて、競争も厳しく、チームもエリート・クラブではないスペインへの移籍は、選手生活の後期に差しかかってきた彼にとっては負担が大きすぎることが明らかとなった。
しかし、俊輔の評価は損なわれてはいないし、彼は今でもその経験を大いに活用することが可能であり、刺激を本当に必要とする現在の日本のサッカー界に彼のスター性が新風を吹き込むかもしれない。

固定リンク | コメント (9)


代表はどうなってしまうのか?

2010/02/16(火)

2010年2月15日:惨憺たるありさま。日曜日に韓国に1-3で敗れたあと、東アジア選手権における日本の戦いぶりはこう表現するしかない。
中国と0-0の引き分けというのは良くない出足であり、3-0の勝利を収めた香港戦も、圧倒的に優位な立場でありながらフィニッシュを決められず苦労し、不満足な内容だった。
ホームで3試合して1勝、優勝しなければならない大会での3位という結果は、ホスト国という立場を考えると紛れもない失態で、南アフリカに向かうまで4ヶ月も残されていない現時点で、日本代表が今後チームを建て直し、自信と気迫をとり戻すことができるのかどうかという不安も残る。

それから、俊輔がいなかったし、長谷部もいなかったし、本田も、松井も、森本も……という言い訳はどうか勘弁して欲しい。日本には、遠藤と憲剛、大久保と玉田といったような、チームを本当にステップアップさせ、ゲームを管理すべき経験豊かな選手が充分に揃っていたのだ。ただ、彼らは今回、その存在感を発揮することができなかった。

韓国の2点目は、日本代表が落ち目にあることを如実にあらわしていた。李昇烈イ・スンヨルのシュートは中澤の背中に当たり、為す術のない楢崎の頭上を越え背後のゴールネットを揺らした。ツキに見放されているときはこのようなゴールが決まってしまうものである。

その後すぐ、ペナルティエリア内でまたも発生した小競り合いにより闘莉王に退場が宣告されたときの韓国の態度は本当に気分の悪いものであった。キャプテンの金正友(キム・ジョンウ)は自チームの選手が倒れていることをレフェリーが見逃していないかどうかをわざわざ確認していたし、レッドカードが出されたときに他の韓国選手がこぶしを握り締め喜んでいる光景はとりわけ不愉快だった。ゴールに喜ぶのはわかるが、相手選手が退場を宣告されたときに喜ぶのでは、手の込んだ策略で相手を罠にかけたことを示唆しているようなものである。「Fair Play Please」なんて、冗談にもならないぜ!

まあ、後半早々には正義が果たされたのかもしれない。前半に大久保へのファウルによってイエローカードをもらっていたキャプテンのキムが、岡崎に対するレイト・タックルにより闘莉王と同じようにピッチを去らなければならなくなったからだ。

日本がこの試合を乗り切るには自らの長所をせいいっぱい発揮する必要があったが、1-3であっさり敗れ、最下位の香港の1つ上なだけの順位で大会を終えた。
今後数週間で、日本代表は今よりはマシになるのだろうか? 面白くない日々が続くなか、岡田監督にとっての救世主あるいは運命の好転が訪れる可能性があるとは、私にはどうしても思えないのだが。

固定リンク | コメント (12)


不満の声が代表チームを鍛える

2010/02/09(火)

2010年2月8日:岡田武史監督はワールドカップの準備としてタフな試合を何試合かしたいと望んでいたが、東アジア選手権では早くもそのような試合があり、日本は中国と0-0で引き分けた。
名前だけは豪華なヨーロッパのチームが、半分の戦力、半分のスピードで相手をする無意味な親善試合とは違い、この試合はまっとうな相手と戦う公式戦。選手たちにはそれ相応のプレッシャーがかけられ、それに相応しいコンディション調整が求められていた。
日本は勝つことができず、楢崎正剛がPKを止めていなかったら負けているところでもあり、南アフリカのワールドカップでも楢崎がチームにとって貴重な存在であることがはからずも証明された。

気迫に満ちた中国チームとたびたび激しく競り合ったシーンで、ひたむきさや集中力が欠けていたというわけではないようだが、日本は点を取って勝ち切ることができず、味の素スタジアムの観客から野次とブーイングを浴びせられた。
ファンには、よくぞやってくれた、と言いたい。ワールドカップを間近に控えた今、選手たちを引き締めるにはそれしかないのである。Jリーグでは寛容で、物分かりの良いファンに選手たちが甘やかされており、代表の試合にやってくる観客のなかには、ブルーのウェアを身に着け、自分の贔屓選手を徹底的に応援するのが大好きな「ファッショニスタ」がかなりの割合でいることは周知の事実である。

だから、味の素のスタジアムでのファンの反応は岡田監督にとっても良いことで、今後は批判的な目が向けられているなかで自分の選手たちを観察できるようになるだろう。こうした厳しい状況に自ら立ち向かう選手も出れば、プレッシャーや期待に押しつぶされる選手も現れ、監督にとってはワールドカップ代表の23人を選ぶ参考となるだろう。

次の試合である木曜日の香港戦は、残念ながらあまり試練の場にはなりそうにない。日曜日の夜の韓国対香港戦で、両チームに力の差がありすぎるのがはっきりと見てとれたからだ。それでも日本にとっては、気持ちを落ち着かせるために早い段階でゴールを奪うことがやはり必要だし、韓国がそうしたようにチームの勢いというものをアピールしなければならず、そのような課題が新たなプレッシャーとなるだろう。

チャンスが巡ってきたときには、日本は、あわてふためいて逆上したり、再び訪れたチャンスにさらに硬くなったりするようなことなく、リラックスし、状況を冷静に見定めてそのチャンスをものにする必要がある。
日本は、日曜日の韓国との厳しい試合の前に、ファンを味方につけ、ファンの信頼と勝点3を得ておかなければならない。 つまり、この大会は岡田監督にとって非常に大きな意味のある試合になりつつあるのだ――岡田監督が想定していた以上に、あるいはひょっとすると監督が望んでいた以上に。

固定リンク | コメント (8)


立候補したい気持ちもわかるけど…

2010/02/02(火)

2010年2月1日:2018年または2022年のワールドカップ開催地に立候補している国のなかには、すぐにでもこのイベントを開催できるところがいくつかある。そのうちの一つは、もちろん日本で、大会の円滑な運営と成功を保証するのに必要なスタジアム、インフラストラクチャ、ファン層をすべて持ち合わせている。
ただし、そうだからといって日本が再び開催地に立候補するのが名案だとは私は思わない。とくに2002年に韓国(同じように2022年開催に限定して立候補を表明)とワールドカップを共催したばかりのこの時期には。

まあ、日本の開催地立候補もわからないでもないし、過去の代表監督であるフィリップ・トルシエやジーコイビチャ・オシムをはじめとする多くの人々の支援もあるにはあるが、私には、勝つチャンスはひいき目に見てもごくわずかであり、勝つ確率は2016年のオリンピック開催都市に立候補した東京よりもはるかに低いと思えるのだ。
第一に、2018年ワールドカップはヨーロッパ開催が確実な情勢だ。フットボールが隆盛しているこの大陸で2006年のドイツ以来ワールドカップが開催されていないということになるからだ。FIFAのゼップ・プラッター会長もそのような発言をしており、他の大陸には開催の見込みはまったくないようである。1966年の開催国であるイングランドが2018年大会開催の本命と目されているが、ロシアもダークホースとして台頭してきており、12月のFIFAの投票でサプライズを起こす可能性も否定できない。

したがって、日本の最大のチャンスは2022年になるのだろうが、やっぱり私には日本以上に可能性のある国があるように思える。たとえば、これまで開催経験がなく、FIFA にとって新しいマーケット、新しいフロンティア開拓のチャンスとなる国々である。
具体的に言えば、オーストラリアが頭に浮かぶし、2022年はオーストラリアで開催してもいいと思う。オーストラリアは素晴らしいスポーツ国だし、ファンタスティックなワールドカップとなるだろう。オーストラリアはラグビー・リーグ(13人制ラグビー)やラグビー・ユニオン(15人制ラグビー)、オーストラリアン・フットボール、クリケットと比べてサッカー(この場合、まさに「soccer」という用語の使用が適切なのかもしれない)があまりなじんでいないという評論家もいるが、大都市のスポーツ好きな住民は大会を心から楽しむだろうし、ワールドカップを一つの長いお祭りに変えてしまうかもしれない。

2000年のシドニー・オリンピックのときにキャンベラとブリスベンで日本代表の試合を観戦する際にあちこちを旅したが、その雰囲気は信じられないほどで、もしワールドカップが開催されれば同じように素晴らしい雰囲気は再現されるが、その規模は海外からやってくる数千人の旅行者をも巻き込み、はるかに壮大なものになるに違いないと確信したものだ。

日本の立候補にはリスクはないが、正直言って、2002年からそれほど離れていない時期にまたも立候補を決めた理由、それから関係者が勝てると思っている理由が私にはわからない。
もし日本が2018年大会の開催地となれば、いや2022年大会の開催地になっても、南アフリカ大会で岡田武史監督の代表チームが準決勝に進出する以上のビッグ・サプライズとなるだろう。

固定リンク | コメント (2)


«日本のマンチェスター・シティ、名古屋グランパス